絹の道鑓水村 「絹の道資料館」 「諏訪神社」 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


道了堂跡へ至る 絹の道資料館 
 

八王子市「絹の道資料館」
生糸商人、八木下要右衛門(やぎしたようえもん)の屋敷跡に建てられました。要右衛門は「鑓水の石垣大尽」と呼ばれただけに、通りに面した石垣が見事です。この石垣を生かし、資料館は当時の雰囲気を伝えるような建物にしました(復元ではありません)。庭には、土蔵や排水溝の跡が整備され、展示室内には絹の道や製糸・養蚕に関する資料が展示されています。
 また、八王子市指定史跡「絹の道」を散策する人のために、休憩コーナーもありますので、お気軽に訪ねてください。
(注)簡単な展示解説は行っております。

http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kinunomichishiryokan.html



「鑓水村」
幕末の黒船騒動で、鑓水一帯の材木をお台場築造に伐採しました。
お台場差配の江川太郎左衛門の知行地でもある。(絹の道資料館に絵図があり)

多摩地域は幕府旗本の知行地として細かく区割りされた土地柄です。
奉行所の威令が及ばず、無頼漢が侵入しやすかった。
村の若者は撃剣道場に通い、新選組の青年たちが育つ環境があった。
徳川幕府天領地の郷士としての気概があったのです。


八王子千人同心所縁のお寺では、武田家紋の墓が目立ちますが、鑓水のお寺では譜代の家紋が多いと感じられます。
武田信玄公の息女・松姫さまは、養蚕(ようさん)や絹織を武田家遺臣の娘たちに教えました。
八王子の絹殖産の祖でもある

■■武田信玄公の娘 松姫さま *絹の道


江戸時代
の織物は縞物、織物市は縞市などと呼ばれました。絹織物は染色方法によって先染(さきぞめ)織物と後染(あとぞめ)織物に分けられますが、八王子では前者を中心とし、特に男物や実用的な着物の産地でした。 (桑の都 八王子織物のはじまり)

それが明治以後の日本産業での主要産業になっていたのです。
八王子市とは峠一つで鑓水村とつながり、若い娘は機織りに励んだのです。
豊かな「鑓水商人」を輩出しました。

しかし、八王子市と横浜市とに蒸気鉄道が敷設されると、絹製品を運んだ絹の道は廃れることになります。。(絹の道・浜街道=鑓水峠から横浜関内)

里山の間に挟まれた「谷戸」の地形は、縄文人が好んで住んだ場所ですので、遺跡が見つかる可能性が高い。
現在は静かな住まいが佇んでいます。




A215浜街道絹の道-6<絹の道資料館~諏訪神社>
  
https://youtu.be/f7-F-QwGeGI
2013/08/11 に公開
絹の道資料館から諏訪神社までを歩きました。


◇5月4日は鑓水諏訪神社のご祭礼。
滅亡した武田家と縁の深いのが諏訪大社・・時代を超えて、武田家遺臣に諏訪神社は崇敬されているのでしょう。