*昔、どこの小学校でもあった二宮尊徳像(二宮金次郎)道徳修身教育の廃止に伴い多くが毀されました。
戦前教育の否定でした。
小中学校のPTA(Parent-Teacher Association)役員の成り手が少なくなったのは、父母の多忙化だけが原因とは思えません。
中核になって活動してくれる父母に、政治家や思想団体の思惑で、市町村県、郡部の大会に駆り出されることです。
政治情勢の尖鋭化によつて、肝心な学校行事に時間を取られなくなる傾向に拍車が掛りました。
学級崩壊や、それ以上の学校崩壊は、教育現場に団塊世代の左翼運動が持ちこまれてから荒れだしました。
事実ですね。
「道徳修身教育」反対闘争でしたね・・・忘れていませんょ。
明治時代に村人たちの私財、労力で開校された100年以上の小学校も、生徒数減少を理由に教育官僚たちは、廃校にしてきました。
明治の人たちは、譬え数名の生徒の為であっても、教育の大事さを知っていました。
現在より圧倒的に少ない人数の生徒であつても。
教育官僚たちの本音は、教師、職員手当の高給化です。
(旅行に行くと感じるのは、官僚、教師ゃ職員家族の多さですね)
問題のある学級は、労働権利だとして帰宅する教師の担当がほとんどです。
あまりにも目に余る生徒の行状から、近隣の父兄が対策を話し合おうとしても、肝心の教師が避けている様子でした。
中には、PTA役員の要請の資料も出してきません。
組織の指令と云われていました。
学校によつては、PTA広報誌を廃止させたのもありました。
安保闘争以後の団塊世代は、
活動しやすい職を求めて、各職域に就いていきました。
政治団体職員、マスコミ、公務員、教師、がターゲットでした。
「組織内革命」を合言葉に。
図書館司書も彼らに人気でした。
読書グループを各社会の中核を占めるのは、その系統の人たちです。
偏った思考で、自由な考えの人たちを巧妙に廃除しています。現在も。
崇高な目的を掲げていますが、その高い労働対価を欲する思考が、折角集めた寄付金を彼ら自身の活動資金に流用する事例が報道されるまでになりましたね。
日本の伝統社会を毀そうとした、その団塊世代も定年を迎えています。
安易な生活を求める、その人たちは、退職金を株、FXなどの投資、投機に投じる者が出始めました。
しかし、1年もしないうちに、全ての資金を失くす多くのリタイヤ組がいます。
企業活動をしてきたリタイヤ組とは違って、左傾の団塊世代ですね。
店頭で騒ぎを起こすのは。
世間を甘く見ていたツケが、人生の晩年に、因果律として還るのを観ているようでした。
自由に生きようとする若い人たち(対戦相手)に負けた姿でした。。
短稿でした。