■■■【再掲】長野善光寺 三つのシンクロニシティ ★アメンバー限定を公開に変更 *追記あり | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。



2010-06-08 11:51:26

長野善光寺 三つのシンクロニシティ ★アメンバー限定

テーマ:★アメンバー記事


長野聖火リレー 動画に残された3回のシンクロニシティ.wm
http://youtu.be/sIjwn8nlPFo

*2012.4.26.Ameba動画閉鎖のためYouTubeに変更 (by tarooza)
■ 音に注意 


初めて訪問される方に前置きしたいと思います。

このブログを近代科学の常識からは離れたものと認識するでしょう。
数行読んだだけで閉じる方も居られるでしょう。
でも、それで良いのです。

しかし、敢て唯物論の家庭に育つた方が読むことは、「ゲシュタルト崩壊」する危険性がありますので閉じられた方が無難だと思います。

その事例を、まざまざと知っていますので。
他の例のシンクロニシティ現象動画を視続けてきた結果のことでした。


この長野聖火リレー騒動のシンクロニシティ現象の顛末は、時間の経緯のままにブログにして載せていました。

難解になるのは、その時、その時の自分なりの分析なり、解釈が揺れ動いた結果でした。

今、少しづつ平易にまとまりつつあります。


自身で撮影したものを動画にして編集しました。
ユーチューブで拡散希望される方の動画を一部使用させていただきました。
感謝いたします。

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さて・・・
貴方の人生の中で微かな気づきを知る方は、読み始めると思います。


2008年4月25日のことでした・・・
戦後の壮大なマインドコントロールから覚めた日でもあります。
日本の法の支配が揺らいだ日になりました。


☆夢の始まりから騒動の長野・善光寺に行くことに決めました。

panchenlama-xl02.jpg
旗だらけ@Free Tibet(仮)転載、再配布、自由自由


不思議な夢と一致する出来事がシンクロニシティの始まりと知っていましたので、
それがなければ行動することはありませんでした。



当時、善光寺の聖火リレー出発地の辞退が急転して起き、支持に感謝したチベット人たちの犠牲者追悼式がおこなわれることになりました。

しかし私には、善光寺とチベット仏教を結びける11世パンチェン・ラマだとの確信がありました。
不思議な強い縁なのです。
更に不思議な現証が存在していました。
その為に居たたまれず、彼の安全祈願法要を依頼したのです。



犠牲者法要にパンチェン・ラマ一家の「お朝事」での安全祈願依頼はないと考えましたので申し込みました。
永世に日本とチベットを繋ぐのが大事と気づいたからです。

それが、夢と一致する出来事のひとつでした。


先般、中国政府発表にある「真正な11世パンチェン・ラマ(ニマ)」の生存に安堵しました。
暴虐な人々に囚われている為に、生死が不安視されていたからです。

世界の監視と祈りが彼を助けているのです。


以前から、縁の深さで夢から始まる強いシンクロニシティは体験しています。
何が起きるかは察知できませんが、不思議なことが起きることは分かっていました。

時間は不可逆です。
不思議の場を記録のため撮影してきました。
すなわち、客観的に実在する動画と時間を記録したのです。
言葉だけの曖昧さは有りませんから。

そして勇気ある人々に伝えたいと思っています。


聖火の運搬は、新幹線、輸送へり、輸送車などと情報は錯綜していました。
世界の主要国家での反対運動の高まりを警戒した政府は情報を秘匿していました。

しかし運命の神は、三つのシンクロニシティでもって私を導きました。


☆1回目は高坂インターで遭遇させ、2回目は、聖火を運びこんだホテルの裏口で遭遇させ、3回目は善光寺・大門で間近に遭遇させました。

☆高坂インターでは偶然いた数人だけの反対表明です。
ホテル前では私ひとりでした。警備の警察官は苦笑いしていました。
善光寺・大門前では、騒動の中を聖火リレーは通り過ぎていきました。

☆その後、台湾国籍のチベット人 (タシィ・ツゥリン氏)が、胡錦濤国家主席とピンポンをするF選手の前に飛び出した事件が起きました。

彼は、早朝の善光寺本堂でチベット式礼拝をしています。
他のチベット人たちは、聖火リレー中に犠牲者法要をするため居ませんでした。
後に、その一人だけいたのは彼だと分かりました。

(彼は、中国主席が日本を離れる直前まで釈放されませんでした。異例な長期勾留でした)




「強いシンクロニシティの三つの兆し」

☆祈りの場に顕れます。

☆生死に連関して人の縁を通して顕れます。(過去世・前世・現世・来世の三世)

