GWを持ちこたえてくれ、会社へは5月中は毎週水曜日を病院への面会のために、午後半休にしてもらうように許可をとっていた。
GW明けの5/7(火)には病院から、父の6人部屋に入院患者が入るため、個室を用意したので個室料金になるが移動してもよいかと連絡があり、もちろん了承した。これまで2週間も6人部屋を父一人だけで使わせてもらい、本来はできない病室への面会をさせてもらっており、すでに個室料金になっていると思っていたため、むしろこれまでの病院の厚意に感謝した。
翌日、最初に半休を申請した5/8(水)の朝10時に、また病院から連絡があった。心拍数が緩やかに下がってきていて、心拍数を上げる薬を投与するが、早く来てもらった方がよいとのことだった。
前回のように空振りかもしれないと思ったが、急いで仕事を片付けて早退させてもらい、神戸郊外から堺へと電車で向かった。
妹にもLINEで知らせた。バイトをしており、最初はてるさんが病院に着いてからの状況で向かうとの返信だったが、バイト先の上司が万一の時は後々後悔するからすぐに行ってあげなさいと言ってくれ、すぐに向かうので13時に到着の予定と連絡がきた。
乗り換えの大阪駅に着いたところで、再び電話があり、薬の効き目がなく、さらに心拍数が下がってきているので急いで来てほしいと言われた。
12時半に病院に到着すると心拍数は50ほどで、通常の半分ほどに下がっていた。それからも徐々に下がっていく。声をかけてもほとんど反応はない。
おそらく多臓器不全の状態で、むしろ今までよくがんばられました、席を外しますのでご家族で最期を看取ってあげてくださいと医師から言われた。
心拍数や血圧の山が小さくなり、数字が下がっていく中で、今までありがとうと何度も声をかけた。
数字がゼロになり、時々小さな山ができる程度になったところで、妹が来てふたりで最期を看取った。
ほどなく、医師が来て、瞳孔にライトをあててチェックし臨終を告げた。13:13だった。
GWの休みを精いっぱい看取る時間を作ってくれ、明けて最初に半休をとった日、そして入院料金が上がる個室に移って2日目に亡くなったことに、子どもに負担をかけたくないと常々思っていた父の意思を感じ、感謝した。
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