『行き先も、分からずに~20歳の初年兵、シベリア抑留の記憶~』◆叔父のダモイ | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

ドキュメント『行き先も、分からずに~20歳の初年兵、シベリア抑留の記憶~』〈福生市制作:記憶のアーカイブプロジェクトⅠ〉
https://youtu.be/ifou5l3NwiU

福生市メディアラボ
2018/02/26 に公開
 福生市では、シベリア抑留の体験者である近田明良さん(福生市在住)のドキュメンタリー映像『行き先も、分からずに~20歳の初年兵、シベリア抑留の記憶~』を制作しました。

 近田さんは、太平洋戦争終結後、ソビエト連邦の捕虜として約3年間、モンゴル、ウクライナなどで強制労働を強いられました。マイナス20度を超える酷寒での野外労働に加え、粗末な食糧事情などで、多くの同僚を失いました。
 福生市公民館松林分館では、そうした体験の記憶を後世に残し、未来に語り継いでいくため、ドキュメンタリー映像の制作を企画。「記憶のアーカイブプロジェクト」と銘打ち、秘書広報課の協力の下、延べ4時間を超えるインタビューを行い、編集からナレーション録音まで、両課の職員の手で3か月をかけて制作しました。

 制作にあたり、かねてより企画者と交友のあった京都府舞鶴市にある「舞鶴引揚記念館」から、資料画像などをご提供いただきました。それらの画像を盛り込みながら、よりシベリア抑留の実相が伝わるような映像に仕上げました。
  戦争の体験者が高齢化していく中、こうした記録映像を残すことは、福生市のみならず社会全体にとって意義のあることと考えています。
  そうした観点から、この映像はご協力いただいた「舞鶴引揚記念館」に提供するほか、今後、関係する団体などにも提供を呼び掛けていきます。

『行き先も、分からずに~20歳の初年兵、シベリア抑留の記憶~』
【出演者】
近田明良、近田美江子

【ナレーション】
森田典子(福生市公民館松林分館)

【製作協力】
舞鶴市 舞鶴引揚記念館

【資料提供】
舞鶴市 舞鶴引揚記念館、福生市 郷土資料室

【製作スタッフ】
〈企画〉森田典子(福生市公民館松林分館)
〈撮影〉森田剛(福生市秘書広報課)
〈撮影補助〉根津正德(福生市秘書広報課)、森田剛(同上)
〈構成・編集・監督〉池田悟(福生市秘書広報課)
カテゴリ 非営利団体と社会活動

 

◆叔父のダモイ(帰国)

満洲國の警察官であった叔父は、軍隊に隷属する軍警所属と見做されてシベリア送りとなりました。
しかし軍隊組織のラーゲリ(強制収容所)では、警察官の抑留者はよそ者扱いであったので、苦労したそうです。凄惨な場面を体験した。

帰還船を降りた叔父は、故郷の福島に妻子の行方を訪ねました。
妻子は無事に満洲から引き揚げていたと聞いた。
東京にいたのです。
だが、叔父の妻子は、見知らぬ男と同居していた。

我が家に辿り着いた叔父は、長旅と栄養失調でフラフラでした。
身体の回復を、母は必死に養生いたしました。

寡黙な叔父は、益々寡黙になったそうです。

私は、静かにロシア民謡を聴いていたのを覚えている。

やがて、東京の妻子を取り戻すため、何度も出かけた。母も同行しています。
今でいう「手切れ金」を男に渡して、家庭を再構築しました。
母が義祖父から借りたものです。


満洲で語学訓練されていた叔父は、米軍に就職しました。
シベリア帰りは警戒されて民間企業は採用されなかった。

戦争の傷は、半世紀もの長きにわたり人々を苦しめるものですね。
母も叔父夫婦は亡くなっています。

叔父の戦争は終わった。

 

 

 

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https://youtu.be/Pqhlr0SfFm4