■阿修羅 権力者・藤原不比等の娘・宮子(光明皇后) *画像追加 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。



◆復元・阿修羅像(大宰府)BS


◆ 復元模刻 阿修羅像


 Asura (阿修羅)  - Construction and Painting
http://youtu.be/16gcA4Db7tM



興福寺五重塔(国宝). 

◆興福寺五重塔
 
五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。


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光明皇后は、藤原不比等の娘・宮子で、持統天皇夫人です。

事績として・・・
悲田院(ひでんいん)は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。 ... 日本では養老7年(723年)、皇太子妃時代の光明皇后が興福寺に施薬院と悲田院を設置したとの記録があり(『扶桑略記』同年条)、これが記録上最古のもの

施薬院(せやくいん/やくいん)は、奈良時代に設置された令外官である庶民救済施設・薬園。「施」の字はなぜか読まれないことが多く、中世以降は主に「やくいん」と呼ばれた。

天平2年(730年)、光明皇后の発願により、悲田院とともに創設され、病人や孤児の保護・治療・施薬を行った。諸国から献上させた薬草を無料で貧民に施した。東大寺正倉院所蔵の人参や桂心などの薬草も供されている。また、光明皇后自ら病人の看護を行ったとの伝説も残る。(wikipedia)






◆平城京天平行列 -光明皇后-



この時代、寺の役目は護国安寧が本願でした。
薬師如来の本旨は忘れられていました。

宮子妃が、自ら獅子奮迅の働きをしなければならなかったようです。(三面六臂の阿修羅)
影に於いては、非協力な者たちが居たのでしょう。

やがて、首(おびと)皇子を出産したものの心的障害に陥りました。
その後は皇子(後の聖武天皇)から離されてしまう。
熾烈な政治の暗闘もある。

長いあいだ病気に苦しみながら、天皇の后としての役目を果たしました。
気丈な女性だったようです。

しかしながら不思議な”光明”が差して、病気が36年ぶりに平癒したのです。
やっと天皇になられた息子と対面されました。

”光明”皇后となられた藤原不比等の娘・宮子の生涯は、「怒り」「忍」「愁(慈悲)」でした。
興福寺・阿修羅像を寄進された心の内が察せられます。