沖縄戦で撃たれて動けなくなった状態で捕虜となった大人です。
その男性には、働くエプロン姿の女の人が後ろに立っていました。
それを告げると、後ろを振り返り、「母さん・・」感じると言っていました。
樺太貿易商家の母親の教育方針で、語学系の大学へ行かされた。
応召前は、軍縮時代の平和な大正生まれで、お洒落(モボ)で、とても兵隊に向かないのんびりした性格だったそうです。
洒落男 (榎本健一)
「モボ」モダンボーイ 「モガ」モダンガール
米兵の捕虜になってから、英語を喋る日本兵は情報をとるために生かされたと、後に気付いたそうです。他の負傷兵は射殺された。
息子の身を案じていた母親は亡くなっていた。
北海道から沖縄の激戦地に投入された息子は帰ってきたが、銃後の護りの母は戦災死していたそうです。
☆銃後の護り 昭和13年7月 ポリドール 2627B 歌・関種子 詞・佐藤惣之助 曲・山田栄一
東京海保 2018/05/31