纏い 江戸火消しが景気を付けた
団参の行列
10月13日、日蓮宗では、宗祖・日蓮聖人が入寂された地、東京池上本門寺で「お会式」がありました。
前日の12日、夜になると、例年、池上の街は、数十万人の人出があり、笛や太鼓で万灯行列が纏い(まとい)と共に練り歩きます。
子どもの頃、つむじ風のように自転車で駈けまわる私たちたちの話題は、縁日の露天巡り。
カーバイトの匂いと炎の明かり、しんこ細工職人の手さばきを飽かずに眺めたものです。
風に乗った祭りの、団扇太鼓と鉦と笛の音が懐かしい。
時は変わり・・・
脚も萎え、泊りがけの小さな巡拝の旅になりました。
13日の朝、臨滅度時法要(宗祖第731遠忌)が大堂で行われます。
境内には、特別に霊宝殿で御霊宝や貴重な文化財を展示しています。目的の一つでした。
御真蹟ほか30点は、月毎に入れ替えます。
何が展示されているかは、拝観する前に分からなかったのです。
ネットで検索しても なかなか捜し物は見つかりません。
歩くことで、引き寄せるように手にすることが出来るのでしょう。
不思議は、いつも旅で体感する。
仮想のネット世界では、実感できないようです。
所縁の図会の発見でした。
大坊版、宗祖涅槃図です。
受付の僧に尋ねると親切に教えてくれました。
絵の作者は不明で、版木は大坊、本行寺に有りますが、以前には頒布していたが、現在は刷っていないとのことでした。
展示されている図会を見ますが、小さい字が見分けられないので、手元で詳しく調べたかったのです。
少々落胆しました。
大坊 本行寺
未練のまま、大坊に向かったのですが・・
多数の弟子、有縁の信者が法華経を読誦する中、静かに波乱に満ちた61年の御生涯を閉じられた由緒ある場所(御臨終の間)のお寺です。
大坊は、宗祖の涅槃図に描かれた御坊で、13日午前八時頃、「伊豆法難以来の随身佛の釈迦立像」を御安置し、枕元には「臨滅度時の御本尊」が掲げられた。
なんと! 参拝する為堂内に進むと、その図会が掲げてありました。
若い僧に尋ねると、それは頒布されていたのです。
「絵師は不明ですが、江戸時代の作でしょう。
現在、絵図を欲しがる信徒さんが多いので、急遽頒布する事にしました・・・。
昭和20年4月15日の大空襲で大森・蒲田・川崎の京浜地域は大火になり、当山は、一部を残して灰燼に帰しました。
残った、寺宝のこの涅槃図は、当山のみ」・・とのことでした。
*(4月15日~16日は、大田区 が被った最大規模の犠牲者が出た日です。
無差別爆撃、焼夷弾、そして重油まで蒔いた。本門寺に逃げ込んだ住民目がけ、大量の機銃掃射したので子供たちの犠牲も多数。民間人を狙った軍事作戦でした)
ふっと会話していて思い出したことがありましたが、口にはできませんでした。
その空襲の大火から、祖師ゆかりの寺宝を命がけで避難させて護ったのは、寺の寺務員の方と、極めて少ない老僧侶でした。多くの坊さんたちは、皆逃げたのて゛す。
戦後、その老寺務員を僧侶たちは、それは々大切にしたとのことでした。
しかし、若い僧は、知らないでしょうね。
とかく寺務員を疎かに処遇する関係しか知らない。
図会を求めたのです・・・
御会式桜 本行寺内の玉垣、明治40年頃に整う
辞して境内を通ると、「お会式桜の故事、日蓮聖人の入寂時、庭先の桜が法性の春を顕し、時ならぬ華を咲かせた」と云う、保存桜がありました。
万灯の桜
万灯の宝塔に、お会式桜を飾る謂れになった故事なのです。
咲いた御会式桜 本行寺内
本当に咲いていました。(近年の植樹)
来る時は気が付かなかった。
妻曰く・・・着いた時には、咲いていなかった。 (笑)
先祖の名が涅槃図会にあった。