幼いころから、自分は自分の正体を隠して生きてきた。
その理由はいろいろあるが、その方法を選んだのは自分で、それで何とか息をしてきた。
そんなわけで、真正面から自分を主張して、自分の世界を勝ち取ることができない。
40歳を過ぎた今でもできない。
しかし、隠した欲求は時間が解決することに気づいた。
隠したものは、時を経てばすべて表に出てしまうのだ。
しかも時間をかけた分、揺るぎない確信をもって表に出てくる。
当時の自分じゃない自分が、イカズチのような力で古い封印を破壊していくのを見てきた。
そして、かつて自分が隠したものが「芸術」であることに気づいた。
自分が隠したものは、美しいものを美しいと思う気持ちだ。
今となっては、それら「芸術」を隠したことは良いことだと思っている。
あの気持ちの行く末は、美しいものを選別することにつながるのだ。
美しくないものを排除する醜い暴走だ。
芸術は爆発させてはいけない。
それは、手にして口に入れてはいけない果実なのだ。
先鋭化させずに研ぎ澄ませ、繰り返し叩いて硬化させる。
中庸の極端を排除した中に、芸術はあると気付けた。
要するに平凡な自分がここにいるわけだが、わたしはそれを守り通した。
そしてかたくなに譲らない。