高濃度放射能プルーフが死の雲として覆った頃、小さな子連れの婦人が訪れました。
世間では、スーパーに、水、食料と買出しに慌ただしい中です。
決して、押し付けがましい物言いではないのですが、「ものみの塔」の小冊子を置いていこうとします。「エホバの証人」の熱心な伝道活動でした。
ネットや雑誌で採り上げる彼らの活動に、何らの関心はありませんでしたが、小さなこどもの姿を目の前にすると・・・「止めて下さい」・・・と、込み上げる感情を口にしそうになりました。
たとえ「殉教者」に共感しているとしても、子供の未来を奪う権利は、養い親であっても・・有るのか?
輸血を、教義上の理由をもって拒否する感覚と同じ。
とても熱心に聖書を学び、礼儀正しい人たちではあるのでしょう・・・が、
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[聖霊] 人・教会に関わる聖霊の働き
信仰者に内在し、神の目に正しい生活・行いをすることができるようにさせる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%9C%8A
エホバの証人と伝統的なキリスト教会は、エホバとキリストのどちらが神かとの聖書解釈に違いがあり論争しているそうですね。
しかし、「聖霊」を含めて「三位一体」の神を信じて、礼拝している外形は同じ。
「森の精霊」と同じ魂が、人間には内在しています。
変化身する精霊の魂に感応するのは、その為でしょう・・・“感じたり”、“見えたり”、“意思を伝えたり”と。
「エホバの証人の聖霊」と「森の精霊」とは、違う種類だと言うのでしょうか?
真実、清浄で慎み深い信仰者として生きていたとしたら、内在する聖霊と感応した
嘆きの聖霊を、 感じたり 見えたり、意思を伝えてくるでしょうに・・・見過ごしている。
森の精霊と交流したと思っている者が、伝えたい言葉です。
例え、届かない言葉だとしても・・・。