魂と現在 | タロのブログ

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 「人間は、過去と未来に捕らわれて、一番大事な現在を生きない。」

 たしかパスカルの言葉に、そんな内容の断章がありました。探すのが一苦労なので、記憶だけで話してます。間違ってたらすみません。

 

 読んだ時は理解できた気がしてました。そして、ここ数年の自分は、今を生きることを優先してきたような気がします。

 

 最近、改めて「今」とは何なのか考えさせられます。「今」を言葉や形で表そうと思うと、並外れて情報量が多すぎてガチャガチャしてしまいます。それに対して、「過去」とはどうでしょう。とても洗練されて美しいモノではないでしょうか。幸せな過去だけが美しいわけではあらず、若かったりそれゆえの苦い思いも過去となれば美しいのです。そして、それらは古ければ古いほど美しいです。違いますか?

 また最近、どんどん未来について考えなくなってきました。希望が無くなったわけではありません。なんというか、ふざけた感じで言うと、未来の自分がガンダムを操り、呪文を詠唱し悪者を撃退し、朝起きたら女の子と入れ代ってる。なんてことがないのが理解できたのだと思います。ヒーローのように振舞う自分は捨てて、地に足を付けて生きているということです。
 

 このことを考えている中で、あることに気づきました。「今」と似ているものを私は持っています。「今」と同じように、無限に大きな形をもち、盛大に騒々いモノ。それが自分の中にあったのです。

 

 それは「魂」です。自分が一番に大事にしているものです。

 

 パスカルが言ったように、我々は自分の過去や未来の中で生きることで息をしています。しかし、「今」にとって「過去」や「未来」という軸があるのであれば、「魂」にも同じように軸があるのではないでしょうか。我々は、魂をおろそかにして、何かに捕らわれていることがあるのではないでしょうか。

 

そのことについて考えてみたのですが、こういう結果になりました。

 

今==魂

過去==技術 

未来==体験

 

我々は、過去に捕らわれて生きてはいけないですし、技術だけでは生きていけません。

また、未来を夢見て今をおろそかにしてはいけないですし、経験することにおぼれては何も蓄積できません。

いい感じの割り当てじゃないでしょうか。

 

しかしこう考えると、あらためて「今」と「魂」って何でしょうね?

瞬間は常に過去になりますし、一瞬の判断が生死を左右することがあります。

しかし本当に、魂を磨くことは、技術の蓄積になり、未知の体験への分岐点になるのでしょうか。

 

少し考えたいと思います。

 

「今」を生きることと、「魂」を優先することは、ただ心地のよい呼吸だけのような気もするのが、最近の自分の気持ちです。

やはり我々は、搾り焼かれる中で、何かを残すことでしか生きられないのでしょうか。