「こよなく晴れた青空を、悲しと思う切なさよ」 長崎の鐘 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。



*youtube=>  長崎の鐘-藤山一郎.mpg  

昭和20年8月9日、その日の朝は、こよなく晴れた青空であった。
長崎医科大学の永井隆医学博士の被爆体験を歌にしたものです。

「長崎の鐘」の謂れは、
爆心地に近い浦上天主堂の瓦礫の中から出てきたアンジェラスの鐘のことです。
現在、再建された天主堂の鐘つき堂の上で、鎮魂の音を鳴り響かせています♪


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*原爆で破壊された浦上天主堂(1946年1月7日)wikipedia


戦後の長崎では、原爆被害を後世に伝えんと、崩壊したままの浦上天主堂の姿を残す運動がありました。
しかし、キリスト教世界に「原罪」を与えるものだとして、アメリカ(GHQと政府)は許しませんでした。

徹底的に瓦礫を細かく砕いて撤去させた。(1946年当時GHQ)
残った一部外壁の廃墟などは原爆資料保存委員会等の要請で被爆当時のまま仮保存してありましたが、アメリカ(政府)の意向で、長崎市の予算を用いて完全に撤去させたと云われている。(1958年)

広島の原爆ドームのような姿で、浦上天主堂を残したくなかったのでしょう。


しかし、浦上天主堂の破片の一部がアメリカに保存されています。

天主堂に通った敬虔な信者で、未だに遺骨のない方もおられます。
「遺骨とも云える破片」を返還してもらいたいものですね。

今日は、

67回目の長崎原爆忌の日です。

合掌