■■武田信玄公の娘 松姫さま *絹の道 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

甲斐の武田信玄公の娘、松姫さまの墓所(八王子台町 信松院)に参りました。
武田氏滅亡直前に、多摩の八王子に逃れると、当地で出家して信松尼となり、庵を設けて三人の娘を育てました。養蚕と機織りや、村の子供たちと娘に寺子屋で教えて生活したそうです。

シルクの機織りを伝えてくれた女性であり、八王子の恩人と称されています。
明治の開国では、近在から良質なシルクを集めて横浜港から輸出されました。
外貨獲得に貢献したのです。


桑畑で遊んだ記憶があります。
戦前は、西八王子が街の中心でしたが、空襲で焼けて、現在の八王子に中心街は移りました。

 
 

松の木の下に佇む信松尼公墓(八王子指定史跡)

松姫様の死後130年目に、徳川幕府に組み入れられた(千人同心千人頭)武田氏遺臣たちが、玉垣を寄進して現在の姿になりました。
(徳川の軍政は、武田甲州流を模範としました)


墓所を歩いていると、徳川家ゆかりの墓地と違うことに気付きます。
武田家ゆかりの名字が多い。
しかしながら、家紋の大半は、徳川家所縁の墓地にある見慣れた家紋と同じです。

武田家と織田・徳川家の存亡をかけた戦国からの歴史を感じます。



 

戦国女性 松姫さま

松姫さまは、織田信長の長男・信忠(奇妙丸11歳)と戦国の例に洩れず、7歳の頃政略的な婚約させられましたが、武田と徳川・織田連合と三方ケ原の合戦で手切れとなり婚約は破談。
(武田と織田家の断交前は、二人は情愛深い文通を交わしていたそうです)

織田の甲州入り(武田攻め)では、松姫さまは高遠城(実兄の武田盛信)から婚姻を勧められましたが、頑として応じずじまい。信忠との婚約の誓いを守ったとも云われています。

だが・・・その信忠が織田侵攻軍(6万)の大将でした。
堅城である高遠城へ信忠は降伏の使者を送りましたが、全城兵(2582余名)は、壮絶な玉砕戦をして落城しました。

戦の後村人たちが、盛信以下諸士の屍体を若宮原で荼毘に付し、手あつく埋葬したそうです。
女性まで薙刀をふりまわす奮戦ぶりは、後世まで語り継がれています。

武田盛信は、織田軍の軍勢や武田家の武将たちの謀反の情勢から、松姫さまと盛信の娘・督姫を城主勝頼の新府城へ逃がしました。勝頼軍は上原城に出陣して留守なので、北条夫人と相談して落ちることになりました。(北条夫人も織田方についた実家の北条に攻められた)
北条夫人は小田原の出です。
小田原も危ないと判断したのでしょう。唯一つの逃げ口である東へ一行逃がしました。



 


東下りの像

松姫さまは、実兄の三歳になる督姫と勝頼の四歳になる貞姫、人質として預かる小山田信茂の四歳の香姫の三人の幼子を連れて天正10年(1582年)2月 4日に新府城を旅立ちました。
当てがあったとは思えない逃避行でした。

徳川家の入府前の関東の八王子です。閑散とした農村であったでしょう。
滝山城、片倉城がありましたが、城持ち大名とは言えない豪族クラスです。
甲斐の国と八王子は、巡礼の旅人(善光寺、身延山)の流れがあり、口から口へとの伝聞を耳にし易い地域なので、居を落ち着かせたのでしょう。

織田信忠は、城攻めで松姫さまは亡くなっていると思っていたが、生存を知ると使者を立てて婚約の誓いを果たそうとしました。

だが、戦国の世です。織田信長・信忠親子は、明智光秀の謀反で本能寺で討ち死にします。
知らせを聞いた松姫さまは、仏門(心源院)には入りました。

武田家の滅亡、織田家の滅亡・・無常感に涙したことでしょう。生涯、菩提を弔う御方でした。
しかし、三人の姫を育てているのです。釈迦力になって働きました。

小山田信茂は主君を裏切った不忠を織田信長に咎められて、甲斐の善光寺で嫡男とともに処刑されてしまいます。滅亡寸前での裏切りは、さすがに武将たちの反感を被っていたのです。

武田家滅亡で、最後の引導を渡した裏切り者の小山田信茂の娘・香姫をも大切に育てています。
戦国時代、裏切ると人質は即座に殺される運命でした。
心やさしい松姫さまは、そのようなことをなさらなかった。



 

*追加 松姫さまのお墓に向かう参道の道祖神


心源院へ入門した松姫(22歳)さまは、「信松禅尼」という法名を授けられました。
武田氏一族の菩提をとむらうことを心に決めていたのでしょう。
父・信玄の「信」と、武田氏を滅ぼした婚約者・信忠の「信」の一文字と「松」には、戦国女性の切なさを感じてしまいます。
生涯独身のままでした。



 


信松院は武田信玄の娘である松姫尼公を開基とし、天正十八年(1590年)創建の寺院です。
八王子七福神めぐり(布袋尊 家庭円満の神様) 毎年1月1日~1月10日 午前9時~午後5時




帰り道・・・いつものように 卒塔婆が鳴りだしました。

過去からの風でしょうか?

*絹の道に吹く風・・・



【参照】

松姫尼公墓八王子市
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/bunkazai/shiseki/8218/007150.html

八王子よいとこ/松姫さま2
http://utrblog.exblog.jp/15776718/

松姫さま(全7話)
→その1「清和源氏の名門武田家の姫君」http://utrblog.exblog.jp/15765385/
→その2「高遠城陥落と兄盛頼の死」(当記事)http://utrblog.exblog.jp/15776718/
→その3「武田氏滅亡と流転の旅」http://utrblog.exblog.jp/15802229/
→その4「逃避行-甲斐の国を逃れる」http://utrblog.exblog.jp/15804916/
→その5「信松尼となった松姫さま」http://utrblog.exblog.jp/15804916/
→その6「武田家の遺臣たちに慕われて」http://utrblog.exblog.jp/15809151/
→その7「最終話:松姫さまの残されたもの」http://utrblog.exblog.jp/15811777/

追加 2014.5.6 徳川家と武田家の縁
【動画】「三方ヶ原の大敗北 - 家康 vs 信玄」 そのとき歴史が動いた(4/4)  http://youtu.be/mWpHijY1bNc