映画「E.T.」のラストシーン | さざ波スワン ~タロットと旅する~

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*この記事は「E.T」のネタバレを含みます。

「E.T.」という映画をご存じでしょうか。
1982年公開の大ヒットSF映画で、ある年代以上の方はほとんどご覧になっているように思います。
とんでもなく雑に説明すると、アクシデントによって地球に取り残されてしまったエイリアン(E.T.)が、エリオットという少年に助けられて、無事、宇宙船に迎えにきてもらい、故郷の星へと帰っていく物語です。

この映画はよく、異星人と人間の少年の心の交流を描いた感動の名作だと評されます。
もちろん、それに異論はありません。
ただ、私がこの映画で一番、心を揺さぶられるのは、本当に最後の最後で、アップになったエリオット少年の顔に浮かぶ表情なのです。
深い友情を交わしたE.T.を乗せた宇宙船が空の向こうへと飛び去っていく様子を見つめる、この少年の顔には、悲しみとも喜びともつかぬ、不思議なまなざしがあるのです。

実はこのエリオット少年の顔のアップの前には、お母さんの姿も映し出されます。
最初はE.T.に恐怖を感じたお母さんも最後には好意的になり、この最後の場面では、虹を描いて飛んでいく宇宙船を見て、泣き笑いのような表情を見せます。
しかし、エリオット少年のまなざしは、お母さんとは違って、一言では言い表せない曖昧な感情を湛えているのです。

エリオット少年がこのような表情を浮かべているのは、彼が最後の最後に、畏怖の念のようなものを感じたからではないか、と私は思っているのです。
得体の知れないE.T.に対して、いち早く偏見を払いのけ、親切に世話を焼き始めたのはエリオット少年です。
その後、このE.T.とは以心伝心のみならず、ほぼ一心同体までもを体験することになります。
そして、最後、まるで長年の友人のように別れを惜しんだのです。
しかし、宇宙船が空へと消えていく様を見た時、エリオット少年の胸にはふと、「あの一連の体験は全て、いったい何だったんだろう」という思いが押し寄せてきたような気がするのです。
つまり、「異星人とは何なのか」、「宇宙とは何なのか」、そして、まだはっきりとは言葉にならないかもしれない「いったい自分という存在は何なんだろう」という根源的な問いが湧いてきたように思えるのです。
E.T.と別れたことの悲しみ以上に、E.T.との体験に対する畏怖の念が力強く迫ってきたことが、あの表情をもたらしたように思えて仕方ないのです。

先述のとおり、エリオット少年の最後の表情とお母さんの最後の表情は対照的です。
お母さんが泣き笑いの表情を見せたのは、既にお母さんの中で、「E.T.は敵ではない。むしろ、友好的な仲間と考えてよいのだ」という定義が確定したからかもしれません。
一方、E.T.と誰よりも深く交流を果たしたエリオット少年の中では、もしかすると、まだE.T.が何だったのか、はっきりとは定義づけられていないように思えます。
大人になればなるほど、何かをはっきりと定義づけることが常態化してしまうのでしょうか。
子どもは、人生における経験や偏見が少ないから、簡単に何かを定義づけたり、割り切ったりすることをしないのかもしれません。

タロットカードの「節制」は、ものごとに白黒をつけないという意味を持っています。
二つの相反するものの見方を混ぜ合わせたり、中庸を行くことを示唆するカードです。
E.T.との体験を単なる「よき思い出」として片づけてしまうことなく、畏怖の念を感じたエリオット少年の心には、もしかすると、この「節制」にも似た作用が働いたのかもしれません。
そうだとすれば、「節制」に示唆されるような、ものごとに白黒をつけない姿勢は、場合によっては、私たちの視野をさらに広く、深くしてくれると言えはしないでしょうか。

 

 

 

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