縄文の森『ヒモロギ』 精霊信仰から神ながらの道 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

私が体験してきた「精霊」とは、学者の説と少し異なります。

精霊は自然霊に近く、人霊、動物霊が昇華した存在とは思えませんでした。

 

とても怖い存在で、人間的な情は感じられない。

現在、ある種類の業を抱えている人間には、迂闊な接近は危険。死霊や悪霊、幻獣、身の毛がよだつ 幻影が現れる。

幻影を実体と考えると間違う。あくまでも幻影で本質は精霊です。

 

縄文人シャーマンは、畏れ敬う存在の「精霊」と交歓したようです。

聖なる樹木にかかってから、薄いベールを纏った精霊が降りてきます。

そして人に憑依する。岩や動物にも憑く。

ボルテックスの風が吹くのです。

 

 

ボルテックス・縄文人の「渦巻き模様の護符」赤子の掌

 

縄文の森『ヒモロギ』 

縄文人は森で自生する大麻(縄文土器の縄目)を見出した。森は、恵みの宝庫であり、神のすまう場所である。これを『ヒモロギ』という。縄文の森である。
 
「ヒモロギ」とは、神饌、霊諸木などとも書く。神の依代たる森や樹木をそう呼ぶ。ひいては、榊などの常緑樹で四方を囲み、注連縄(しめなわ)を張り巡らして中央に幣帛(へいはく)などを立てた祭壇のことをそう呼ぶこともある。

いずれにしても森、または疑似森で、神のすまう場所、降臨する場所、神々の集いたまえる場所のことで、鎮守の森の原型である。
縄文の神 よみがえる精霊信仰 著者・戸矢学(河出書房)

 

精霊信仰から神ながらの道

縄文時代には、アニミズム(精霊崇拝)やマナイズム・自然崇拝・死霊崇拝を中心とした神を招き祈り願う祭りと、呪術(まじない)を中心とした信仰でした。

アニミズム(英語: animism)は、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。
19世紀後半、イギリスの人類学者、E・B・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。
日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、気息・霊魂・生命といった意味である。

マナイズムとは人間の力を超えた神秘的な力を信じることです
死霊崇拝は死者の霊が生者に禍と福をもたらすと考え、死者の霊をおそれたり祀ったりすることです。
災いを避け豊作を祈る呪術において、土偶・石棒が使用された。また抜歯が通過儀礼として、屈葬が死者霊の災いの回避のため行われたとされる。


「縄文人の信仰は、一言で言えば「汎神論的アニミズム」だった。彼らは、創造主としての唯一神の他に、自分たちを含む自然界の全てにアニマ(精霊)が宿っていると信じていた。そして、その精霊を崇拝し、その精霊と共存していた。

太陽や月や星にも、大地や海洋や大気にも、山や野や川にも、森や林や一本の草木にも、沼や湖や泉にも、風や雨や雪にも、霧や霜や氷にも、台風や地震や洪水にも、そしてまた、これらの自然界の中に生きる人間を含む、あらゆる動植物から鉱物に至るまでに精霊が宿っており、その精霊の働きが大いなる調和でもって宇宙を形成していたと信じていた。

これら無数の精霊が、やがて「八百万神(やおよろずのかみ)」となる。この八百万神の間には貴賎や格差はなかった。神々はつまり平等だった。これらの神々は、縄文人の「原始平等社会」の基本原理とも言うべき、公平な神界を構成していたのである。」
(『日本神道の謎』 佐治芳彦著)