昭和の歴史は繰り返す 東北の悲哀 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。





これは、以前ブログ記事の再掲載です。(★アメンバー記事でした)


youtube=> 226事件秘話 1/8

*注意 高い音源から始まります。(自動電話交換機の音)


昭和11年2月26日、日本の軍事クーデーターについて祖父から聴いていた話しを思い出しました。

関東地方では、雪が降っていました。

その当時、我が家は下町にあり銀座までは市電で大してありません。




仕事用の電話で、何かで陸軍が完全装備で出動しているとの「噂話し」が伝わりました。

まだラジオ放送も新聞も事件について報道していませんでした。

(クーデーター軍に占拠されています。警視庁や新聞社)



事件が長引くにつれ若い衆がやじうまになって見物に出かけたと言います。

そのうち閉鎖線が構築され追い返されました。


そして電話がつながりにくくなつたそうです。

民間の電話には規制がありました。



クーデーターは戒厳司令部により鎮圧された後、部隊は満洲に左遷されています。


民間人にクーデーターについて他言無用との厳命で、表向きには話せませんでした。(彼らは悲憤慷慨しています)



彼ら若い兵隊は気の毒であつたと祖父は言っていました。



朝鮮に国の金を散財して国内の農家は貧乏になつたと言います。

果てには、自分の妹、姉が女郎屋に売られたとも。



それまでは、そこまで極端なものでなかったそうです。

世界恐慌なら何で朝鮮に金を出すのだと庶民は怒っていました。


「朝鮮を捨ててしまえ」

これが、その当時の明治生まれの大人の考えです。
*(国家予算の1/5が使われた)


二・二六事件での、下士官と兵隊たちの心情的な暴発の原因の一つになりました。




指導層の無責任な政策で国の富、人をすり潰した。

これが、戦後の祖父の弁でした。



戦後はアメリカの指示で韓国に経済、技術で支えさせられました。


現在も其れが続いています。




また動乱に巻き込まれるかもしれないと祖父の言葉を思い出しました。


(未熟な歴史観に気付かない指導層は、また同じような政策(東アジア共同体)で庶民を不幸にします)


中国・南北コリア・ロシアから、歴史の亡霊の復活です。





賢人・福沢諭吉翁の言が蘇ります


「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」


東アジアの悪友とは縁を切って近代化を進めて行くことが望ましいと結んでいる。

参考: 脱亜論



この脱亜論を、近隣諸国の政治家たちは、本心では非常に怖れています。




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昭和の半島政策が、戦争の至る道でした。



東北を切り捨てた愚策によって、無残な戦争に引きづり込まれました。



福島原発人災事故で放射能を撒き散らす。


國富を半島に撒き散らすスワップ協定の締結です。


泥舟に乗ったのです。


国内論争を引き起こすでしょう。





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