今回は204ページ中の14ページの上から15ページの上までです。

 

――ここから――

 

さらに、神様は、人を通して、万物に愛を与えることができるため、人に十分な愛を与えようとされる。そのため、人は、神様の対象格として、神様の神経のような存在となっているのであり、万物は、人の神経を刺激する相対的存在となっているのである。それゆえ、万物は、人から愛されるよう、人に刺激を与えるのであり、人は、神様の愛をもって、そのような万物を愛さなければならない。こうして、人と万物が、理想的な関係を築くことができれば、神様は、人を通して、全ての万物を愛することができるのである。

このように、神様は、人に愛を与えようとされるが、その愛を受ける者がいない。そのため、万物もまた、その愛を受けることができないのである。このような問題は、堕落から始まった。

人は、堕落によって、神様の愛が分からなくなった。しかし、人は、異性を愛することで繁殖できるのである。それゆえ、男性の場合は、愛することのできる美の存在として女性を求める。そして、女性を愛する性交は、創造的本性の愛であり、瞬間的ではあっても、共にその愛を感じて授受するところから生命が始まるのである。その時、男性と女性には、愛の陶酔感がなければならない。このように、男性と女性が授受し、それが十分に満たされることによって、第二の生命が始まるのである。つまり、人の肉身の生命は、特別な愛の授受作用を通してのみ生まれることができる。これが、創造原理であることを知らなければならない。

また、霊人も生命を受けるが、この生命は、神様の無限の愛と一つになるための路程を出発するときに受け、そこから成長するのである。従って、人は、神様に対して、完全な美の存在とならなければならない。そのようになれば、神様の愛が、人に流れ込んでくるのである。この作用が人に働くとき、人は、神様のように、全てを愛することのできる存在となるため、万物までが、人を尊敬するようになる。こうして、神様の理想通りに愛することができれば、人は貴い存在となるのである。

神様は、人に完全な愛を与え、男性と女性が愛する、その姿を見ようとされる。その二性が一体となって愛する姿は、どれ程美しく貴いだろうか。それは、男性と女性が愛を授受するとき、天では、その姿が、神様の創造の理想形を表すためである。それゆえ、神様は、無限の愛を人に与えようとされるのである。

 

――ここまで――

 

2018.12.25 更新:最初の翻訳を再検討して、分かりやすい表現に変更しました。

 

2019.2.15 更新:原理原本の直筆版と比較して修正しました。


2020.9.6 更新:さらに修正しました。

 

2020.9.29 更新:さらに分かりやすく変更しました。