■企業戦士 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


ソビエト連邦政府が健在で、特殊な契約で取引していた頃の思い出です。
ブレジネフ書記長(国家指導者)時代でした。任期:1964年10月14日 – 1982年11月10日




毎日モスクワから、取り決めた時間に電話連絡してきますが、いつも定めた時間には来ません。

現在のような自動電話ではなく、ソビエトの電話交換を通さないと繋げてもらえません。
電話交換手の企業名を聞き逃さないようにし、何度も此方から企業名を連呼しました。


若い私は早い時間の当番で電話を受けることがありました。
連絡してきた項目をメモして、此方からの報告を伝えます。


会話には注意するように言われています。
ソビエト人の名前、政治家・軍人名は特に厳禁。会話を聞かれているのです。(盗聴・検閲)
うっかり会話中に入ると、プッと遮断されてしまいます。
するとなにやら数日間は電話を繋いでもらえません。


ソビエトの労働者は、日本企業が持ち込んだ工具や部品を黙って持っていってしまうことがあり、プラント建設に支障があるのが多々でした。
工具が盗まれると作業が進みませんので、防衛上、宿舎のホテルまで持ち帰ることにしました。


またコンテナで送った装置が、途中で消えることもありました。
日程が遅れると監督官庁の役人がクレームをモスクワの日本側の貿易商社に行くのです。
言い訳無用です。


パスポートを取り上げられているので一時帰国もままならない。
交代要員が到着しないと出国できないのです。


工場は出来上がっている中のプラント・システムの構成作業でしたが、極寒でも暖房はないのです。
せめて休憩中にと、暖房器具を持ち込んでくれたのがモスクワ駐在の商社の支店長でした。
満洲やソビエトで働いていた方なので、気配りはありがたかったと・・・


そのモスクワからの電話の主が、多くのユダヤ人を助けた杉原千畝さんと知ったのはずっと後のことでした。
イスラエル国から「諸国民の中の正義のひと」として顕彰されています。

 



VICTORY PARADE ANTHEM 2012 SOVIET RUSSIAN   



ロシア国歌を社会主義国家時代のソビエト連邦国歌(祖国は我らのために)に戻したようです。

ひな壇にゴルバチョフの元気な姿がチラッと見えました。