>> 結論
さらなるドル安、円高への一手。
>>
前回はカーターショックまで説明したのでその続きです。結論はドル安円高で簡単なんですけどね。
と、世間はコロナなのに、なぜか相場の話をがっつり書いているtasanです。辛い。マクロ経済のグラフの相関チェックしている方が簡単なんですけど。。
自粛休みも続きますが、ボードゲーム、おススメです。2000-3000円で安いのもあり、子供と使えて、お年寄りも参加できて、といろいろありますからね。ボードゲームカフェも東京、仙台にも増えて来て、youtubeにおしゃれな感じで動画もあり。とまぁ、余談はこのくらいに。
>> プラザ合意
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E5%90%88%E6%84%8F
「実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。これがプラザ合意である。」
まぁ、一言でいえばコレです。最初のグラフの通りですね。やったことは、複数の国で、ドル安円高になるように取り組んだことです。
「協調介入が特殊なものだとみなされる理由として、為替レートの誘導目標をあらかじめ公開する点があげられる。これは一般に単独介入が誘導目標を公開しないのと対照的であり、このため市場参加者の思惑売買を誘導することが可能となる。プラザ合意後、竹下が「円-ドルレートは1ドル=190円でもかまわない」と声明したことを受けて一気に円高が進んだ」
1985.9.22.プラザ合意
「日本においては急速な円高によって円高不況が起きる(輸出企業がダメージを受ける)と懸念されたが、日本銀行は公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った」
→公定歩合は、日銀が民間の銀行に貸し付けるときの金利です。引き下げると、銀行がお金を借りやすくなるので、GDPの民間投資を引き上げる効果があると考えられます。が、それをやらない。コロナなのに貸付すらしないのと同じような状況です。
→また、コール金利とは、銀行間でお金を貸し合う、コール市場での金利です。それも引き上げて、銀行の資金調達を阻害しました。コロナなのに、貸付条件を厳しくしたような状況です。
以下は以前紹介したコール市場の図解
まとめると、1985年の政府「何やってくれてんの!?」って状況です。ちなみにこのときの総理大臣は中曾根康弘。
長いですね。どんな人かと見たら、もうしっちゃかめっちゃかやってくれた人でした(悪い意味で)。それは置いとき、話を戻すと、
「このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていた。」
当然こうなります。なので、翌年にはすぐ撤回。
1986.公定歩合の引き下げ
「その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからだった。」
そして、プラザ合意は効きすぎてしまい、協調介入やめ!の合図。
1987.2.22.ルーブル合意でストップ
「その後、進みすぎたドル安に歯止めをかけるべく、為替レートを安定させるために1987年、再び各国が協調介入することをうたったルーブル合意が結ばれた。」
しかしながら、固定相場暴落時と同じで、すぐには止まらず、ドル安は進行。
ついでに機関投資家が悪さしてブラックマンデー。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-09-24/2005092404_01_4.html
ブラックマンデーには触れませんが、基軸通貨国であるアメリカ、それから戦後から外貨準備を稼いで円高、マルク高になってきた日本、西ドイツは、為替介入で株価ダメージは少なかったらしいです。他の国は甚大な被害。それはさておき。
「プラザ合意によるドル高是正がゆきすぎたのは、ユーロ円債の大量発行という強力な手段が採られていたからであった。」
>> ユーロ円債って何?
結論から言えば、外国の企業が、日本に来て、株を発行したようなものです。まぁ、株じゃなくて、債券という商品です。しかも円で募集するから、ただの円建て債権。つまり円債。よって、円も書く必要がなくて債権。だから、債権という商品。
「我々が〇〇に投資しますので、一口乗りませんか?あ、支払いは円でいいですよ(円建て)」
まぁ、外国企業の投資信託みたいな?なお、投資信託とは、自分で投資するんじゃなくて、プロにお任せで投資することです。
意味の説明は以上となります。
つまりは、外国企業が、日本に来て「余ってる円を貸してよ!儲けて返すよ!」って始めたわけですね。だって、プラザ合意で、ドル安円高になるのはもう確定みたいなものですから、円で持っていたい。どうせなら、円を寝かせているんじゃなくて、さらに円で稼いでおきたい、と。
そして、集めたお金で、ファンドというデイトレーダーの集団が、日本の資産を買い漁る。株から土地から建物から、ですね。はい、バブルの予兆です。ざっくりはこんな流れかと思います。
一応プラザ合意に触れることができました。できましたが、ここからは密接に絡んでくるバブルの話に繋げていきたいと思います。プラザ合意の結果、何が起きて、どうバブルに繋がったのか。
>> 言葉の説明は以下ですが、面倒なので読み飛ばしても構いません
