”追悼、9年目の命日、川村カオリさん...”◆埋葬式『ニコライ堂の弔いの鐘音』 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

2009年7月31日、暑い日でした。
偶然、ニコライ堂の鐘音を取りに寄った時、川村カオリさんの埋葬式(葬式)を動画に記録致しました。
印象に残っているのは娘の「るちあ」ちやんです。

弔いの鐘の音の中、健気に霊柩車を見送る姿でした。
 

 

追悼、9年目の命日、川村カオリさん.

 

*リブログさせてもらいました↴

 

◆埋葬式『ニコライ堂の弔いの鐘音』

 

都内の中学生の時、ソ連機による「大韓航空機撃墜事件」が起こり、モスクワ生まれのカオリさんは、壮絶な虐めを在日韓国朝鮮人の生徒を中心としたグループから受けた。

大韓航機の空乗員・乗客合わせて269人全員が死亡。在日も含まれていた。

日教組の教師も同調したのです・・分別ある大人たちが彼女に八つ当たりしたのでしょう。

 

生死に関わるものと言われています。

 

川村 カオリ(かわむら カオリ、1971年1月23日 - 2009年7月28日)は、日本のロック歌手。本名及び旧芸名は川村 かおり。モスクワ生まれ。血液型はB型。父は商社駐在員を務めていた川村秀(現日露文化センター代表)、弟は俳優の川村忠。乳がんを患い、闘病しながら音楽活動を継続していたが、2009年7月28日に死去。

11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。帰国後に編入した小学校で、「純粋な日本人ではない」「混血、ハーフ」と揶揄を受け、いじめに遭う。


都内の中学校に進学した1983年、大韓航空機撃墜事件が起きると、同級生はおろか、教師からも心無い非情な言葉を浴びせられたという。このこともあり学校への不信感を募らせ、同級生が多く進学するであろう地域ではない高校への進学を考える。

1986年、東京都立田柄高等学校に進学。芸術の選択教科は美術であり、音楽の授業は普通教科のみであった。高校進学後は特にいじめられることはなかった。新宿Loftやツバキハウスなどに頻繁に出入りするようになったのもこの時期である。そこで音楽関係者と知り合い、後にデビューの足掛かりとなった。

1987年、都立高校を中退し渡英。ライブハウスに通い詰める。暫くして英国四天王寺学園高等学校(2000年閉鎖)に編入、単位を修得し卒業。程なく帰国する。

1988年11月、辻仁成プロデュースにより「川村かおり」としてシングル「ZOO」[注 4]および同名アルバムでデビュー。wikipedia

 

 

【再掲】

導き アナスタシア川村カオリ
https://ameblo.jp/tarooza/entry-10605849654.html
2010-07-31 08:08:55
 

バリアント空間を主題にブログにしていました。




YOTUBAI 

2009/08/02 に公開

2009年 7月31 日 神田駿河台 の日本ハリスト正教会復活大聖堂(ニコライ堂)で歌手の川村カオリさんの埋葬式が行われました。聖名(洗礼名)は、アナスタシア川村カオリです。 享年38歳(命日7月28日),一女の母親でした。杉原千畝氏が勤めた教会です。 後に38年目のシンクロニシティだと「気づき」ました。
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亡くなった歌手・川村カオリさんの埋葬式が行われた動画の日にちを見返してみると、2009.7.31でした。本日7月31日が1年目でした。


$taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢-導き


*「導き」の作品を直に見たのも、この日でした。

ニコライ堂の鐘の音は、 

作品に導かれたと感じます。



意識していなくても「導き」があるものだと・・・

不思議な想いで

香を捧げました。




短稿でした。

 

・・シンクロシティのイベントは、後から見ると大きなポイントであることです。