幕末風塵記 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。


*「ノーエ節」と誤って伝わっていますが、正しくは「農兵節」 (ノーヘーと掛け声になります)
江川太郎左衛門作とも云われています。オランダ学者仲間は、宣伝に歌をつくりました。


幕末を生き抜いた剣士から手ほどきを受けた方が、道場に来られたことがありました。
まだ、私は子供(少年部)でしたのて゛言葉は交わしておりません。

剣道と呼ばれるものとは、竹刀さばきが違うのは分かりました。
旧幕臣の多く住む土地から、道場に稽古をつけに来てもらったのです。
新撰組の出た土地でした。

木刀による型を見せてもらいました。
剣道の打ち込みと異なり、どこでも攻めています。
脚への攻撃も突きも有りでした。

誰も老人に歯が立ちませんでした。
竹刀を合わせたとき、若い人の竹刀が離れられません。
「びしー」痛そうな音で横面を打ちつけられてしまいました。ルール無視です。

立ち会うと分かりましたが、*不思議と竹刀の剣先が見えません。
あっと、思ったら打たれています。
子供とは謂え、手加減なしです。

後年、この痛い思い出が、新撰組を調べる元になりました。(笑)

我が家も、旧幕臣とは聞かされていましたが、新撰組と深い縁があるとは思いませんでした。

調べていくうち、一般の書物にはない、歴史の裏側を知りました。
「農兵隊」と「新撰組」を つないだ関係に深く関わっていると気が付きました。


黒船来航を期に、先祖の若者たちは、歴史の中を翻弄されていきました。
西洋式の軍隊が作られたのは、伊豆の「戸田農兵隊」が最初です。
江川代官所の直轄地でした。

江戸時代には、幕府直轄の天領と大名の領地の二通りあります。
天領地の領民は半農半士としての訓練を受けております。
藩学ともいえる学問所と武道館を伊豆韮山に持っていました。


伊豆の直轄地の若者は、他藩に比べて学ばなければいけないことが多かったのです。
製鉄作りの為の探索、反射炉の製造、各種工作機械、大砲操作の座学(数学)、実地訓練、蘭学、剣術、柔術、歩兵調練、操船訓練、天文観測、西洋式軍艦造船、野戦食のためのパン製造など。お台場もです。江戸屋敷では、ジョン万次郎からのエゲレス語の学習もありました。
そして、本職たる差配地の管理を少ない人手をやりくりしています。

ここに、江川代官の身分の別なく国の為に働くとの信条があります。
それが、幕末期には口舌の徒と化した幕府官僚群に嫌われた原因でした。

実践・実学の気風が伊豆韮山にありました。


努力の成果により、
海岸防護に据え付けられた大砲の操作は、訓練された若者たちが勤めました。
最も優秀な砲術家の高島秋帆が教授しました。

*アメリカ艦隊は、戦争を回避せよと命令されていたと言われますが、訓練は止められていません。
威嚇的な実弾射撃をしています。幕府は抗議していますが聞き入れませんでした。

そのため江川太郎左衛門は、戸田農兵隊の大砲射撃訓練を彼らに観測させました。
軍艦の射撃方法は、大きい目標を射撃するため大雑把です。しかし、野砲の精密射撃は正確です。
以後、アメリカ艦隊は日本で射撃訓練はしなくなったと言われています。



関東地方の代官(旗本)は、江戸屋敷をもつて江戸城の勘定方に出仕します。
屋敷は、現在の両国国技館のあたりです。
また、一時は、旧吉良上野介の屋敷を使っていた時代もありました。
*後の慶応大学になった三田も江川家の屋敷でした。

江川太郎左衛門英竜は伊豆韮山に生まれましたが、18歳で江戸屋敷に修行のため住むようになります。
若い英竜は、父の英毅の薫陶で、蘭学者仲間の杉田玄白、伊能忠敬、間宮林蔵から最新の学問を聞けるチャンスにめぐまれました。(代々の慣習)

江戸の修行時代に、江戸一番と云われた岡田十松の道場で免許皆伝を受けました。
代官家を継ぐ者の資格として免許皆伝、目録以上は必須条件でした。

この道場で生涯の友といえる斉藤弥九朗と巡り会います。
斉藤弥九朗は、太郎左衛門の用人(手代)として幕府瓦解までの時代を走り抜けました。
新撰組に深く関与した人物です。

江川代官所の差配地は、伊豆・駿河(静岡県)、相模(神奈川県)、武蔵(多摩・埼玉) 甲斐(山梨県)の五ケ国にまたがりました。

江戸屋敷からの、お上の御用は村々に置かれた手代によってなされています。
天領地である多摩の日野にもありました。
新撰組発祥の土地です。

この時は、太郎左衛門は亡くなっておりますが、彼の志はそのまま行われます。
彼が育てた人材は、幕末・明治と社会の中堅として働きました。


続きは折を見てということに致しますね。ニコニコ



*一部分、口伝もあります。現在誤って伝わっていることが多いので残そうと思いました。

*不思議と竹刀の剣先が見えません。
後年になつてこの秘密が分かりました。
人の目の左右のどちらかの、ある程度のゾーン内に、完全に物の形が消える点があることを知りました。目の死角点です。