ここで言うユーロとは、ヨーロッパの貨幣のことではありません。ここでのユーロとは「国外のお金」転じて「国際金融市場(オフショア市場)のお金」という意味です。確かに、最初は「ヨーロッパ以外での債権という商品を指してユーロ債」と呼んでいましたが
「どうせ国際金融市場(オフショア市場)で扱うなら、ヨーロッパの債権商品でも、ユーロ債って呼ぶべ」となりました。
ついでにユーロダラーやユーロユーロなどの説明です。
1.ユーロダラー。これはユーロ・ドルの意味で、アメリカ外にあるドルって意味です。
2.同様にユーロユーロはヨーロッパ以外にあるユーロ。
3.ユーロ円は日本以外にある円という意味になります。
こういう国外通貨をそのまんま横文字でユーロカレンシーと呼びます。まぁ、ドル、ユーロ、円であることには変わりませんね。
で、途上国だと、自分の国のお金より、ドルの方が信用されているから、ドルを自国貨幣のように運用して使うので「ドルがほしい」という需要がありました。←外で使われるから、そのまんまユーロ(国外の)ダラー。
こういう国外通貨ユーロカレンシーが、国際金融市場(オフショア市場)で使われます。
ユーロカレンシー
オフショア市場
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A2%E5%B8%82%E5%A0%B4
具体的にどこでやってるかは、13箇所(国)からスタートしたみたいですね。オフショア市場(場所)を提供する国は、国際銀行業を呼び込むために、規制を緩和し、課税などを減免する措置を取ってくれる途上国が多いようです。あと詳しくはwikiをどうぞ。
だいぶ脱線しました。というわけで、ユーロ債の話に戻ります。
>> ユーロ円債の大量発行
ユーロ債(債権という商品)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AD%E5%82%B5
ユーロ円債が自由化されていく発端は、1980年の(外資法廃止をともなう)改正外為法の成立である。1985年9月のプラザ合意を経てから本格化していく。本から見た一連の外圧は、ドル放出と日本円取得を企図している(ドル安円高)。アメリカの立場だけを考えれば、その目的は経常収支の改善にあった。
ここまでは今まで述べた通りです。
しかしユーロ市場の機関投資家は、直接または間接にユーロ円債を発行して、その調達した資金を日本株に投下したかったのである[13]。
ドル安円高が確定で、値上がるからかな?と。デイトレーダーの集団が目を付けたと。上の方で述べた通りです。
オーバーローンで系列化していた日本経済を機関化するべく、政治・経済の両面から迫っていった。非居住者ユーロ円債は円建て外債と日本円を取り合う関係にあることも憂慮されて、日本の系列経済としては自由化したくなかった。しかし結果的に押し切られていった。
はい。また用語説明のターンです。wikiは詳しい人が書いているんでしょうが、難しいですねー。
オーバーローン 昭和44年 年次経済報告 豊かさへの挑戦 昭和44年7月15日 経済企画庁
https://www5.cao.go.jp/keizai3/keizaiwp/wp-je69/wp-je69-02301.html
銀行からお金を借りるとき、余分に借りておくことですね。
系列化
https://kotobank.jp/word/%E7%B3%BB%E5%88%97%E5%8C%96-59233
貸付してくれる銀行を含め、中小企業間で、株や社債を持ち合っているような。言ってしまえばグループ会社みたいな感じの状態。
機関化
https://kenzei.info/dictionary/%E6%A9%9F%E9%96%A2%E5%8C%96%E7%8F%BE%E8%B1%A1/
で、系列化だと、参入できなくて面白くなかった外国のデイトレーダー集団もといファンドが、文句つけるわけです。そういうのやめろ、俺たちにも買わせろ、と。
そうした彼らが、円を募集するわけです。「運用して、儲けを返すから一口乗らないか?」と。それがユーロ円債。で、円を募集している外国組織には、円建て外債を募集している普通の企業や国家があります。
円の募集が競合するから、もともと円建て外債を募集していた外国政府の担当者からすると嫌ですが、ファンドは「知るか」と、ユーロ円債を大量発行したわけです。
その結果、どうなったか?めちゃくちゃ緩和されていきます。そりゃ円高は止まりません。投機家は買いたい、日本政府は緩和しまくる。誰も止めない。
ユーロ債
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AD%E5%82%B5
>> 発行ガイドライン緩和
1984年5月の日米円・ドル委員会報告書で、以下の非居住者ユーロ円債発行ガイドライン緩和が発表された(12月実施)。
国際機関・外国政府に加え、外国の州・地方政府、政府機関、民間企業も発行できるようにする。 適債基準について、公共債はAAA格からA格以上に緩和すること。 民間債はA 格以上かつ円建外債(民間債)適債基準を満たすものが発行可能となること。
従来年間の発行件数は6-7件とされていたが、今後は発行件数および1件当たりの発行額について無制限とすること。
従来ユーロ円債の主幹事は本邦証券会社に限られていたが、これを外国業者にも開放すること。[14] 1986年4月には民間債の適債基準を全面的に格付制度に移行し、公共債と同様にA格以上のものは無条件で発行が認められた[14]。
