1000年以上前から伝わる伝統行事「黒石寺蘇民祭」」(岩手16/02/15) | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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下帯姿の男たちが荒行 奥州市で奇祭「黒石寺蘇民祭」(岩手16/02/15)  
https://youtu.be/GNFAhVdpr9I


2016/02/14 に公開

下帯姿の男たちが数々の荒行をこなす、岩手・奥州市の奇祭「黒石寺蘇民祭」が、14日­夜から15日朝にかけて行われた。
男たちの気勢が響く、黒石寺蘇民祭。

1000年以上前から伝わる伝統行事で、1年の無病息災や五穀豊穣を祈る。
14日夜は、冷たい川の水で身を清めたあと、火がつけられた木のやぐらにのぼって、火­の粉を浴びながら、煩悩を払った。
夜が明けると、祭りの目玉、蘇民袋の争奪戦に入る。

「小間木(こまぎ)」というお守りが入った蘇民袋を手にしようと、下帯姿の男たちがぶ­つかり合い、2016年の取り主は、花巻市の小原広任(ひろただ)さんに決まった。

【関連】
イベント・祭典
❒下帯姿の男衆が袋奪い合う 岩手の奇祭「蘇民祭」

2016.2.15 11:44
豊作や無病息災を祈って、下帯姿の男衆が護符の入った麻袋を奪い合う奇祭「蘇民祭」が14日夜から15日早朝にかけて、岩手県奥州市の黒石寺で開かれた。厳しい寒さの中、約140人の男衆が激しくぶつかり合い、寺は熱気に包まれた。

 午後10時ごろ、男衆が「ジャッソージョヤサ」の掛け声とともに水をかぶり、身を清めた。男衆が燃えさかる井の字に組んだ木の上に次々と登り、火の粉を浴びながら気勢を上げると、観衆たちは大きな歓声を送った。

 祭りのクライマックスは午前5時。護符が入った「蘇民袋」の争奪戦では、本堂に集まった男衆が体から湯気を立ち上らせ、もみくちゃになりながら必死の形相で袋を奪い合った。

 約2時間の戦いの末に袋を勝ち取り、一番の御利益を受けるとされる「取主」になったのは、岩手県花巻市の公務員小原広任さん(30)。3回目の挑戦だったといい、「念願だった。ことしは男の子が生まれるので、健康に生まれてほしいと願い必死に戦った」と興奮した様子で話した。.

http://www.sankei.com/photo/story/news/160215/sty1602150007-n1.html



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奥州氏観光情報サイト おうしゅう旅漫遊
http://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/


◆蘇民祭の歴史

 蘇民将来の最も古い文献は、和銅6年(713)あるいは延長2年(924)に官符により上げられた『備後風土記(びんごふどき)』の逸文の中にあり、「疫隈(えのくま)の社。昔、北海に居られた武塔の神が、南海の神の女子をよばいにお出かけになられたところ日が暮れた。かしこに蘇民將来と巨丹(こたん)將来の2人在って、兄の蘇民將来は貧窮で、弟の巨丹將来は富饒で、家も倉も百ばかりあった。ここに武塔の神は宿を借りようとしたが、巨丹は貸さず、蘇民に宿を求めた。蘇民は粟の柄を坐とし、粟の飯などでもてなした。

 それから年を経て武塔の神は八柱の子をひきい還って来て申されるには、「我れ、将来の為に報いん、汝の子孫その家にありや」と。蘇民將来答えて「われに女子とこの婦がいる」と。すると武塔の神が申されるには「茅の輪を腰の上に着けよ」と。その夜蘇民と女子2人とを置いて、皆悉に許呂志保呂保志てき(読解困難)、それから武塔の神が申されるには「吾、じつは速須佐能雄(すさのを)の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民將来の子孫といって茅の輪を腰につけよ。詔のまま著けさせれば即ち家なる人は疫気から免れるであろう」と申された、と伝えられている。

 黒石寺蘇民祭の起源をどこに求めるかは未だ定説がないが、安永2年(1773)の「黒石寺書上」につぎのとおり書上げられている。

一、年々正月七日夜妙見宮之神事往古者妙見山におひて有之右儀式ニ相用候鬼面十二有之相用申候処高山故か飛行き尤恐敷儀数多有之 候ニ付其後薬師堂におひて祭礼儀式仕来候何時与薬師堂江相移申候哉往古儀ニ而相知不申候右鬼面本式ニ相宛候得者何国共なく飛行き候由ニ而何時相失候哉当時ハ二ツ相残居今ニ至る迄七日之晩子供之頭へ爲冠附人相付よしたいまつ爲持参詣群衆の中を相廻り儀式相勤申候右子共鬼子と申唱来候

一、年々右正月七日夜儀式ニ相用候薪ハ同六日ニ爲伐生割木を薬師堂の土間江三ケ所ニ焼切火ますます燃立候時参詣之諸人東西与投合 或ハ火を以打合申候是往古与祭礼之儀式ニ御座候右焼木を柴焼木(さいとうぎ)と申唱候蘇民祭の参加者は、1週間の精進を励行する。鬼子となる7才の男子も同じであり、その戒律は厳しく守られている。

 裸参り及び柴燈木登りの時刻は、今は午後10時及び午後11時30分であるが、昔は裸参りが午後八時、柴燈木登りが午後10時であったが、祭りの進行上休憩時間を短くすることになり、変更された。その時期は昭和50年代のことである。

 当夜は寺の境内によし簀(す)張りの小屋が架設され、参詣の善男善女が仲間ごとに一隅を占め、炭火を囲み、暖をとり、仮眠するなどして祭儀の都度鐘の合図により参加する。これの本来の意義は、神迎えのおこもりの姿なのである。

 古来からの祭りの儀式を今に伝えている貴重な民俗文化財であり、全国各地からの多くの参詣者で境内が埋めつくされている。

 なお、黒石寺は天平元年(729)行基菩薩の開基と伝えられ、「東光山薬師寺」と称したが、嘉祥2年(849)慈覚大師錫(しゃく)を東奥に曳いてこの地に至り、遺址をついで伽藍を増し、山中に妙見堂あるが故に山号を妙見山とし、黒い石(蛇紋岩)が出るので寺号を黒石寺と改めたという。


私見『おもてなし』

旅人は神様かもしれません・・

全国に残る伝統行事「蘇民将来」の説話が、日本の「おもてなし精神」に影響しているのでしょう。