宮崎正弘の国際情勢解題-「借金の罠」を仕掛け、結局は自らも「借金の罠」に嵌まった中国 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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  「宮崎正弘の国際情勢解題」-「借金の罠」を仕掛け、結局は自らも「借金の罠」に嵌まった中国-2024年2月28日

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 「借金の罠」を仕掛け、結局は自らも「借金の罠」に嵌まった中国
  BRI(一体一路)は汚職の伏魔殿、不良債権の山となっていた

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「債務の罠」とは中国が展開した海外プロジェクトで、「新興国など債務国が中国から借りたカネの返済ができなくなり、国際機関から有形無形の拘束を受ける状態」を意味する。債務の代償として中国は合法的に権利を取得することになる。たとえばスリランカのハンバントタ港、パキスタンのグアダール港などがそうである。

この「債務の罠」というタームは、インドの地政学者ブラーマ・チェラニーが「中国のBRI(一体一路)プロジェクト外交と搦めて提議したのが最初だった。
債務国は返済計画もずさんで、放漫な財政政策や経済運営など「モラル・ハザード」がおこる。債権国は相手国の過剰債務を梃子として政治武器化し、債務国を経済的支配下に置く戦略が隠されていた。ジブチがその典型だろう。同国は一万人の中国軍基地の造成を認めざるを得なくなった。

 しかし債務国が罠に落ちることもさりながら、あまりに肥大化し、膨張した中国の債権は、債務国に返済能力がないわけだから、事実上の「不良債権」である。むしろ中国自身が逆ブーメランのごとく「債務の罠」に陥没する。この諧謔的な結末を最初に言い出したのは筆者ではないかと思っている。

さて中国の官吏の特徴は文豪の林悟堂が言ったように「賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂」である。海外プロジェクトほど、賄賂と汚職が蔓延しているのに誤魔化せる分野はない。政府の交渉人、窓口の役人、融資する銀行、資材企業、労働者斡旋起業、運送会社などなど。海外の実情を当局はすぐに把握できないため、「汚職の伏魔殿」と言われた。
 不良債権の山とは汚職の積み重ねの結果でもある。

 習近平が2013年から開始した「一帯一路(BRI)」ではアジア・アフリカから中南米、南太平洋の島嶼国家にいたるまで、インフラ建設が目白押しになった。どの国の山奥へ行っても中国企業の看板があった。
たとえばパブアニューギニアの国際会議場は中国が建てた。東チモールの山奥でも中国企業の旗、橋梁工事をしていた。「JICAが金を出し、中国企業が請け負う」という定番である。

対外宣伝で中国はBRIに1兆ドルを注ぎ込んだとしているが、実質上7000億ドル前後をBRIに投じた。そして大規模な汚職が進行していた。

 

 

 ▼汚職腐敗をとりしまれと習近平が大号令をかけたのだが。。。。。。。。

中国の汚職摘発機関(中国共産党中央紀律検査委員会=CCDI)は『BRI汚職』の捜査を開始することになった。
2月25日に公表されたCCDI報告で「BRI構想下のインフラ建設プロジェクトを捜査対象に挙げた」とインド、香港のメディアが報じた。腐敗の防止・対策・摘発に重点が置かれている。


 これまでのCCDIの捜査実績は国内が対象で、「長江公司事件」では当時北京市党委書記で、大規模な汚職事件に密接に関わった陳希同を政治局委員から解任、中央紀委書記だった尉健行が北京市の党委書記を兼任した。陳希同は江沢民最大のライバルだった。
 「遠華密輸事件」ではCCDI副書記だった何勇が陣頭に立って捜査にあたった。主犯はカナダに逃亡したが、十年後に中国に送還された。この間に関係者の多くが不在となって、真相はいまも謎のままである。

 CCDIの歴代書記は、朱徳、董必武、陳雲、喬石ら党の大物が務めてきた。1992年頃から党の序列人事となって、尉健行、呉官正、賀国強らがポストに就いた。
習近平時代には、このポストを政治の武器として活用することが露骨になった。辣腕家の王岐山が登板し、江沢民派、団派という敵対派閥、ライバル派閥の汚職にメスを入れた。これは同時に習近平派が利権を手に入れたことを意味する。

その後、趙楽際は自らも多くの汚職に手を染めていたため辣腕を振るえず、2022年からは李希が中央紀律検査委員会を率いている
これまで李希CCDI書記は国内の汚職の温床を捜査対象としてきたが、海外プロジェクトが絡むと外国の政治家や国際金融尉官が絡んでくるため、対外的な対応ができる権限をもった新組織が必要となると提議してきた。


そこで、習近平は2024年1月9日に「中国共産党20期中央紀律検査委員会第3回全体会議」を召集し、次を強調した。
「反腐敗闘争は強力な腐敗撲滅キャンペーンを経て、圧倒的な勝利と全面的な強化を得た」。しかしながら「情勢は依然として厳しく複雑である。われわれは反腐敗闘争の新たな状況と動向に対する冷静な認識、腐敗問題が生まれた土壌と条件に対する冷静な認識を持つ必要がある」
 つまり同委員会の改革を示唆したのである。



 
▼汚職捜査の責任者、李希とは何者か?

 さて中央紀律検査委員会書紀は、政治局常務委員で序列七位の李希である。
 この人物は、福建閥でも清華大学閥でもない。ほかの政治局常務委員はなんらかの腐れ縁があって習ファミリーにおける習の子分たちだ。
 ところが、李希は習のミウチではないのに、どうしてこうも大出世が可能となったのか?

 李希は甘粛省生まれ、蘭州市の秘書長になるまで地味な、まるで目立たない地方官吏でしかなかった。
陝西省に飛ばされ延安市書記になった頃、突如、ツキがまわった。

李希が陝西省延安市トップの党委書記を務めていた頃に、習近平がやって来たのである。
 共産革命のメッカといわれる延安は毛沢東の「長征」の終着駅。革命の聖地と言われる。実態は毛沢東らは穴蔵に籠もり、共産革命の美名に酔って馳せ参じた女たちをハーレムとしていた。

 その延安のはずれ、梁家河村は、文化大革命のころの「下放運動」で習が15歳から7年間過ごした場所なのである。
洞穴のような横穴式住居に暮らし、農民になり、苦しさに耐えた青春時代を、習近平は懐かしむ。延安市党書記だった李希は「全力を挙げて梁家河村を『模範村』とし、党中央や習近平同志に安心してもらおう」と呼びかけたのだった。
 その後、李はとんとん拍子の出世階段を驀進し、2011年に上海市副秘書長、2014年に遼寧省長、17年に政治局員となって広東省書紀(上海、広東は出世コースのひとつ)、そして2022年にトップセブンにのぼった。

以上

 

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