合衆国の格付け制度は投資顧問会社が実務を掌握していた。1992年3月には世銀のグローバルボンドを還流制限の適用除外とし、内外同時募集を可能とした[14]。 ※
※ 還流制限とは、ユーロ円債という債権商品を、日本人に販売して、お金を集めることを禁止すること。
これを撤回させ、日本人からお金を集められるようにした。
翌年7月には格付を取得しない場合でも発行を認めることとし、ここで非居住者ユーロ円債の適債基準は撤廃された[14]。1995年8月、非居住者ユーロ円債の還流制限が全廃された[14]。
>> 事後報告制と結果
旧外為法上(法第21条第1項第2号)、かつて非居住者ユーロ円債の発行は大蔵大臣の許可を必要としていた。1995年月より、有効期間1年間の包括許可制度が導入され、一度許可を受ければその後一年間は事後報告のみで証券を発行できるようになった。
1998年4月1日から施行された改正外為法により、許可制度は廃止されて事後報告制となった。[14]
膨大な非居住者ユーロ円債を日本の機関投資家も消化することになり[13]、巨額の外貨準備と動かざる円高を生じた。
外貨準備高が増えるのは、政府と日銀が、為替市場に、円を放出して、外貨を買うことです→円の総額を増やすので円安に振れます。ルーブル合意後は、ドル安円高を止めたかったのだから、日本サイドは円を放出して、外貨をストックしまくったんですね。
しかし、ユーロ円債の商品が大量に発売されたので、それを買いたい外国人勢が、為替市場に、外国通貨を放出して、円を買いまくった(円高)→その勢いは止められず、そして、両替した円で、円債商品を購入した、という流れでしょうか。
円で募集されているからといって、買ったのは日本人だけではない、と。
そして
1993年に5.1兆円だった発行高は急上昇した[14]。1993年9月には、天安門事件後の中国政府財政部が300億円のユーロ円債を発行し、国際金融市場に復帰を果した[15]。その後、中国は会社法と証取法を制定し、外貨を吸って香港ごと機関化した。
中国も円を確保し、円高の値上がりで儲けて、そのお金で、香港の会社の株などの資産を買いまくった、ってことですかね。日本の各地が中国に買われているのと似たようなものか・・。
翌1994年になると、1月よりソブリンもの(外国政府、国際機関等)が発行したユーロ円債につき、90日間の還流制限が撤廃となったので、2024件10兆1,942億円の発行となった。
ソブリン(君主とか王国の意味)債とは、外国の政府機関などが発行する債券ですね。国債みたいなもの。それの円債ですから、円でお金を募集したってことですね。円建て外債みたいなものか←外債は外国で募集する←現地の通貨がお金集めやすいのは当然。
で、これも還流制限が撤廃ということで「日本人も買っていいよ、お金貸してよ!」とできるようになりました。
1995年、8月のソブリンもの以外の還流制限撤廃というプラス要因が働いて2,509件、10兆8,845億円と引き続き高水準の発行状況となった。1996年は、4777件、12兆9,099億円の発行となった。件数の増加はMTNプログラムを利用した小型の起債が多かったためである。
MTNプログラムは、債券の発行規定だそうです。要するにこれも債権という商品を発行する話。起債とは、そのまんま、債権を発行して、募集(販売)すること。
金額の増加はBIS規制対策のために邦銀などの現地法人や海外のSPCを利用した大口の発行がみられたこと等による。
BIS規制は、国際業務を行う銀行の条件規定です。足きりみたいな。それに引っかからないように、SPC:特別目的会社、ようするに会社、などを利用していたとか。
1997年は9月に695件、2兆5,704億円と1カ月の発行で過去最高を記録し、
年間では6074件、17兆8,726億円と年間の記録を更新した。
1998年は3264件、12兆3,286億円。
翌1999年は3,963件、13兆9,182億円。
2000年は4165件、16兆7,719億円。
2001年は5201件、17兆2,567億円に達した。[14]
件数 金額
1997 6074 17兆8726億円
1998 3264 12兆3286億円
1999 3963 13兆9182億円
2000 4165 16兆7719億円
2001 5201 17兆2567億円
あと詳しくはwikiを眺めて見て下さいませ。ある程度読みやすくなっていましたら幸いです。
ユーロ債
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AD%E5%82%B5
とりあえずは、実経済として、無理やりに系列化を解除され、資産を外資に買われたのはいい迷惑ですね。儲かればいい、もうからないと文句をつけるぞ、というデイトレーダーはハゲタカと一緒ですから。香港も接収されてしまいました。
というわけで、長くなりましたので、バブルへ続きます。
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----編集後記----
書いてるうちに長くなりました。こんなはずでは。。
結構内容が難しいし、誰も平易に解説がありませんので苦労しました^^;
またツイッターにもいろいろグラフが溜まってきたので、こちらでも上げておきたいのですが。
それから、そろそろ政府から10万円の給付、届きましたか?うちはまだです。。
いただいて使わないと、私たち一人一人が財政出動の機会を潰すようなものなので、ぜひ受給しましょう!