もうすぐお引越しなので、そろそろ段ボール詰めしていこう。

まず、本。

5ヶ月前に越してきたばかりなので、ついこの間パッケージングしたところ(笑)

本の断捨離も、前に根こそぎやっていたため、そこまで売りに行く本はない。

若杉友子ばあちゃんの本が数冊並んでいる。

さて、新居へ持っていくか否か。


以前、薬膳を学んでいた私は、若杉ばあちゃんの食養生の理論を興味深いと思いながらも、薬膳の考えと相反する部分に疑問を感じ、あまり読み返さなくなっていた本たちだ。

が、
久しぶりに開くと、やはり興味深い。
とても理にかなっているカラダの仕組みをわかり易く書いている。
面白い。

売らない!

即決。


そうだ、何事もバランスが大事だったんじゃないか。
私には偏るクセがある。
どハマリしている「何か」がある時は、それ以外を受け入れられなくなる心の狭さがネックになる。

具体的に説明はできなくても、本を読んで
「これいいな」と感じた自分の直感を信じよう。

別に大それたことではないが、こういった日常の「ややテンションが上がること」を大切にしたい、と思った。

今も、若杉ばあちゃんの本を読んでいる間は、夢中で時間を忘れた。
昔に繰り返し読んでいるはずなのに、また目を奪われた。
やはり、興味があるようだ。
こうして客観的に書くことで、気づく。


以前、若杉ばあちゃん推奨の方法で食卓を塗り替えよう!と勇み足で実践したことがあったのだが、
便秘が続いてすぐ辞めた。(笑)

ストイックになりすぎて、この本で紹介されている食べ方以外は悪だ!!
…とまではいかないが、そういう気持ちありきで食事を作っていたことは確かだ。

うん、確かそうだった…

そういう思い込みが根底にあると、


「これが体にいいのよね~楽しみ!」
という
「興味」「期待」
ではなく、

「うわ、これは食べちゃダメじゃん!危ない危ない!」
という
「恐怖」「不安」
が先行してしまう。

恐怖や不安から始まる健康的な食卓なんて、もうあべこべ。矛盾している。

もう一度、フラットな気持ちで、バランスを取りながら、実践しようと思う。


薬膳についても、「薬膳インストラクター」まで取得したはいいが、
薬膳を学びたい!と意気込んでいた頃の情熱がなくなり、目指していたはずの更に上位資格取得を辞めた経緯がある。

薬膳を学習していても、「気分が上がらなくなった」のだ。

なるほど。
よし、改めて、これで良かったのだと思う。

目標を立てたからと言って、そんな「昔」の情熱を忠実に守るために、「今」我慢し続ける必要はないんだなぁ、と。
今の自分を優先させてあげたい。

目標は、夢は、移り変わってもおかしくないし、
実際、私が薬膳を学び出した当初は、「国際薬膳調理師」の資格を取って、薬膳を広める人物になるという夢があった。

だが、
私を指導して下さる薬膳の講師、地元で薬膳をベースにしたお料理教室をされている先生、ネット情報で得た薬膳師のあれこれなど、
薬膳に携わる方の様々な働き方を知れば知るほど、
「なんかちがう…」
と感じてしまったから先に進めなくなった、という感覚。

詳しく言うと、
「私がやりたいのはこういう活動ではないし、私がなりたいのはこういう職業ではない」

ついでに、

「じゃあ、違うアプローチ方法で薬膳を広める活動をしたいか、と聞かれれば、それはノーだとはっきり言える」

ということは、純粋に薬膳への興味レベルが低下しちゃった、ってことだ。


だけど、「ここまで勉強してきたのに!」とか、「また投げ出すの?」とか、昔の自分からの声に後ろ髪を引かれて、足踏みをしていた時期が実に長かった。

「薬膳をもっと掘り下げて学びたいか」

という自分の気持ちへの問いかけではなく、

「薬膳を学び続ける方が得策か」

という、現実的、打算的な議論にすり代わり、
結局その問答を一人芝居で繰り広げていた、という感じ。


「薬膳、もう面白くない」


という本音を採用し、学ぶことを辞めると随分すっきりした。
勿論今も興味はあるし、これからも薬膳料理は生活に取り入れてくつもりだけど、当初とは気持ちが変わってしまった、それだけのことだと気づいた。


何はともあれ、
気分がアガルことを選んでいくと、気持ちが楽になるなぁ、と。

そして、「本」 というものは、本当に私をハッピーにしてくれるアイテムだなぁ、と。


ここに書くことで、自分のことがよく分かるようになってきた。

ふっと浮かんでは消える、たくさんの素敵な感覚もすぐ忘れちゃうからな、私…
書き留めとかなきゃ、勿体ないぜ。

続けていこう!
昨今、ちまたの常識となりつつあること

「自分が変われば周りが変わる」

これをここ数年体感している。

正確には、
「自分が変われば、周りは変わっていないのに変わったように感じる」

つまり、
「自分が変わる」ことは、
「自分の感じ方が変わる」ことである、
ということが分かるようになってきた。

身をもって体験すると腑に落ちるこの感覚。


以前、無理をして付き合っていた、超超超ポジティブ自由な女友達。
自由すぎて、突飛すぎて、苦手だった。
だけどみんなから愛されていて、そんな彼女と関わっていられる自分がどこかしら誇りで、頑張って合わせていた。

