渋谷La.mama とワタシタチ | タルイ工房 新ネコ日記

タルイ工房 新ネコ日記

墨アーチスト・イラストレーター垂井ひろしの日記です。ネコの観察日記ではありません、念のため。

2月20日に
喝!タルイバンドは
渋谷のライブハウス La.mamaで
「レコ発」(レコード発売記念ライブ)を
やらせていただく。

ラママとの付き合いはかなり長い。
とはいうものの、
毎月、レギュラーで出演させてもらった
というような継続的なお付き合いではない。


最初に出たのは、82年の夏。
あるバンドから対バンで呼んでもらった。
その頃は新宿JAMを中心に活動してて
時々、新宿ロフトに出たり、
翌年から、
四谷フォーバレーと渋谷屋根裏が
活動の拠点になったので、
その後しばらくラママに出る機会はなかった。


87年、ザ・バンカース!に改名した前後は
すでに屋根裏が閉店してたので
横浜のビブレと原宿のクロコダイル

そして渋谷のラママが活動の中心だった。
でも、毎月って感じではなかった。

その後、しばしの活動休止があって
再開後は
また四谷フォーバレーに戻った。
ここでしばらくレギュラーとして活動して、
その後、下北沢、秋葉原、吉祥寺、大岡山を経て
外苑前だったり、秋葉原に戻ったり。


そしてまたまた、ここ数年は

ラママのお世話になっている。
秋葉原とラママだったり
HEAVEN青山とラママだったりだが、
旧知のギタリストであるウエダンドさんが

ラママの外部スタッフとして
ブッキングに関わるようになったからだ。
喝!タルイバンド30th.も

ラママでやらせてもらった。
結成30周年ではなく、
現在のトリオになって30周年、

ということだったと思う。

 

 

ラママ初出演の話に戻る。
82年の夏。

E-Janという5人組のバンドに
対バンとして誘われた。
82年当時の喝!タルイバンドは
現在のトリオではなく
Vo.コレスミ、G.進藤、
B.垂井、D.鮎川の4人編成だった。
E-Janの最年長でベースの人が
対バンで出ないか?と誘ってくれた。


確か、最初に話があった時は
ショーボート、という店名だったと思う。
出た時にはラママになっていた。
店名だけが変わったのか、
経営者が変わったのかは知らない。
ちなみに、ショーボートという名前のお店、
今は高円寺にある。
キースムーン追悼やジョンエントウィッスル追悼など
The WHOトリビュートでずいぶんお世話になっている。
渋谷にあったショーボートと
今の高円寺のショーボート、
たまたま店名が同じなのか、
移転とか何か関係があるのかは知らない。

 


E-Janはギターが2人の5人編成
(つまりストーンズと同じ)、
2人のギタリストのうち、
1人は、他のメンバーと
ちょっとレベルが違うなって感じがしてた。
バッキングギターだったから
技術のほどははっきりとはわからなかったけど
長めの顔にずり落ちかかった眼鏡
ギターを弾く佇まいがプロっぽかった。
演じてるキャラクターが出来上がっている感じだった。
彼は、いまみちともたか さん、といって、
僕等より少し歳上で穏やかな感じの人だった。
いまみちさんも
喝!タルイバンドに関心があったのか
後日、会う機会があったり
ごくたまにだが、
連絡をしたりする関係になっていた。

ラママでの対バンからほんの数ヶ月後
いまみちさんはドラムのコイソを連れて
E-Janから脱退した。
そして、その年の暮れだったか新年だったか、
バービーボーイズという
新しいバンドを始めたから
見にこないか、という連絡があって
四谷のフォーバレーというライブハウスに
初めて出かけた。
ここは、元は演劇用の小屋だったそうで
当時のライブハウスの中では異常なくらい
照明機器が充実していた。

 

ここで、はじめてバービーボーイズ
という男4人組のバンドを見た。
楽曲はどれも洗練されてて、プロっぽかった。
演奏も洗練されててまとまっていた。
いまみちさんはギターアンプのJCを
ステージの左右に離しておいて

