納棺夫日記 | 垂水のてるさんの釣りバカ日誌

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青木新門著の『納棺夫日記』を図書館で借りて再読した。

 

 

 

 

母を亡くした15年前に初めて読んだときも心に沁みわたったが、先月に父を亡くして、再び読んでみて改めて名著だと思った。

 

映画『おくりびと』の原案になった作品でもある。

 

主演した本木雅弘が読んで感動し映画化したいと思ったが、脚本が納棺夫の仕事をかっこよく描こうとし過ぎていることや、撮影のロケを実際の富山でしないことから、青木新門さんが自分の作品でないと原作のクレジットを拒み、原作者でなく原案者となったいきさつがある。

 

生まれた子どものミルク代を稼ぐために、新聞広告の求人欄を見て冠婚葬祭会社に入り、亡くなった人の湯灌や納棺を専門にしていくようになり、生死について深く考えていく、青木新門さん自身の体験に基づいている。

 

小説のように始まり、エッセーの要素が混じり、後半は評論のようにもなるジャンルの型にはまらない不思議な作品である。

 

親に会ってほしいと言われたのを拒んで別れてしまった、かつての恋人の父親とも知らずに湯灌に行き、かつての恋人と再開したり、納棺の仕事を「親族の恥」と罵られて断絶した叔父の看取りを頼まれて、いやいや面会したら、叔父から感謝の「ありがとう」の声をかけられて、最後にわだかまりが解けたりといった感動的な最期の経験もあれば、死後数か月経過し腐乱した孤独死の納棺をしたり、妻から「穢らわしい」と拒否されたりする暗い経験もたくさん経験されている。

 

こうして多くの死と向き合っていく中で、死にゆく人がひかりの世界に導かれている不思議な感覚があり、短命だった宮沢賢治などの詩人にも同様の感覚の作品が数多くあることから、その意味を解明しようと宗教本などを読み漁り、親鸞の教えに真実を得る。

 

親鸞の教えは、人が死を真正面に見すえ、死を受け入れようと思った時(すなわち念仏しようと思った時)おのずから無碍の光に迎えられ、その光によって<正定聚>に決定し、必ず成仏するとしている。

 

一言でまとめると眉唾で怪しげになってしまうが、死が生に対して忌み嫌うことでなく、生とつながった安らかなことであるという気づきに救われた。

 

自身や家族の死の不安を抱えた人や、宗派が浄土真宗の人にとってはおすすめの一冊である。

 

てるさんも図書館に返却した後も折にふれまた読み返したいと思ったので、購入しようと思っている。