☆真実を悟ります。



皆さまには、私のブログが宗教的と感じるかもしれませんが、思考の一部は伝統仏教の解釈からだと思います。
しかし、氏神さまに参拝し、お寺の檀徒として経を唱え、こどもの頃はキリスト教会で遊びを交えて学びました。

普通の日本人です。


但し、☆シンクロニシティ実践者としては苦しみがありました。

伝統的な宗教者からは異端視が。
新興宗教からは誘惑が。
唯物論者からは攻撃が。
リベラリストからは、冷笑からのち怖れられが。


☆不幸を及ぼすリベラリストの考えている中道ではない、真の中道を心がけています。
今は、"洞窟の魔法使い"の気持ちから外に飛び出し、子供の頃からの疑問を解くべく探求しています。


★研究すべく本を紹介してもらおうと、本・読書のグルっぽに申請しましたが承認されませんでした。心の痛みを知る方の管理のグルっぽのみが承認してくれました。
このことは予想していました。陰と陽の世界ですね。

☆ありがたいことです。胸にひかりを持つ人を見つけると、わくわくして魂が歓びます。
前進する栄養パワーになります。


よく読んでくれました。
祈りの場から離れた時代に・・

感謝いたします。

*【追記】シンクロ二シティのタイムライン 2013.8.14


「強いシンクロニシティの三つの兆し」

☆祈りの場に顕れます。

☆生死に連関して人の縁を通して顕れます。(過去世・前世・現世・来世の三世)

☆真実を悟ります。



シンクロニシティ現象は、人智で想像する範囲を超えています。

この長野聖火リレー騒動が、日本の状況とチベット亡国に結びついたのです。

巨大な五星紅旗で小さなチベット旗を強引に押し隠す中国留学生たちの醜悪な形相は忘れません。
「赤旗で長野の街を埋め尽くせ」が、人民解放軍の司令官・胡錦濤 の指令(チベットの虐殺者と言われる男)

後に、私に縁のある寺院の旧墓地跡に建てられた中国大使館関連施設が、中国留学生を統括する本部と知りました。

幕末期の江戸湾防備に、大砲を備えて馳せつけた先祖に監視されているようです。

寺は本陣としても使われた。



中国共産党政府の尖閣諸島への野心は、近年甚だしいものになりました。

チベット、ウイグル、内蒙古、満洲への侵略行為の延長が、日本です。

長野聖火リレー騒動で、日本政府は怖れるに足らずと・・・


☆夢の始まりから騒動の長野・善光寺(2008年4月)に行くことに決めました・・が、

転換点でした。



【満洲での因縁】


[薬師如来信仰 第13世ダライ・ラマ法王と日本の不思議な縁]

薬師如来像が盛んに作られてきたのは、チベットと日本です。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/yakusinyorai.htm

老荘思想の中国ではとても少ない。

自然に住むには厳しいチベットと、自然に恵まれた日本なのに偶然ではないようです。
両国とも 古代からのアミニズムが伝わっています。

中国の中原では、民族の興亡が激しくてアミニズムが伝わっていない。
断絶の歴史です。

日本とチベットのアミニズムは、仏教伝来の「薬師如来」が受け入れやすかったのでしょう。

阿吽の呼吸で通じる土台があるようです。

満洲國で 流離う病気の日本の子どもたちを救ってくれたのは、薬草の知識と慈悲の心を持つラマ僧(チベット仏教の僧侶)と満人でした。

敬虔なラマ教の信仰を持つ満人の少ない満洲國の北方(*現在の中国延辺朝鮮族自治州)では、命を絶たれた・・と、深く記憶しています。

満洲では、第13世ダライ・ラマ法王(1876 ~1933)で、親日家で知られていました。
戦争の混乱前から、満人と日本人は穏やかな交流をしていました。

チベット仏教と日本の不思議な縁を感じます。


*延辺朝鮮族自治州(北満洲)
高句麗の以前から満州族の住まう土地であったが、清代に入るとこの地を満州族の聖地と見なし一般人の出入りが禁じられた。そのため人口密度が極端に低い状態が続き、そこへ貧困から当地に密入国する朝鮮族が増え不法に定住を始める。清政府は、その対策として取締りの強化とこの地への中国人の移動を許可するにいたったが、満州国時代になると日本への不法移住朝鮮人の受け皿としてこの地がその役割を果たすこととなった。日本統治下において、日本本土への渡航を禁止された朝鮮人の大半は本土への不法移住から満州国へと流れた。この時期には合法・不法問わず多くの朝鮮人が移住を行っている。(wikipedia)