烏庵・タロローグ健です。
春日大社と東大寺のお話。
ついに最終章です。
それまでのブログはこちら↓↓↓
前回、春日大社の若宮15社について、
重要なところを書きましたが、あえて1つ紹介していませんでした。
それは紀伊神社です。
若宮15社の一番奥。伊勢神宮遥拝所の奥、
龍王珠石のすぐ右隣にあります。
◆紀伊神社
紀伊神社はお参りできるところの一番端で、
これより向こうは禁足地になっています。
春日大社古代祭祀遺跡調査報告によると
御蓋山には岩や石で作った磐境(いわさか)と呼ばれる
聖域を区切る境界線があったことが分かっています。
それは、紀伊神社から少し行ったところまで伸びているのです。
◆御蓋山の磐境
磐境は上と下の2つがあります。
下のほうの磐境の一番左端上部、
そのちょっと先が紀伊神社です。
紀伊神社から身を乗り出して見てみれば、
運が良ければちょっとだけ見える。
と言われていたのですが、見えませんでした。
◆紀伊神社の端
ここから先は禁足地なので行く事は叶いませんが、
上の調査図は後で重要になってきますので覚えておいてください。
さて、話はいきなり変わって、東大寺にお参りします。
東大寺と言えば、あの大きな大仏様です!
それだけを見に行ったといっても過言ではありません。
◆東大寺・南大門
◆鏡池
鏡池を過ぎたところにある中門。
その奥に見えるのが大仏殿です。
鏡池に映る大仏殿が美しいです。
鏡池を振り返って見てみると、向こうには御蓋山が見えます。
鏡池には陸続きで小島になっているところがあります。
小島は入れないようになっておりますが、厳島神社があります。
そこには市杵島姫(イチキシマヒメ)が祀られています。
市杵島姫(イチキシマヒメ)は
天照大神が弟のスサノオの剣を3つに嚙み砕いて、
霧を噴き出したときに生まれた三柱の女神の三女。
イチキシマヒメのイチキとは斎(いつく)の事で、神に仕えるの意。
天照大神の噴き出した霧から生まれた巫女。
『太陽』と深い縁を持つ巫女と言ってもいいでしょう。
この厳島神社が、いつ建てられたかは分かりませんが、
東大寺が『太陽』に関わっていると分かって建てたとしか思えません!
◆大仏殿
◆本尊・毘廬舎那仏
いつ見ても圧巻です!
この大仏様、元々は別のお寺に置く予定だったんです。
それがどういうわけか東大寺になったんです。
東大寺建立と大仏造立は別々の事業だったんです。
それはさておき、
この大仏様は『華厳経』に出てくる
「ヴァイローチャナ・ブッダ」です。
その音を漢字にして「毘盧舎那仏」と呼ばれています。
意味は全てを光り照らす仏=『太陽の仏』です。『太陽の』です!
大事だから2度書きました。
大事なことは2度3度と繰り返し現れる。
これは古代から続く大切な教えです。
ここで突然ですが、
御蓋山頂上の大和日向神社(本宮神社)と
上下2つの磐境を思い出してください。
大和日向神社の本殿は、
西北西を向いて建てられています。
西北西とは北西(45度)よりも西側(30度)の角度です。
なので大和日向神社の本殿を拝むときは、
逆の東南東(30度)を向くことになります。
この30度の角度は『冬至の太陽』が昇ってくる角度です!
ここで先ほどの調査図を、もう一度見てみましょう。
大和日向神社を中心に30度のラインを引いてみると…
なんと2つの磐境の間を通っています。
いや正確には『冬至の太陽』に合わせて磐境を作っていたのです。
ここに現在の地図(国土地理院版)を重ねてみると、
一体、何が浮かび上がってくるのでしょう。
東大寺の境内、鏡池あたりを通ります。
つまり東大寺を通ります。東大寺の大仏様は『太陽の仏』
鏡池の厳島神社に祀られているのは、
『太陽』=天照大神と縁深い市杵島姫。
更に言うと先程の国土地理院の地図。
『太陽』ライン上、地図中央の「奈良公園」と書かれた上に
「∴」のマークがあります。
「∴」マークのすぐ右隣にある
直角の道の角に水谷神社があります。
そうです!床下に磐座のある水谷神社です。
東南東(30度)から昇ってくる『冬至の太陽』は
御蓋山磐境の間→御蓋山頂上→大和日向神社→
水谷神社床下の磐座→東大寺・鏡池を貫いている。
御蓋山で太陽祭祀をしていた春日氏は
『冬至の太陽』の通り道を空けて磐境を作り、
水谷神社のあるところに磐座を作った。
御蓋山頂上には『冬至の太陽』を拝む角度に合わせて
大和日向神社を作った。
後年、聖武天皇の詔により、国家事業として
『冬至の太陽』のライン上に東大寺が建てられる。
聖武天皇が本来、別のお寺に置く予定で造っていた大仏様を、
光明皇后が予定を変更させ、わざわざ東大寺に持ってきた。
その大仏様は「華厳経」の『太陽の仏』だった。
東大寺の鏡池には『太陽』=天照大神と縁深い
市杵島姫を祀る厳島神社が建てられた。
何なんだ!これ!!って感動しませんか?
東大寺に大仏を持ってきた光明皇后も
太陽祭祀の聖地に春日大社を建てたのも、
全部、藤原氏が絡んでる。
光明皇后のお父さんは藤原不比等。
もしかしたら、藤原氏は
『太陽』にまつわる聖地を抑えることで
『太陽』を手中に収めようとしていたのかもしれません。
そこは壮大な平安ロマンです(笑)
古代の人は、『冬至の太陽』に何故そこまでこだわるのか?
冬至は一年で一番日中が短い日。
この日を境に夏至まで日中が長くなることから、
太陽が勢いを盛り返していくことから、
冬至は『太陽復活』の大事な日として崇められてきました。
クリスマスも元をたどれば、そこに行きつくとされています。
古代の人がどれだけ『太陽』に深い念を抱いていたのは
春日大社と東大寺からも伝わるかと思います。
僕は、それがつたわってくるからこそ、
毘盧舎那仏=『太陽の仏』の後背から
『冬至の太陽』と面する30度の角度を意識して、
『太陽復活』をお祈りしてました。「光明真言」を唱えながら。
◆毘盧舎那仏・後背
古代の『太陽祭祀』の痕跡を
現代でも感じられるモノが残っている。
分かってて残している人がいるっていうのは有難いし、
そこにつながれることも含めて「奇跡」なんじゃないかなって思います。
タロットだって『太陽』ってカードがあって、
その次には「復活」を暗示するカードが順番としてくる。
タロットを只のカードゲームという人もいますが、
だったら、『太陽』→「復活」なんて並びにしないでしょ?
『太陽祭祀』の伝統を分かってて、織り込んでいるんです。
更に言うなら「復活」を暗示するカードの次は、
「世界」があらゆるネットワークでつながっていることを表すカードです。
自分が「何を選択する?」で明るみになるもの、
湧き上がってくるもの、つながる世界が無限にある。
僕の場合は、その一つが『太陽』
古代から『太陽』は「永遠不滅」「無限供給」のシンボルであり、
その輝き・パワーは人を魅了してやまない。
皆さんも今度、春日大社や東大寺に行くときは
ぜひ、『太陽祭祀』の息吹を感じてみてください。
合掌。

















