2011年3月9日(水)11時45分
2年前の今日。
東日本大震災の2日前。
三陸沖を震源とする、最大震度5弱(M7.3)の地震がありました。
ちょうどお昼時
仙台市内は震度4、震度3の揺れを観測。
もともと地震が多いので、震度4でも強烈に驚くことはありませんが
どこかで強い地震が来たのかもしれない、と感じるような、
嫌な揺れ方だったのを覚えています
震災以前から、宮城県はとても地震への意識が高い県でした。
備えていたのは、“宮城県沖地震” に対して。
過去にM7.4クラスの地震が、30~40年間隔で起こってきたからです。
10年以内に、70%
20年以内に、90%
30年以内に、99%
と、言われていました。
つまりは、確実に、100%起こるんだ、と。
皆、そう思っていたからこそ、小なりとも対策をしていました。
各家庭でも、学校でも、会社でも、
大震災が起こる以前から、大地震に対する準備はしていました。
あの大震災があったことで、きっと全国的に対策は進んだと思います。
でも、2年経ってしまったので、もしかして薄れているかもしれません
みなさん、懐中電灯、寝室やリビング、側に置いてありますか
電池はありますか
大きな食器棚や、タンス、冷蔵庫など、転倒防止してありますか
この2日後、
それまでに何度も経験していた震度3・震度4と、震度6強とでは、
天と地ほどの差があるということを、思い知ることになりました。
あの頃の映像や、たまらなく不安で怖かった気持ちを思い出すと
今でも胸がぎゅっとなって、苦しくなります
でもその度に、あぁ私は忘れてないんだ、覚えてるんだ、と実感。
私は、忘れたくないのです。