先日、
京王線の府中に行く機会があり、
天気も良かったので、
ちょっと足を延ばし
かなり久しぶりに国分寺を
訪れてみました。
私は19歳から14年間、
国分寺に住んでいたのです。
あらためて言うまでも無いですが、
府中は武蔵國の国府があった地、
国分寺は武蔵國の国分寺があった地、
であります。
奈良時代に聖武天皇が
仏教で国を守り
世を安定させようと
全国の國、それぞれに
国分寺と国分尼寺を
建立するよう命じたのが
「国分寺国分尼寺の詔」
中学高校の授業で教わりました☝️
というわけで、
府中と国分寺を結ぶ
国分寺街道をテクテクと北上。
東京農工大学農学部
バンドの結成時メンバーでもある
幼馴染の友人が行っていた大学。
国分寺のアパートから自転車で
何度かここの学食でお昼を食べたなぁ。
おっと、ここの学祭でも
何度か我がバンドのライブを
やらせてもらったのでした。
懐かしい。
引き続き、
国分寺街道を北上。
明星学苑の前を通過。
東元町三丁目交差点を左折
元町通りを西に進む。
元町通り、
こんなに細い通りだったか。
しばらく歩くと
「お鷹の道」の入り口です。
変わってないな。
でも、水量が少ないのが気になる。
「お鷹の道遊歩道」は、
国分寺崖線の湧水による
小川に沿った遊歩道で、
江戸時代、この辺りは
徳川御三家、尾張藩の
御鷹場(鷹狩り場)であったので
お鷹の道と呼ばれるようになりました。
お鷹の道の小川は
国分寺市内を流れる野川に合流、
野川は三鷹市、調布市を流れ
狛江市で多摩川に合流、
そして東京湾へ流れ込みます。
この遊歩道に面したアパート
「コーポお鷹の道」
に住んでおりました。
もう何十年も経つのに
ぜんぜん変わってない。
あぁ懐かしい。
お鷹の道の小川の水は
本当にきれいで、
私が住んでいた頃から
ホタルの保護活動が行われています。
現在もホタルの幼虫のエサになる
カワニナの保護活動が続いているようです。
お鷹の道に住んでいた
ずいぶん昔のこと。
ある日、風邪を引いて熱を出し、
平日の午前中、寝ていると
ワイワイガヤガヤ
何やら外が騒がしい。
布団の中で
聴き耳を立てていると
どうやら遊歩道に
たくさんの子供たちと
引率の先生が来ているようだ。
「では、放流します!」
とか言ってる!
どうやら子供たちが
お鷹の道の小川に
何かを放流したようだ。
いったい
何を放流したんだ?
熱と薬で
ぼんやりした頭の中で
考える。
おいおい、まさか!
シャケの稚魚を
放流したんじゃないだろうな!
シャケなんか放流したら
海に戻って大きくなって、
1年後くらいに
お腹を赤くした大きなシャケが
遡上してくるぞ、
お鷹の道に!
お腹を赤くした
大きなシャケが何尾も
のたうつように
お鷹の道に!
大変だー。
はぁはぁ。。。
ゼェゼェ。。。
風邪が治って元気になって
後日知ったのですが、
ホタル保護活動の一環で、
小学生がカワニナを放流したらしい。
なーんだ。
シャケじゃなかったのか。。。
お鷹の道の遊歩道は
350mほど続きます。
小川の上流に向かって
ズイズイと進んで行くと
真姿の池があります。
真姿の池伝説は
省きます。
この辺りを
「お鷹の道真姿の池湧水群」といって、
国分寺崖線と呼ばれる連なった崖の
崖下から良質な水が湧き出ています。
なんと!
環境省選定の名水百選に
選ばれているのです。
お鷹の道に住んでいた頃、
ボトルで水を汲んでいる人を
時々見かけました。
でも最近は、
やはり湧き水の水量が、
減ってきているようです。
お鷹の道を更に西に進むと
武蔵国分寺があります。
観光客向けのカフェも出来てて
ちょっとビックリ。
武蔵国分寺跡
奈良時代、聖武天皇の詔で建立された
武蔵國の国分寺の遺構です。
金堂、講堂、七重の塔などを備えた
大伽藍だったそうですが、
鎌倉時代末期、
鎌倉を目指す新田義貞率いる討幕軍と
鎌倉を守る北条氏の幕府軍が
府中辺りで激しく激突
(分倍河原の戦い)
武蔵国分寺も戦乱に巻き込まれ
焼失したと言われています。
武蔵国分寺の楼門
武蔵国分寺跡のすぐそばに
再建されたのが
真言宗豊山派の武蔵国分寺です。
室町時代から再興され、
江戸時代に現在に伝わる伽藍が
整ったそうです。
さて、昔からあまり変わらない
お鷹の道、真姿の池、
武蔵国分寺ですが、
これより激変したと聞いている
国分寺駅北口に向かいます。
南口は私が住んでいた頃に
駅ビルができたり
大きく変わったのですが、
その後、
北口側も激変したそうなのです。
私が国分寺に住み始めた
1980年代、
国分寺の街は、
国分寺駅と中央線によって
南北に分断されていました。
私が住んでいた南側から
駅の北側に行くには、
入場券を買って駅を通るか、
(貧乏学生にその選択肢は無い)
駅から500m東側で中央線をくぐるか、
やはり駅から500m西側の
この花沢通りの橋を渡るかでした。
80年代末、
国分寺駅に南北自由通路ができ、
劇的に便利になったのであります。
\(^o^)/
橋を渡り、国分寺駅北口に向かうと
今も健在、
「だんごの輪島」
元プロボクシング世界チャンピオン
輪島功一さんのお店です。
国分寺に住んでいた頃
美味しくて何より安いので
時々買いに来ました。
お店に輪島さん本人がいることもあり、
穏やかな表情で
ニコニコしている輪島さんですが、
お釣りの計算をする時、
いきなりギロリと
鋭い目つきになるのが
印象的でした 笑。
怖いです 笑。
さて、やってきました国分寺駅北口。
うわっ
駅前に高層ビルが建っている!
ツインタワーかっ
(写真: 嘉多山信)
ありゃ〜、
なんだ!
このだだっ広い駅前ロータリーは!
かつての北口といえば
ロータリーといえるほどの広さは無く
ギリギリ、バス乗り場と
タクシー乗り場があったくらいで、
北口は、たくさんの小さなお店が
ひしめきあっていたのです。
あの喫茶店も、
あの書店も、
あの床屋も、
レコードと楽器の新星堂も、
美大生のよりどころ
画材屋の美正堂はなこ も、
消えてしまった。
時が経ったのだなー。
北口の変貌ぶりに驚愕した後、
気を取り直して
南口に戻ります。
バンドの練習の後
酒を飲むんじゃなくて
ガッツリ定食を食べに行ってた
居酒屋の赤城は無い。
おっ、
珍屋(めずらしや)は健在!
LPを買ったもんです。
おっ
ほんやら洞も健在!
中山ラビさんは亡くなりましたが、
息子さんが継いでいるそうです。
ほんやら洞って、
つげ義春さんの作品
「ほんやら洞のべんさん」が
由来なんだそうです。
そーだったのかー。
この度、初めて知りました。
散歩も疲れてきたので、
国分寺駅から
中央特快で帰ることにします。
国分寺から新宿まで
18分というのに
またしても大きな驚き。
かつて特別快速は
国分寺に停車しなかったし、
新宿まで30分かかりましたからね。
以上、
変わらないお鷹の道と
激変の国分寺北口
でした。