3.11 | 高橋大輔 輝く道と共に。

高橋大輔 輝く道と共に。

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去年の3月11日。


いきなり教室が揺れた。

去年の今頃、地域が主催するパソコンスクールに通っていました。


パソコンと言っても、エクセルやワードの技術を学ぶためのものではなく、LANを中心とした

座学が主で、興味が湧いた人はエキスパートの資格が取れますよ、という市民講座でした。


1か月弱の短い期間で料金もたったの3千円。

しかも、時間に融通の利く講座だったため、仕事の合間を縫いながら楽しく学生気分を味わっていました。


「今日は11日、とうとうこの講座もあと1回で終了ですね」という講師の声が教室中に響き渡ったその瞬間、

ぐらぐらと体が横に揺れるのを感じました。


「地震だ!」


生徒の誰かが叫びました

その揺れは予想より遥かに長く、今まで経験したことのない揺れ方であることが、はっきりと判りました。


それでもここはまだ北海道。特に私の住んでいる地域は山も海もありません。

そのせいか大きな被害はなく、この時は私も含め、みんなが簡単に考えていました。


この日は講座が終わった後、仙台から転勤で来ていた女性のお別れ会を予定していました。

旦那さまが7日後に仙台に戻ることになったからです。

彼女が北海道に居たのはたったの1年。そのため子供たちは学校のこともあり、仙台の実家に彼女のご両親

と一緒に残して来ていました。


授業が終わり、彼女を含めた何名かはいったん家に戻り、私と幹事の2名は彼女に渡す花束やカードを買った

りしてから、予約をしていたお店に入りました。

ぼちぼちメンバーも集まりだし、予定時刻の7時を迎えました。ところが、主役の彼女がまだ来ません。

10分経ち20分経っても、彼女が来る気配はありません。


この時初めて幹事の女性が彼女の携帯に電話を入れてみました。電話は繋がりません。

そういえば地震があって以来どこえ掛けても電話が通じないよね、という話になりながらも、

とりあえずもう少し待ってみようということになりました。


主役が現れぬまま1時間が過ぎようとした時、メンバーのひとりがたまたま彼女の家を知っていたことから、

送るために用意した花束とカードをそのメンバーの女性に持たせ、車で家に届けるということになりました。


30分が過ぎてメンバーの女性はひとりで店に戻ってきました。


お別れ会の主役であったはずの女性は、実家の仙台に連絡が取れず、居ても立ってもいられなかった矢先、

旦那様が務める北海道支社から、"とりあえず家から出ないで。いつ連絡が取れるか判らないから待機して

いるように"と言われたそうなのです。


そのため彼女は、たった一人家から出られずにいたのです。(旦那様は会社待機だったそうです)。

電話も不通で私達に連絡が出来ず、それどころか子供とご両親が無事かどうかも全く判らないままの状況下

に置かれていました。

車で戻って来た女性からそのことを聞かされ、私達はこの時になってようやく地震の深刻さに気付かされました。


(家に戻った者も戻らなかった者も、時間に追われて誰一人テレビを見ていなかったので、天変地異が起こる

ほど大規模な地震であった情報を知らずにいたのです)


翌日、やっと電話が通じるようになり彼女から子供とご両親の無事を告げられました。

ただし、家はほぼ全壊に近かったそうです。


私は地震の被害とは全く遠い地に住んでいますが、この時の出来事、光景、何を話したか、どんな気持ち

だったか、鮮明に覚えています。


その前後の日は何をしてたか、ほとんど思い出せないのに。




午後にテレビで仙台アイスリンクの復興映像が流れていました。

荒川さん、田村さん、本田さん、そして羽生くんらが哀悼の意を込め、復興の舞を力強く表現していました。

大輔さんもちらっと映りましたね。


被災地のみなさんが1日も早く、安心して生活できますように。

このスケーターの舞のように、日本が立ち直りますように。



願いを込めて。


                                                      小梅






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