今日は完全に不登校関係ないです。

不登校というか、子供関係ない、

私事です。

頭の整理と忘れたくないので

記録として書こうと思います。

なので、ここでそっ閉じでお願いします。









 




先日、父が亡くなりました。

半年間の入院生活の末でした。


肺が悪く、ここ数年は

入退院を繰り返していて、

半年前、お風呂でふらついて、

転倒してお風呂のドアを割るほどぶつけ

救急で頭を少し縫って…

後日、消毒などに外来に行ったら

酸素飽和量が規定値より低くて…

そのまま入院…本人自覚症状なかった…

確かに、救急にかかっとき、

1回目数値が低くて何回かはかってた…

1回目以外は大丈夫だったんだけどなぁ

本人はお風呂でふらついたのは、

転んだと言っていたけど、

実は一瞬の意識喪失やったかもしれん…



入院中は、肺炎になったりコロナにもなった。

肺炎になった時は、

病院から夜に呼び出され、

ステロイド投与の説明をされ、

効かなければそのままと言われた。

でも薬のおかげで持ち直し、

リハビリができるまでになった。

その後、治療は終わったから

その病院から退院か転院するか…

自力で立てない状態だったので、

リハビリ目的で転院することに。

転院先を模索している時に、

コロナになったけど、

そちらも無事に完治して転院。


リハビリ目的の入院なので、

2ヶ月しか入院できない。

初めの1ヶ月はなかなか

リハビリも進まなかったが、

その後、本人も頑張り、

少しの補助で立てるようになり、

数メートルは手すりがあれば歩けるように…

ただ、家でお世話するには難しく、

間質性肺炎もあるため、

施設に入れようかどうか検討していた。

退院に向けてのカンファレンスの日程の前日、

一瞬の意識喪失により尻餅をついて、

背骨が少しつぶれてしまった。

そちらの治療のため、

退院が延期に…

リハビリもいったん中止…

その後、肺炎をおこし、

治り、

また肺炎になり…

このころから、

肺炎の周期が短くなり、

体力が削られていった。

取れていた食事も、

呑み込みができなくなっていき

お見舞いにいくたび、

家に帰りたいと言われたけれど、

現実的ではなく…

酸素量も増えたり減ったり…

少し記憶が昔に戻る時もあった。

数年前に畳んだお店…

私の目を見て、

明日でやめるから…

と言ったりしていた。

お見舞いの規制が厳しく、

あまり行けなかった。

私の最後のお見舞いの帰り際、

タイマーが鳴ったので、

またね✋って帰ろうとしたら、

一緒に帰ろうとして、

布団をあげてベッドから降りようとした。

自力では立てないのに…

帰りたかったんだろうな。

その後、また肺炎になり、

先生から会わせたい人がいるなら、

会わせてあげてくださいとの連絡があり、

人数制限があるので、

1日目は子供達と母が行き、

私は次の日にいく予定だったが、

夜中に病院から電話があって、

間に合わず、

そのまま逝ってしまった。

前日に母が会えたのだけは、良かった。


昔から父が苦手だった。

なぜかは分からない。

明確な理由があった訳ではないけれど、

学歴主義だから合わなかったのか…



でも子供が産まれ、

父としては苦手なままだったが、

祖父としては孫を可愛がってくれて、

感謝している。

お店をしている時は、

かき氷を作ってくれたり、

手作りシフォンケーキをくれたり、

野球の練習をしてくれたり、


2人が不登校になっても

一緒に住んでいるから、

目の当たりにしてるけど、

心配していても、

何も言わずに見守ってくれて、

変わらずに接してくれて…

無口だから、

あまり会話はなくても、

孫を大切にしてくれてた。





おじぃちゃん、

ありがとう。

もう、呼吸も苦しくないね。

これからも、

見守っていてね。