”JFK証拠隠滅” ◆軍産複合体の登場 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。
キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。
だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。


「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。
 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」


ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。
1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。
当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。
だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。


「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ


ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている

 

 

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

 

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軍産複合体の登場

ケネディ大統領暗殺の萌芽は、アイゼンアワー大統領の退任演説から思惟することができます。その後、ケネディ一族の悲劇と復活(Q)を私達見ることになる。


ドワイド・D・アイゼンハワー 米大統領 退任演説(日本語字幕)
https://youtu.be/1UAiqAZoMgQ

浦島ニール・2018/01/17

日本語字幕(C)をONにしてご視聴ください。
抜粋

この場において、わたしは脅威に対処するために大事なことを2点だけ述べておきたいと思います。

アイゼンアワー大統領

 

 平和を維持する上で不可欠なものは、わが国の軍事組織です。わが国の兵力は精強で、即応体制が整えられています。したがって、アメリカを脅かそうと試みる侵略者の存在を心配することはまったく必要ありません。わが国の軍事組織は、過去に平時の大統領らが在籍した頃のものとは今日ではまったく別のものになっています。また、第二次世界大戦や朝鮮戦争に従事した兵士とも関連のないものになっています。

 つい最近まで世界各地で紛争がおこる前は、米国には軍需産業はまったく存在していませんでした。鋤を作るアメリカの会社は、時に必要とあらば剣を作ることもできます。しかし、わたしたちはもはや、国防において、そういった国家総動員法を発動するようなことはできません。なぜならわたしたちは、恒常的に存在する軍需産業を膨大な数に及ぶまで誕生させざるを得なかったからです。加えて、350万人もの男女が国防組織に直接従事しています。年間の安全保障の分野に費やす予算にいたっては、すべての米国企業の営業利益を合計しても足りません。

 この、巨大軍事組織と大規模兵器産業との結合を、アメリカは初めて経験しています。この影響は、経済に、政治に、精神生活にさえも現れています。どのまちでも、どの州議事堂でも、連邦政府のどのオフィスでもこの影響を感じることができます。わたしたちはこの産業の発展は必要不可欠だと考えています。しかし、その重大な意味をしっかりと理解していなければいけません。わたしたちの仕事、資源、暮らしすべてがこの影響下にあるのです。社会構造自体、この影響下にあるのです。

 政府の評議会を、わたしたちは、不義をおこなう利権団体から守らねばなりません。意図的であろうとなかろうと、軍産複合体の手から守らねばなりません。場違いで、悲惨な結果をもたらす力は確かに存在しています。それはずっと存在し続けます。わたしたちは、この軍産複合体の横暴が、自由と民主主義の手続きの場を汚すことを許してはいけません。政治が正しいと、思い込んではいけません。警鐘を鳴らすことができる教養ある市民だけが、平和的手段と目標を設けることで初めて巨大軍産複合体の存在を容認することができます。そうすることで、安全保障と自由が共に発展することができるのです。

 さらに、産業界と軍事組織の急速な合流を招く主な要因となったものは、ここ数十年に起きた技術革命です。この技術革命とは、研究と銘打ったものが中心です。より専門化され、高度なものになり、かつ高額な研究予算がかかるようになりました。段階的な研究予算の増加が、連邦政府のために、政府によって、政府自身の方針に沿って実施されています。

 今日では、独創的な発明家が自分の家で研究することはなくなりました。研究施設や試験場で科学者たちによるタスクフォースが組まれることが主流になりました。同じようなことが、自由であるべき大学の場で、自由な発想と科学的発見の源泉である場で、研究方法における革命が起きました。研究の中には巨額コストのかかるものがあるため、政府との契約は、事実上、知的好奇心を満たすこれまでのやり方にとって代わることを意味するようになりました。古い黒板の代わりに何百台もの電子コンピュータがどの教室にも置かれるようになりました。連邦政府と雇用契約をした学者による大学の支配はこれまでにもありました。プロジェクトを好きに割り当てたり、金の力にものを言わせたりなど、そうすることで高い評価を得ているのです。

 

科学的研究や発見を存続させることも大事なことですし、そうすべきです。しかし、それと同時に、公的政策自体が科学・技術者のエリートの思うがままにされてしまう危険性があることを忘れてはいけません。
 

TJ 訳 (正確な内容を確認されたい方は、原文をお読みください。)

 

 

 

John F.Kennedy Jr.
突然嵐がやってきて、みんなを吹き飛ばしてしまう。