ステレオで鳴らしていた。
そういうギタリストを見た事なかった。
音は、ポリスのアンディーサマーズみたいだった。
Vo.コンタはとにかくハイパワー。
おまけにソプラノサックスという
縦笛みたいな珍しい楽器を吹いていた。
ベースはクレイチロウ、という人で
なんだか地味で風采の上がらない男だったが
抜群のグルーブ感でベースをうならせていた。
ドラムはコイソ、堅実で上手かった。

バービーボーイズがスタートした頃
こちらも変化があった。
Vo.のコレスミに満足できなくて
辞めてもらって、トリオに戻ろうかな
と考えていた時、
有頂天とカーネーションを見に

あるライブハウスに出かけた時のこと。


話はしたことないけど
お互いに知ってはいるレベルの関係の
杏子さんに会った。
杏子さんはハスキーで低音で
ド迫力な女性ボーカル。
思い切って話かけてみた。
「今はバンドやってるの?」
「いや、卒業が近いから解散しちゃって
今はやってないよ」
彼女は大学4年だった。
「じゃ、ウチのバンドで歌ってくれませんか?」
と誘ってしまった。
喝!タルイバンドと合うのか合わないのか
考えなかった。
直感的にド迫力のボーカリストと
一緒にやってみたいと思った。

トリオに戻る方針だったのに
進藤と鮎川さんに
女性Voを誘った、と報告して驚かれた。
女性っていっても、声低いし、
パワーあるし、ハスキーで凄いよ、
と説明した。

 

リハーサルが始まった、
すごいすごい、
パワフルである。

思ってたより声が低い。
コレスミ時代と同じく
僕が上でハモる。

明らかに合わない曲も多々あったけど
格段に迫力の出た曲もあった。
合う曲を中心に組み直していった。

 

その頃は、

今と比べると動員も多かったんだけど
杏子姐さんが加入した

新生 喝!タルイバンドは

さらに観客動員が増えた。

早速、いまみちさんもライブを見にきた。

 

その頃は月に2、3回くらいのペースで
ライブをやってて、
それでも観客動員に苦労もなかった。

そして、バービーボーイズから
フォーバレーでの対バンのお誘いがあった。

これが長くつづく
四谷フォーバレーとのきっかけになった。

 

そして、
喝!タルイバンドが今までレギュラー
という形で出てた老舗ライブハウスは
四谷フォーバレーと
渋谷屋根裏だったと思う。
(でも、フォーバレーは老舗って感じが
いまいちないけど、なんでだろう?)

 


ついでに渋谷屋根裏との出会いも書いておく。
新宿JAMを中心に、たまに新宿ロフトに出てた頃、

まだ無名だった有頂天のケラがやって来て
「屋根裏に有頂天の対バンで出ないか?」
と誘ってくれた。

彼は「ダンスそうじき」を気に入っていたみたいだった。
「オレたちなんか、屋根裏に出れるの?」
と聞いたら、

ケラは「ぼくが話せば大丈夫」
と言って、本当に屋根裏出演が決まった。
屋根裏はRCサクセションなどを輩出した
すでに超有名店だったので

「屋根裏に出る」と言ったら

まわりが「スゲー」と驚いていた。

有頂天との対バンの後、
最初は、屋根裏の昼の部にも出た。
渋谷の土曜や日曜の昼の部ってのが
なかなか良かった。
ライブやって、ひと汗かいて
まだ明るいうちに帰る。
お客さんもライブ見て
それから渋谷の街でお買い物とか
デートとか。

 

で、長々書いておいて
結論もオチもなくて恐縮なのだが、
新宿JAM、新宿ロフト、
四谷フォーバレー、
渋谷屋根裏、
お世話になった老舗は
みんななくなってしまった。

お世話になったことがあって残ってる老舗は
ラママだけかな〜。
(クロコダイルも一時期お世話になったけど
だいぶご無沙汰になってしまっている。
西さん、お元気ですか?)

いろんな歴史と思い出を込めて
渋谷ラママでやらせていただきます。