■臨死体験と夢見・シャーマン | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

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【臨死体験の科学】肉体的死後も3分間は意識が続いていることが判明!
 本人の“意思次第”で死から戻れる可能性も?    (
2014.10.15TOCANA )


引用・・・
 ■死後数分間はものを見て聞いている!?


「Daily Mail」の記事より
 いったん肉体の機能が停止した後、奇跡的に息を吹き返した人間がその間に体験するという「臨死体験」は、これまでも多くの人々によって語られてきた。しかしながら体験者の話だけに依存する研究であるため、なかなか科学的な手法で切り込むことができなかったのも事実だ。


 だが今回、英・サウサンプトン大学の科学者たちは、英国、米国、オーストリアの15の病院で、心停止に陥った患者の事例を4年間で2,060件収集し、この大量のデータを分析することにより臨死体験の解明に取り組んだのだ。


 調査によれば、心停止から蘇生した人々の実に40%が、息を吹き返すまでの間にも“意識”のようなものがあったと話しているということだ。


「臨床的な死を迎えた後の最初の数分は意識が続いていることになります。その後、次第に意識が失われていくことになるのかどうかはわかりませんが、少なくとも死の直後にはまだ意識はあるのです」と、研究を主導した元サウサンプトン大学研究員で現在はニューヨーク州立大学に籍を置くサム・パーニア博士は語る。


 臨死を経験した男性の1人は、死の直後に意識が肉体から完全に離れ、数分後に息を吹き返す自分の姿を部屋の片隅から見守っていたと語っている。また、サウサンプトン在住の57歳の心停止体験者は、3分間の“死”の間の看護士の動作や医療機器の音を今でも詳細に覚えているという。


「心停止後、20~30秒後に脳の機能も停止すると考えられていますが、この事例は心停止後にもかかわらず3分間は意識があったことを示しています。死後の世界を見たという体験はこれまで、死の直前や奇跡的な蘇生の直後に見る(天国や神などが現れる)幻覚や妄想であり、現実の出来事とは関係ないと思われてきましたが、これらの患者のケースでは、死後に周囲の現実の光景を見ているのです。これは驚くべき証言ですよ」とパーニア博士は話す。


 また、インタビューに応じた心停止からの“生還者”、330人のうちの140人は、自分がいつ生き返るのかある程度予測できたと話しているということだ。

 http://tocana.jp/2014/10/post_5012.html


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臨死体験

臨死体験(りんしたいけん、Near Death Experience)は、文字通りに言えば”臨死”、すなわち死に臨んでの体験である。英語ではNear Death Experienceと言い、日本語では訳語が「臨死体験」以外にも「近似死体験」などいくつか存在している
 
シャーマニズムとの関連
 
人類学者ナンディスワラ・テーロは、 アボリジニ文化の「ドリームタイム(夢時間)」という概念が、臨死体験に類似していると指摘している。
それは人間の精神が死後に赴く場所であり、時間も空間もなく、そこを訪れた者は無限の知識に触れることが出来るという。
 
ドイツの民族心理学者ホルガー・カルヴァイトによれば、アボリジニのみならず、世界中のシャーマンの文化の殆どすべてに、広大な超次元領域の描写があるという。
そこには、人生の回想、教え導く役割を果たす教師的存在、想念によって現れる物質、美しい光景、などについての言及があり、そうした領域に旅する能力が、シャーマンになるための必要条件である。

シベリアのヤクート人、南米のグアジロ・インディオ、ズールー人、ケニアのキクユ族、韓国のムーダン(巫俗)、インドネシアのメタワイ島に住む人々、カリブー・エスキモーなどの文化には、生命を脅かす病に倒れ、死後の世界を訪れたのちに、シャーマンになったという人々の言い伝えが残っているとされる。

大乗仏教との関連
 
中国浄土教の僧善導は、死にゆく者がヴィジョンを見たらその様子を書き取るように、と他の僧に指示していた。こうした指示は少なくとも日本の鎌倉時代までは、仏教の1つの手本だった。実際にこうした時代の臨死体験の記述の多くは、浄土思想の資料の一部として保存されている。
 
平安末期の浄土宗僧侶である源信の往生要集には、臨終の際に眩しく輝く光の仏阿弥陀如来を心に念じれば、阿弥陀如来が死にゆく者を迎えに来る、と記されている。
無量寿経や阿弥陀経には、空間的に無限であり、限りない光に照らされ、個人の想念が叶う世界として浄土が描かれている。カール・ベッカーは臨死体験で出現するトンネルは、浄土の「蓮の茎」に相当するのではないかと述べている。
 
チベット仏教との関連
 
チベット仏教におけるチベットの死者の書では、人間が死から再生までの間に留まる霊的な次元が描かれている。
「バルド・トドゥル」(中有・中陰)と呼ばれるその世界では、死者はまず目も眩む程の光明に出会い、それに勇気をもって飛び込めば解脱するとされる。
バルド・トドゥルでは自分自身の意識の投影が、様々な神の姿を取って現れるという。


 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93


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◆シャーマンは、自分が超自然界に「行く」タイプの脱魂型シャーマン、または狭義のシャーマンと、超自然的存在が向こうから「来る」タイプの憑霊型(憑依型)シャーマン、または霊媒 medium に分類される。脱魂型シャーマンだけを「シャーマン」と呼び、憑霊型シャーマンは「霊媒」と呼んでシャーマンには含めない場合もある。 (→ 呪術・宗教的職能者の分類 江戸川大学蛭川研究室  )



「臨死体験者」の3分間の生還リミットは、夢見・シャーマンの生還リミットと同じのようです。
限界を超えた夢見・シャーマンは、遺骸すら無く忽然と消える。


チベット高僧の臨終の場では、「虹色の光彩」に包まれて亡くなる事があるそうです。
遺骸が「砂曼荼羅」の砂になって忽然と消え去る・・
また、「虹色の光彩」に包まれて生まれる赤子も居るそうです。


自分から異次元世界に「行く」タイプは、脱魂型夢見シャーマンなのでしょう。
但し、深い変性意識状態に没入したシャーマンは、異次元世界での事象を記憶していない。
臨死体験者と同じで、意識は変性していない。記憶しています。



世界には、30分を超えて生還した「死後体験者」も居ます。
天国のような世界と、過去・現在・未来を瞬間移動したと言います。
「空間と時間」を超えた?
不思議と天国を見た方が生還するようです。「聖なる光の存在」に帰された?


生き返ると別人のように精神性が向上して、社会に貢献する仕事をするようになります。
もともと霊性の高い方で、この世でやり残した方が帰されるようです。


地獄を見てきて生還した者は稀・・・
人間に許されているのは、「地獄臭」で悟るだけです。