だけど無理になった。

さすがに彼女自身も私との距離感に気づき、疎遠になっていった。
一年以上ほぼ連絡も取らずギクシャクしていたが、連絡を取らない時期はとても楽だった。

ある日、彼女から一年以上ぶりに長文のLINEが送られてきた。
それは、今までの諸々を謝罪するものだった。
彼女は一生懸命考えて考えて、自分の非と、私の気持ちに添えなかったことへの後悔を綴っていた。
そして、
「どうして怒っているのか考えてもわからなくて、きっとこれからも気分を害してしまうことがあると思うけど、ごめんね。だけど私は大好き」
と、正直に打ち明けてくれた。
その飾らなさに、私は急に自分が恥ずかしくなり、そのLINEをきっかけに今は本当に仲良し。
初めは一進一退ですぐしんどくなっていたものの、振り幅はだんだん小さくなっていった。
ただ、今も感覚はそれぞれ違うけれど、「こういう子だからな~」と、彼女のことが分かっているので、自分の常識に当てはめて批判したり嫌悪感を感じたりすることが激減した。

あれから数年、今は私が少しずつ彼女寄りの感覚になってきていると感じる。
それは嬉しいこと。
もともと彼女のようになりたくて、彼女の天真爛漫さ、可愛らしさ、人気に憧れていた。
彼女から友達になろうと言われた時は飛び上がるくらい嬉しかったことを思い出す。

だけど彼女曰く、
「私は昔から女子に嫌われるからな~」

あ…そうか、そうなんだ、どんなに素敵に見える人でも嫌われるんだ…嫌う人はいるんだ…!

ひとり残らずみんなに好かれようと自分を殺して、他人に合わせて合わせて、その歪みを補正するためのいざこざが定期的に起きて…結局自分の首を絞めていたんだな、と知った。


女友達には本当に感謝している。
彼女は眩しい。
いつもイキイキしている。
悩みがないわけではない。
だけど捉え方が気持ちいい。
ドライすぎでしょ、と感じることもあるけれど、他人だから。違って当たり前。


自分が変われば周りは輝き出す。

正に今、真っ只中じゃないか、自分!
嫌われてもいい、それを、「そういう人もいるよね、まぁ仕方ない」と、気にしなくなる自分へ変わり始めた時、周りの景色は今と違って見えるのだろう。

よっしゃ!!
朝がきた。
昨夜エイブラハムに助けられ、今日は昨日より断然楽ちん。
単純。

以前から薄々感じていたこと。
目に見えるものと見えないもの。
健康志向とそうでない志向。
現実と理想。
こういうもののバランスの取り方がしばしば分からなくなる。

特に、「カラダにいいものを食べよう」と追求すればするほど苦しくなる、という現実があって。
薬膳に基づく食事を組むために、様々な食材を買い揃え、国産、有機栽培、無農薬、無添加…など、健康を害するものをなるべく排除しようとする余り、果ては、ならばもうスーパーでは買い物できないじゃないか、と落胆している。

おかしい。

本末転倒だ。

健康は心と体が手を取り合って保たれるもの。

目に見えるもの、現実的な食事にフォーカスしすぎて「体」を立て直そうと究極を尽くすと、「心」がおざなりになる。

きっと逆も然り。

何事もバランスが必要。
特に私は、「バランス」が人生のテーマなのでは? と思うほど、こういう類には振り回されてきた。

どちらか一方に偏ると、体調や人間関係がおかしくなる。
これも思い込みかもしれないが、今までの経験上はそうだ。


そして、最近少しずつ、「心の在り方」ひとつで、健康も、良好な人間関係も、何もかも、コントロール出来るのではないか、と思うようになってきた。

ハッピーな気分はすべてを救う、みたいな。

何事もそうだけど、自分でマルをつけるかどうかで、その物事の資質が決まる、と思う。
「スーパーで買った野菜もちゃんと美味しい。栄養もたっぷり。」
こんな風に、現実世界で、スーパーの野菜にマルをつけられれば、心の世界で安心感が生まれて、きちんと体に効いてくれるのではないか。

そんなイメージ。

食べるまでの過程を楽しみ、美味しく食事が出来れば、
無農薬野菜だろうが、スーパーの野菜だろうが、その野菜たちは自分にとって必要な働きをしてくれるに違いない。

今はまだ、「過程を楽しんでいるか」においても、曖昧だ。

料理で言えば、私は間違いなく、「美しく盛り付ける」ことで気分が上がる。それが目的で料理をしていると言っても過言ではない。
美味しいと褒めてもらえることも勿論嬉しい。だから頑張る。
だけど、調理タイムは好きではない。段取りが悪いし汚れるのも嫌。
綺麗になったキッチンは好きだが、片付けも億劫。
常備菜づくりも意地になっているところがある。

根源にあるものは、「美しいものが好き」というテーマかな?


これもゆっくり見極めていこう。