今回の結論

 

>>

 

所得倍増計画をもう一度!

 

忘るるなかれ。高度経済成長期は自然と成長したのではなく、

 

日本の先人が成し遂げたものです。

 

>>

 

講談社 Home雑誌・レーベルと既刊紹介モーニング疾風の勇人(1) 試し読みする

https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000018798

 

 

こんにちは、tasanです。9月になりました。皆さんいかがお過ごしですか?私は今週、暑くて1階の堅い畳で寝たら寝違えました。寝てると痛くて起きてしまい、だんだん治りつつも睡眠時間が2、3時間。あとイスに座って目を閉じてうつらうつら・・。土曜は5時起きで結構寝れました笑

 

まぁ世間的には台風10号ヤバい、菅さんばっかりテレビに出てる!のニュースが多いですね。なかなか絶望的な自民総裁選です。皆さんも気を病みませんよう。

 

では本日の本題です。

 

>> 国民所得倍増計画をご存じですか?

 

アンケートを取りました。皆さんはご存じでしたか?

 

 

グーグルで検索すると、ヒット数は2%以下なので、

 

自分のツイアカでアンケートはだいぶ偏りが出てしまっている気がします。まぁグラフのたびに連呼してますので。さらに偏るように頑張りたい次第です笑

 

今回は改めて国民所得倍増計画を知ろう、広めよう、という趣旨になります。

 

>> 自民党のHPにも書いてある

池田勇人総裁時代 | 歴代総裁 | 党のあゆみ | 自民党について ..

https://www.jimin.jp/aboutus/history/4.html

「国民所得倍増計画」は、岸内閣時代の新長期経済計画よりさらに長期的展望のもとに、国民総生産を十年間で二倍以上、国民の生活水準を西欧先進国並みに到達させるという経済成長目標を設定し、これによって国民多年の宿願であった完全雇用を達成するだけでなく、国民各層間の所得格差の是正をはかることをめざした、きわめて意欲的なものでした。

 

さらに(1)減税、(2)社会保障、(3)公共投資を三本柱として経済成長を推進した結果、民間経済の潜在的エネルギーをたくみにひき出して、"世界の奇跡"といわれる高度の経済成長をとげました。つまり、同計画では、当初の三年間は年率九パーセントの成長を想定していたのに、現実には一〇パーセント以上という予想を上回る大幅な成長をとげ、国民所得は十年間で倍増する想定だったのに、わずか四年余で目標を達成するというめざましい成長だったのです。

 

この結果、国民生活は豊かになり、民心は安定し、岸内閣時代のような険しい政治的対決といった様相は、まったく姿を消しました。このような政治的安定と政策的成功を背景に、自由民主党に対する国民の支持は高まり、三十五年十一月の総選挙では、繰り上げ当選者を加えると三百一議席という戦後最高の議席を獲得し、三十七年七月の参議院議員選挙でも、全国区二十一、地方区四十八の合計六十九議席という圧倒的勝利を得たのです。

 

まさに圧倒的です。

 

>> 【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール<10>

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の10回目。高度経済成長の立役者、池田勇人について解説します。

https://pdmagazine.jp/trend/ikegami-akira-profile10/

1960年(昭和35)に総理になると「所得倍増計画」を中心政策として掲げ、目標を上回る成果をあげています。その結果、日本は先進国の仲間入りをすることとなりました。その象徴ともいえる1964年(昭和39)10月の東京オリンピック閉会式の翌日、病気(喉頭こうとうがん)療養のため退陣を表明しました。

 

>> さらにウィキなど調べると

 

戦後、初議員から大蔵大臣となり、吉田茂の右腕として働き、ドッジと共に戦後インフレを終息させ、冷遇された岸内閣にも「1000億減税、1000億施策」と献策し、財政投融資の前身ともなる住宅金融公庫を作り、高度経済成長の下地を作っておき、国債なしでここまでやりきり、翌年癌で亡くなりました。

 

戦後の日本への復興融資で5億ドルを貸し付けられ(ガリオアエロア資金)、1ドル360円ですから1800億円。終戦の1945年の国家予算は215億円だから、まさに借金漬けになりましたが、彼だけの功績でもないですが、日本は順調に経済成長し、1965年の国家予算は3.7兆円。さらに成長は続き、借金は相対的に大したことのない額となっていきました。

 

明治から平成の歳入、歳出の年間推移

https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/revenue_and_expenditure.html

 

ちなみに国債の再開は1965からです。自民党の方にも書きましたが、それでも減税しながら財政出動ですから「増税しないとお金がない」という現代の政治家は、これを説明すべきですね。世界の奇跡と呼ばれた日本の高度経済成長の歴史ですから、まさか知らないとは言えません。高度経済成長を知らない、なんて言ったらモグリもいいところです。なんで政治家やっているのか、となります。

 

池上彰氏も、最近消費税35%にしないといけません、と公言したみたいですが、池田勇人をしっかり調べて知っているなら、そんな言葉は出てこないはずです。受け売りの勝手な話ばかりで炎上ばかりするわけですね。

 

そもそも、国家予算が1867年は3000万円しかなかったのに、現代は100兆円超え。税金は民間と政府をループしているだけなのに、政府支出はどうやって増えてきたのか?という話ですね。当然ループの外からお金を入れてやらねばいけません。この時点で税金は根本的な財源ではない、とわかりますね。

 

1965年の国債再開前は日銀からの小遣い制、1965以後は国債発行からのお金をループに投下して経済成長してきました。そうして、現代はさておき、過去の文明開化から恐慌の脱出のためにと、ときの政府は財政出動を行ってきたのでした。

 

 

>> すべての子供が3食を食べられない国は先進国なのか?

