■第一次の引き揚げ・須佐之男命の神話時代 第二次の引き揚げ・1945年 引き揚げ者を襲うコリアン | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


「高度文明の朝鮮起源説」に誘導しても、致命的な欠陥があります・・
カラ半島に縄文人の痕跡があるが、コリアン民族の痕跡がないのです。
1万6000年の歴史がある縄文人が開拓し、文化を築いていたのです。
そうです、
カラ半島に築かれていたのは日本の歴史の一部でした。
やがて北方民族の南下に圧迫された。

そしてまた、ユーラシア大陸(シルクロード)を移動してきた高度な文化文明を持った「秦族」と、カラ半島で巡り合って融和したのです。
百済滅亡を期に、一緒にヤマトに引き揚げてきました。
残った男は根絶やしにされ、女は犯されて生まれたのがコリアンであり、北方から流れ込んだエベンキ族と混血した穢族と括るべきなのが朝鮮民族です。半島に根拠のない新参者でした。
DNA遺伝子の解析では、男系の基底が北方ツングース系のエベンキ族、女系に縄文人が残ると云われる。
百済之種遂絶・・・意味(移動食料として食べられた)「東夷傳百済」

第一次の引き揚げです。

須佐之男命(すさのをのみこと)と、その子供の五十猛命(いそたけるのみこと)は、樹木神にされたのは『日本書紀』の「一書二曰ク」・・
「はじめ五十猛命が高天原から降った時には、たくさんの種子を持ってきたが、韓郷(からくに)には植えないで、すべて筑紫から大八島国(日本)に蒔いて増産したので、国中が青山になりました。このため五十猛命を称えて、有功(いさを)の神となす。すなわち紀伊国に座(ましませ)る大神がこれなり」と。

韓郷(からくに)は、禿山のままに打ち棄てられたようです・・
日本には、巨大な建造物を作る技能集団が渡来したが、朝鮮半島は
巨大な建造物が皆無です。
高度文明を持っていた民族が去り、遺物は残ったが、技術・技能は失われて退化した。
彼らの持ち物ではないので、発展はしなかったのです。

証拠である蛮族の食文化(犬食)は、21世紀になっても残っている。
高度で精緻な遺物を残した民族には、犬食の文化はありませんでした。


再掲・・
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■■■秦族と追族の因縁 百済(秦)と新羅(追)の正体?

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後漢書にみられる四夷(蛮族)の概念


[秦族と追族の怨念 百済(秦)と新羅(追)の正体?] 


預言者ヨセフの言葉によって「東方の島々」目指したイスラエル人は、やがて朝鮮(カラ半島)の南部にたどり着いた。
荒れる海を目にした人々は、寄り添うように小国の建設に勤しんだのでしょう。


東夷伝によるとカラ半島南部を目指す大規模な移動が記述されています。
秦国以前の東夷とは、江蘇省や山東省の住んだ異民族を指します。蛮族としての記述しかありませんでした。

しかし漢以降は、東夷にカラ半島、日本列島に住む異民族まで含めるようになりました。すると、それまて蛮族としてしか見られなかた日本を目指す異民族は別格で、高度な文化を持つ人々として尊敬されていました。「穏やかで争いを好まず、法と信仰深い異民族」と記録されました。しかし周辺の部族は蛮族のままです。


渡来人の大移動が分る記述です。
秦の滅亡後、現在の中国東北部(満州地域)に長年いた東夷が移動したと思われます。
後漢書によると、東北カラ半島は濊(ワイ)の地で、前2世紀以降には大量な移住があった。
「前108年、前漢に滅ぼされた衛氏朝鮮の遺民が、三韓(馬韓や辰韓や弁韓)に移住」

南部のカラ半島に辰韓(秦氏の一族)を拠点に日本を目指した東夷の人々は、周辺に滞留した。
風濤(ふうとう)の激しい冬場の荒れた日本海は渡れませんので居留したのでしょう。


1世紀~3世紀中頃まで多くの人々が日本へ渡ったのです。
優秀な人々が去ると、カラ半島の歴史の空白期となり、見るべき古文書もありません。
移住が終焉すると、高句麗や鮮卑の侵攻で濊は滅亡した。


[ユーラシア大陸を時には同盟、時には戦争で敵対した怨念が、朝鮮南部に吹き寄せられた]


秦の始皇帝のシナ大陸統一では、鉄器製造に巧みな追族を重用しました。
優れた武器がなければ、統一できなかったとも言われています。
追族は、陝西省(西戎)に住んでいたトルコ系遊牧民族で、秦族とは同系です。
(シナでは戎人と呼ばれる人たち)


