前回のブログでなにげなく書いたのですが、自分の言葉にとても驚いています。
「自分の最後の時に、親は迎えに来てくれる」という言葉です。
実は、この言葉の源流は、ヘルマン・ヘッセの「知と愛」(旧題「ナルチスとゴルトムント」)です。この小説を私がどう捉えたかについては、詳しくは語りません。ただ、主人公のゴルトムントの死に際に、幼いころに別れた記憶のない「母」の登場によって、ゴルトムントが命を全うするシーンに、これこそが生命の本質があるのではないかと感じたのでした。
なぜそう思ったのかわかりませんし、語るには自分は未熟すぎます。
しかし現実問題として、自分の最後の時に、父と母が迎えに来てくれると思うことは、なんと心強いことでしょうか。
もし、そうだったならば、現世で自分の周りに誰もいなくなっても、恐れるものがないのです。
これが、生きるために必要な力なのだと思い、前回のようなブログになりました。
私の父と母は、私にそのような概念を埋め込むことに成功しました。
だからこそ、私は現世で縦横無尽に自由なのだと思います。