 

そもそも、消費税を肯定するというのは、庶民にもっと飢えろ、という話になります。こども食堂が流行っていますが、逆に言えば子供に3食を食べさせることができない家庭がたくさんあるということです。もし消費税を廃止すれば、10%のお金が浮きます。すると、そういった貧困層は大変に助かるわけですね。

 

それだけではありません。低所得ということば、教育格差も発生するし、所得格差も発生します。菅官房長官は「消費税は教育費に使っている」と述べているようですが、衣食足りて礼節を知る、という言葉を知らないのでしょうか?衣食住という言葉もあるように住まいもですが。

 

さらには、低所得層はお子さんのいる家庭だけではなく、独身でも結婚や交際のお金がない人もいますし、出産費用のない家庭だってあるはずです。つまりお金を使いたくても、使うためのお金が足りない。

 

だから「平等に取る」逆進性の高い消費税は人頭税のようなものです。ない袖を振らされているようなものです。だから袖のある累進性の所得税や法人税の方が理にかなっているわけです。黒字の彼らから取っても、彼らは飢えるわけでもありません。

 

しかし、自民党政治は庶民を飢えさせ、黒字の彼らをさらに儲からせていると。さて、全ての子供がお腹を満たせない社会は先進国と言えるのでしょうか?私は途上国だと思います。

 

そも、経済成長をするためには、6割を占める消費を向上させることが必須ですから、消費を抑制する消費税はおかしいわけですね。

 

 

>> ウィキは3つあります

池田勇人

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA

所得倍増計画

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E5%BE%97%E5%80%8D%E5%A2%97%E8%A8%88%E7%94%BB

池田勇人内閣の政策

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA%E5%86%85%E9%96%A3%E3%81%AE%E6%94%BF%E7%AD%96

国民所得倍増計画は経済政策として劇的な成果を上げた。計画の数値目標は1960年度の国民総生産額である13兆6000億円の2倍、26兆円を10年以内に達成するというもので、1960年度から年間平均11%の経済成長率を維持し、以後3年で17兆6000億円に到達させることが中期目標とされた。

 

しかし日本経済は予想以上の成長を遂げた。実質国民総生産は約6年で、国民1人当りの実質国民所得は7年(1967年)で倍増を達成した。経済成長率も驚異的な記録を見せ、計画開始1年目(1961年度)にして早くも目標が達成された。

 

経済大国の礎を築く

池田は貿易自由化を推進、開放経済体制への大胆な移行を果たし、日本の国際的地位も向上させた。1963年2月11日、OECD加盟申し込みを言明し、翌1964年4月28日に悲願のOECD加盟を果たし、非欧米唯一の経済先進国としての地位を獲得した。1955年のGATT加盟からOECD加盟までの期間はわずか9年であった。

 

またそれまでIMFで経済力に不安のある「14条国」として扱われていた日本はこの年、先進国と同等のIMFの区分で「8条国」(国際収支上の理由で為替制限ができない国)へ移行[280]、"世界の奇跡"と称された高度経済成長を実現させた。

 

1960年にスローガンに掲げた「所得倍増計画」は、日本のGNP13兆6000億円を1961年ー1970年まで10年で2倍とするとしていたが、この目標はわずか4年で達成された[291]。10年の平均では10.6%を記録し、日本はおろか世界史的にも空前の高度成長を達成した[292][293]。就職難から人手不足の時代へ数年で転換させて目標としていた完全雇用も実現し[293]、二重構造も是正された[293]。

 

1964年9月7日、池田がオリンピックと共に東京開催を待望していたIMF・世界銀行の年次総会が日本で初めて開かれた。池田は総会で演説を行い

 

「IMFの皆さん、日本の爆発的なエネルギーを見て下さい。明治維新以来、先人の築き上げた教育の効果が驚異的な日本経済発展の秘密なのです...戦後19年間、日本経済が達成した高度成長は、われわれが重化学工業国へと転換したことによるものです...アジア諸国の人々よ。君たちがいま、独立にともなってうけつつある苦難は、敗戦以来20年、われわれがなめつくした苦難でした。そこから1日も早く抜け出して下さい。その手がかりを見出すことこそ、IMF東京総会の意義なのです」

 

などと述べ、OECD加盟とIMF8条国移行により、名実ともに日本が先進国入りしたことを世界各国に印象付けた。

 

1964年10月に開催されたアジア初のオリンピック東京大会は、池田内閣の高度経済成長政策による経済的繁栄を鮮やかに象徴する世紀の大祭典であり、世界に類を見ない奇跡の経済復興を外国に知らしめ日本の威信を著しく高めた[1][79][177][301]。

 

3つ目からの引用でした。このほかにも「何にお金を使うか」がよく考えられています。長期計画づくりもブームになっていたとのこと。現代の無為無策、口だけのごまかしや嘘に終始する姿勢とはまったく違いますね。

 

というわけで紹介ばかりになりましたが、国民所得倍増計画でした。

 

皆さんぜひ「所得倍増計画を知ってあったの知ってる?」「池田勇人って知ってる?」と広めていってくださいね。

 

◆ よかったら、クリック、ツイート、よろしくお願いします ◆

画像をクリックすると、ブログランキングのサイト順位が表示されます。

CTRL押しながらクリックで、見ているページを消さないで、新しいページを開けます。



人気ブログランキングへ

 

----編集後記----

 

さて、こうして紹介すると現代の政治がどうであるか比較して見てしまうわけですが、自民党の総裁選で落胆するのではなく、もう次の選挙を見据えていきましょう。所得倍増計画は実績であり緊縮財政の急所でもあります。