元治元年8月。

下関講話の際、高杉晋作が彦島租借を断固として断ったという伝説があります。

このとき、高杉が外人相手に「古事記」の講釈したという馬鹿話を信じている人は、もういないとは思いますが・・・。

 

そもそも租借の話があったかどうかもわからないのですが、明治44年の『藤公余影』(古谷久綱)の次の伊藤の回顧記事が唯一の根拠です。