自死遺族という言葉を私は知らなかった。
意味はそりゃ字面を見れば分かるが、知った瞬間に何となく「あなたはこれですよ」とラベリングされた気がして良い気はしなかったのを覚えている。
残された者としてどう生きるべきかを誰もが考えると思う。ドラマや映画なら旅立ったあの人の想いを胸に的なノスタルジーで、あんな困難こんな困難を乗り越えていくんだと思うがそんな簡単な話ではない。
まず「生きる」のが前提にそもそもならない人が大半ではないかと思う。後を追うように自ら命を絶つ人の気持ちはよく分かる。当然そんな事したらあかんやろ、という一般的通説が頭にはよぎるが、自分の中に浮かんだ自死という選択肢を否定する事は自死という最期を選んだ大切な人の決断も否定することになってしまう。そんなジレンマに陥ると、もう何が正解か分からない。
だからこそ私はある時から、自分が選んだ行動が正解と後付けで肯定するようになった。これが良い生き方か悪い生き方かは分からないし、人に悪いと言われても変える気は無い。(でも目から鱗なアドバイスをくれたら変えるかもしれない。)
それから何となく、最終的に自分が自死を選んでもそれはそれで正解なんだろうな、と軽い気持ちになった。自死を肯定も否定もしなくなった。
結局あれから約10年私は幸せに生きてきたわけだから、この生き方は私に合っていたと思う。
この生き方は間違いなく、妹がくれた物だ。妹が亡くなるまでの私は、正論、正解、正着を求め過ぎて頭を悩ませることが多々あった。そんな頭でっかちな私を解放してくれたのである。
ありがとうと言いたいが、まだこの生き方で大失敗する可能性だってあるのでそれは私が生涯を終える時まで温存しておこう。