人は死ぬとき何を思うのか | 垂水のてるさんの釣りバカ日誌

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投げ釣りファンを増やすため神戸のアラ還釣りバカおじさんがポイントもコツも隠さずつぶやきます。

『人は死ぬとき何を思うのか』を読了。

 

 

 

 

9歳の時に二・二六事件で陸軍教育総監の父が目の前で部下に殺されるのを目撃した、クリスチャンで教育者の渡辺和子、

 

緩和医療医として1千人以上の終末期の患者の死を見届けた大津秀一、

 

疾病を治療する血管外科医から、延命治療が目的の特別養護老人ホームの常勤専属医となり、数多くの看取りをした石飛幸三、

 

納棺夫となり数多くの死者を見て湯灌を施した『納棺夫日記』などの作家の青木新門、

 

アメリカ生まれながら日本で第二次世界大戦を経験した宗教学者、評論家の山折哲雄、

 

 

それぞれの立場で死と向き合っている5人が、死について語っている。いや、死から見た生き方というべきか。

 

共通しているのは、死を恐れや嫌悪の対象ではなく、避けられない事実として受け止め、充実した生を全うする大切さを語っている。

 

緩和医療医の大津修一は、死期が近い現状をあきらめの境地で受け入れる「消極的受容」の人が多い中、肯定的に現状を受け入れようとする「積極的受容」が少数派ながらいて、その方が表情が穏やかで、後悔を感じずに最期を迎えているという。

 

また、抗がん剤治療が効かず、だいぶ弱った段階になったら、思い切ってやめたほうが寿命を延ばすことが多いように、最後まで病気と闘うよりも、死を受け入れて残りの人生の充実を楽しんだ方がより長く「生の時間」をもてる傾向にあるそうだ。

 

特別養護老人ホーム常勤医の石飛幸三の意見も考えさせられた。

 

老衰で食べた物を飲み込む機能が低下すると、ホームでは食事時間を長くかけられないのと、誤嚥性肺炎で病院に入院するリスクを避けるために、胃瘻や経鼻胃管から経管栄養を受ける措置をしがちだが、胃から食道に逆流して別の肺炎を引き起こしやすくなるそうで、胃瘻や経鼻胃管に疑問を呈している。死という休息の準備に入るために食べなくなるのに、無理に栄養を入れて延命させるのが本人の望む最後なのかと。

 

それで家族と相談して過度の栄養摂取は控え、延命治療の常識を大きく下回る1日600kcal前後のゼリー食中心の日々を続けたら、体重は大きく減るが、予想以上の余命を生き、いよいよゼリー食さえ食べられない状態となって、数日後に静かに眠るように息を引き取ることが多いそうである。

 

本人がほしがれば与え、後は自然の成り行きにまかせると、身体に負担をかけずにラクに眠るように逝くことができるし、亡くなる時期も予測できるので、家族も心の準備をしながら看取ることができる。

 

しかし、通常ホームは異変が起きたら病院に入院させることが当たり前になっているし、病院は老衰あるいは寿命だからと治療をしないと保護責任者遺棄等致死傷罪にあたるので、胃瘻や人工呼吸器で延命してしまう。したがってこうした自然な死に方をしようと思うと、本人だけでなく、家族とも希望を共有しておかねばならない。

 

無理な抗がん剤や経管栄養などはせずに、残りを人生を充実させて自然な死に方をしようとする方が、今は特殊となっているので気を付けたいと勉強になった。