永遠の0(後編) | 「占わない占い師」が、カモワンタロットで人生に奇跡を起こす! ~烏庵ブログ~

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おはようございます(^O^)

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烏庵・タロローグ健です☆

今回は、前回の記事である
『永遠の0』の後編です。

『永遠の0』は
数多くの戦争資料を基に
書かれています。

その中でも、特攻前の一場面を
ピックアップしてみていきたいと思います。

宮部が、最後の出撃の前に、
共に特攻に出撃する大石予備士官と
零戦の交換を懇願する場面があります。

大石は、宮部の教え子でした。

宮部は自分の出撃する機に
エンジンに不調がある事を見抜き、

生き残るのなら自分の教え子にと、
機の交換を申し出たのです。

教え子に、残された家族を託すために。

もちろん大石は、宮部の真意を知りません。

宮部の機は五二型で
大石の機は、旧式の二一型でした。

五二型と旧式の二一型では
性能に大きく差があり、

大石は腕の良いパイロットが
良い飛行機に乗るべきだと言って、
断りました。

断られ、宮部は一度は引き返すも、
再びやって来て、交換を懇願しました。

2人はやり取りを繰り返すうちに、
ついには大石は折れて、機を交換する事にしました。

出撃すると、大石の機は
宮部の予測通り、エンジントラブルを起こし、
引き返さざるを得なくなりました。

生き残った大石は
機から降りようとしたとき、
宮部のメモを見つけ、
その真意を知ったのです。

という場面であります。

この場面を読んだ時、
物語を盛り上げるための
創作だと思っておりました。

しかし、調べていくうちに
この場面の元になっていると思われる
史実があった事を知ったのであります。

ここからが本題であります。

それは大石政則少尉と
船川睦夫二飛曹のやり取りであります。
(以下、敬称略)

大石は菊水二号作戦により、
四月十二日に宇佐基地より出撃するも
原因不明のエンジントラブルにより
帰還していました。

帰還した時、
会う人毎に声をかけられるのが
身を切られるようだと記しています。

その後、串良基地に移り、
二十八日に再び出撃し、
二十二歳の命は、
沖縄の空に散っていきました。

その前日の二十七日。

大石少尉は船川二飛曹に
機の交換を申し出ます。

大石は前回と同じように
機がトラブルを起こして
本懐を果たせない可能性を
避けたかったのであります。

船川は、大石が帰還した
事実を知りませんでした。

しかも、船川の乗る機は
大石の乗る機よりも性能の良い機。

船川は当然断ります。

大石も理由を言えるはずもなく、
ひたすら懇願し続けます。

一時間、問答を繰り返し、
ついに船川は折れ、交換します。

そして、特攻の日、
船川の機(大石と交換した機)は
大石が危惧した通り、
エンジントラブルを起こします。

船川が、それを伝えると
大石は「帰レ、帰レ」と何度も手を振り、
空の彼方に消えていきました。

生き残り戦後を迎えた船川氏は
ずっと後悔の念にさいなまれたそうです。

あの時、機を交換しなかったら…。と。

その苦しみは数十年に及びました。

船川氏が戦後40年経って、
串良町主催の慰霊祭に参列した事から、
その苦悩が一端が伺えます。

その時、氏は初めて
大石の遺書を見て、
その真意を知ったのであります。

それから20年。
つまり戦後60年経って、
氏は大石の遺族である弟・正隆氏と
初めて会いました。

正隆氏が、兄・政則の本懐を
遂げさせて下さった事への感謝を述べると、

船川氏は

「長年の肩の荷が下ろせたような気がします」

と言われたそうです。

戦争世代の方が背負っている重みは
筆者の想像できる範疇をはるかに超えております。

しかしながら、その一端に触れる事は
とても大切な事であると思います。

最後に大石氏の遺書より
ある一文を御紹介したいと思います。

「若い者は皆皇国の捨て石たるべく運命づけられています。
今になってこの運命の尊さを沁々味わっています」

『捨て石たるべく』

この一言に、
当時の全てが込められている気がして
涙を禁じ得ないのであります。

『永遠の0』を観なかったら、
これらの事を知る機会もなかった事でありましょう。

その御縁に只々感謝であります。

尚、大石氏の史実に関しましては

『ペンを剣に代えて
特攻学徒兵海軍少尉大石政則日記』
(大石正隆 編/西日本新聞社/2007)

に依ります。

この場を借りて
厚く御礼申し上げます。


有難うございました。
合掌。


タロローグ健