偶然、陝西省で戎人の埋葬地が発見されました。↓

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■陝西省で初めて大型の戎人墓地を発見
 2011-09-20 新華通信  
 
http://jp.xinhuanet.com/2011-09/20/c_131148839.htm
 
   【新華社延安9月20日】陝西省の考古専門家は先ごろ、同省黄陵県のある建設現場で、同省で初めての大型の戎人墓地を発見した。この発見は西戎の文化や移動などの研究に重要な手がかりを提供するもの。

   文献には、秦穆公の時期に、西部に遠征し、「12の国を滅ぼし、千里の土地を手に入れ」、多くの戎人の土地を占領したと記載されている。また晋襄公はコウ(山+肴)の戦いで秦穆公を打ち破ったが、これは晋と西戎の双方が協力した結果だった。
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謎の多い西戎です。
「陝西省考古研究院」の研究発表が待たれますね。


追族は、秦によって領地(陝西省)から連れ去られ、領地は奪われた。
秦に支配された部族です。
遊牧民族特有な「血の復讐の掟」が芽生えたのでしょう。

秦が滅びると、その秦の遺民は北狄 南蛮 東夷へと流れて行った。


前230年、周の宣王は、韓侯(周の武王の弟)に、追、貊を賜い伯(伯爵)とした。(詩経大雅韓奕)

「韓の名跡が絶えるのを憂えた宣王が、追、貊を伯爵として与えた」とある。


三韓(馬韓、辰韓、弁韓)にいた辰韓と弁韓にはトルコ系戎人が住み、
馬韓には、月氏・濊系扶余種族が鉄製造技術を持ち込んだ。

日本列島と鉄の交易は、主に馬韓ですが、馬韓は辰韓、弁韓の商社的な仲立ちもしていようです。
「新羅」となった辰韓は、唐と同盟して馬韓「百済」を裏切り、カラ半島を統一した。


辰韓の追族にとっては、裏切りの意識はなかったでしょう。
むしろ復讐の機会を待っていたと見るべきで、韓候の正統な後継者と自負していたでしょうね。


このとき、秦族系(月氏)の人々は、ヨセフの預言を思い出したでしょう。
日本に雪崩をうって渡ったようです。

カラ半島の文化は停滞し、見るべき文物が残っていません。
辰韓は、「追族」の国のようです→新羅となった。

百済滅亡後は、度々日本に侵寇してきました。
執念深く、月氏を追跡しているようです。

しかし、エベンキ族・穢族が、最後には日本と縁の深かった新羅を簒奪した。
その末裔が、現在のコリアンでしょう。


追記
新羅は唐と結んで(唐・新羅の同盟)、660年に百済を668年に高句麗を滅ぼした。これによって三国時代は終わり、統一された


「東夷傳百済」其地自此為新羅及渤海靺鞨所分、百済之種遂絶。

百済之種遂絶・・・意味(移動食料として食べられた)

日本にしか血統は残っていない。

 


旧約聖書では、「東の島々」という言葉が幾度も出ています。 地形的にカラ半島を指していない。
日本列島は、北イスラエルと緯度が同じです。天文観測に優れた「太陽の民」が、先導してきたのでしょう、末裔の村が現在も存在している。


百済に隠されたイスラエル血統は、日本にあるのかもしれない。
*(ユーラシア大陸を移動していた間、各民族と混血している)
日本を示している可能性が高いと思います。





再掲おわり

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各民族の特徴


http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n271210


第二次の引き揚げ 1945年 引き揚げ者を襲うコリアン・・
歴史の繰り返しです。
その蛮性の質は変わらないようです。


ユーラシア大陸と日本の関係を学ぶとコリアンの妄想には付き合えない。
なんでも朝鮮と日本を結び付けようと、パッチワークのように歴史を嵌めて「コリエイト」する。
必死になってコリアンのルーツであるエベンキ&穢族を否定します。



大元のエベンキ族は誇り高い文化と歴史を持っている民族です・・
だが、コリアンの上下位の差別意識・小中華思考が劣等感になり、国家的な秘密として隠すのでしょうなw


コリアンの本質は、簒奪の歴史です。
現在でも変わらない。


東亜美人(各民族の特徴)



      


山口淑子 李香蘭 (日満混血)    満人
(トュルク系)

*縄文人+秦族(月氏)       *秦族(トュルク系)       



   朝鮮美人


漢人                    朝鮮人

*江南人                 *エベンキ&穢族



【私見】

満洲國時代・・・
満人の間では、”李香蘭”さんは、
『ティルク系満人美人』 と評判でした。他民族との違いは、顔つきで判るのでしょう。

戦後、日本のテレビで活躍すると、その話が大人たちから出たので覚えています。
山口淑子さんとして選挙に出られると、多くの満洲からの引き揚げ者が集まり、応援しました。トップ当選でしたね。


言葉に尽くせぬ思いが有ったでしょうが、参議院議員として「日中友好」に務められました。

彼女は「満洲語」を理解していたらしい。


写真画像には、各民族の特徴があります。女性ほどルーツを色濃く残している。