「最後の日本兵」小野田氏がなぜロシアで感動を呼ぶのか
アンドレイ イワノフ |
17.01.2014, 19:21 |
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日本の敗戦後、フィリピンのルソン島で30年もパルチザンとして生活を続けた小野田寛郎(ひろお)さんが91歳で亡くなった。
「小野田さんはおそらく日本人兵士としては世界で一番名の知れた人物だっただろう。勇敢さ、兵士としての忍耐強さの手本だった。この人は百年たっても語り継がれるだろう。」
これは数年前、ロシア語のあるサイトに載せられた一文だ。 大体、ロシアでは小野田さんについては大きな新聞もふくめ、本当にいろんなところで書きたてられた。そしてそうした文章はほとんどいつも尊敬の念がこめられ、感激に満ちたものだった。また小野田さん以外の日本兵で東南アジアのジャングルのなかに何十年も潜み、司令官の命令を守り続けた人々に対しても同じようにソ連人は感動を表したものだった。 20世紀2度も日本と戦った経験を持つロシアがこれだけ感動したことも何も驚くことはない。兵士としての義務に忠誠を誓う姿勢は、ロシアではつねに最も重要度の高い美徳とされてきたもので、ロシア帝国でもソ連でも青少年に教え込もうとされてきたことだった。アジアのジャングルのなかで日本兵が相次いで見つかり、その人たちが、第2次大戦が終わったことを知らなかった、または信じようとしなかったことが、ソ連のプレスで紹介されると、多くのロシア人は1941年に書かれた『誠実な言葉』というソ連時代の有名な話を思い起こした。その話は単純なものだった。夜遅く、作者はペテルブルグの中心にある庭園で職員の小屋に小さな男の子を見つける。もう遅いのに、この子はどうしても家にかえろうとはしない。なぜならここで他の子たちと戦争ごっこをしていたときに、自分の持ち場を離れないということを誓ったからだ。ところが約束をさせた子どもらはさっさとそのことを忘れて家に帰ってしまった。この子だけは家に帰ることができない。それは約束をしたからだった。この話をきいたあと、作者は通りで少佐をみつけ、この子に持ち場を離れて、家に帰るよう命じてもらう。ソ連時代、この話は小学校低学年の児童の必須図書だった。おそらく誰もこの話に無関心ではいられなかっただろう。この話も、その後の小野田さんの話と同じだったからだ。 アレクサンドル・モイセーエフ:英雄の行為だ。
(上記コメントはhttp://vk.com/club1649025#/topic-1649025_2128788から引用) (保存全文)引用元: VOR ロシアの声. |
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*最後まで戦い続けた小野田寛朗さんでした。
戦争中も戦後も、ルパング島から復員してきた今の日本で・・・
かって日本と戦ったロシアの人々が、小野田さんの心情を理解して共感しているようです。
日本の人々より。
追記2014.1.20