夏のよく晴れた日のお昼ごろ。枝の上で寝息を立てているのは1羽の小さな雀。その日はとても涼しい風が吹いていて、葉の影が雀の体を撫でるようにしながら行ったり来たりしていました。
雀の寝ている木の下を、チリンチリンと一台の自転車が通り過ぎて行きましたが、雀が起きる気配はありません。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえたり、隣の木に止まっているセミがジィジィと鳴いていたりもしましたが、やはり起きませんでした。
それもそのはずです。何故なら雀はとても楽しい夢を見ていましたから。
その夢の中で、雀は大空を飛んでいました。
大空と言っても、いつも飛んでいる見慣れた町の空ではありません。
渡り鳥の群集に混じって大海原を渡っていたのです。
眼下に広がる海はどこまでも続いていて、永遠に終わりの無いように思えました。
雀の瞳はビー玉のように光を反射していて、海から数滴の水を垂らしたみたいな色に染まっています。
普段の自分なら、こんなに遠くまで飛んで来るなんて、とても出来ることではありません。
ですがここは夢の世界です。夢の世界では雀は人間みたいに大きくなれるし、いつもいじわるしてくるカラスだってやっつけることが出来ます。だから同様にこうして海だって渡ることが出来るのです。
雀はそれがとても幸せでした。
塩の混じった心地の良い風を翼に受けて、まだ見ぬ遠い大地に思いを馳せていると、不意に渡り鳥の群集は息を合わせたみたいに一斉に上の方へと急上昇しました。
雀も慌てて、置いていかれないように渡り鳥たちと共に上空へ駆け上がります。
上へと行けば行くほど、遠くの水平線が丸みを帯びていくのが分かります。
すると渡り鳥たちの目の前を、行く手を阻むようにして大きな真っ白い雲が現れました。
それは雀が今まで見てきたどんなものよりも大きな雲です。
雀は驚いて思わず速度を落としましたが、周りの渡り鳥たちは、そんなもの気にしていないかのように真っ直ぐ雲へと突き進んで行きました。
1羽、また1羽と渡り鳥たちは雲の中へと飛び込んで行きます。
それでもなお、雀だけは飛び込めずにいました。
何せ雲の中がどうなってるかなんて、聞いたこともなければ、想像もつきません。怖くて当然です。
でも、と雀は目の前の雲を見据えます。
ずっと遠くに見えていた雲。
いつだって自分よりも、さらに上を飛んでいた雲。
それが今、すぐ目の前にあるのです。
何よりせっかくの渡り鳥たちとの飛行を、こんな所で諦めてしまうのは絶対に嫌でした。
雀は覚悟を決めると、その小さな体の中にある小さな勇気を振り絞り、勢いを付けて雲の中心へと飛び込んで行きました。
ボスンと体が雲の中へと入ると、あっという間に視界が真っ白になります。
それでも速度は落としませんでした。ここまで来てしまえば引き返すことは出来ないし、引き返す気だってさらさらありませんでしたから。
雲の中はまるで冬の世界みたいに冷たい空気で満たされていました。
冷たくて、静かで、しんとしていて、少し気持ちいい。
ですが冬の世界は拍子抜けするくらいにあっという間に終わってしまいました。
雲を抜けると、真っ白だった視界が開け、大きな黄金色をした太陽がその姿を現しました。
雀は眩しさに思わず目を細めます。
太陽は雲を抜けてきた雀や渡り鳥の皆を祝福するみたいに、温かな光をその体から降り注いでいます。
その光を受けて、雀の体もまた黄金色に染まりました。まるで太陽から美しい羽衣を貰ったようでした。
雀は嬉しくなり、小さな体を何回転もしながら愉快に空を飛び回りました。
今すぐ他の雀たちにも見せてやりたい所でしたが、先を行く渡り鳥たちは止まることなく、さらに上へと進み続けています。
ここから先は本当になにも分かりません。他の雀も、鷹やハヤブサだって、これより上を目指したことなんてないでしょう。
雀は今まで感じたことのないくらいの高揚感に包まれていました。あの大きな雲を通り抜け、黄金の羽衣を纏った自分に怖いものなんてありません。どこまでだって行ける気がします。
速度を上げ、渡り鳥たちに追いつくと、なんだか自分も彼らと同じ渡り鳥になった気分でした。
小さな体から溢れてしまいそうなくらいの幸せな気持ちが奥の方から込み上げてきます。
鳥たちはそれからもずっと飛び続け、辺りが沈んだように暗くなり遠くに星の輝きが微かに見えてきた頃になると……
そこで目が覚めました。
どうやら木から落ちた一枚の葉が雀の頭に当たり、起こされたようです。
周りを見ると、そこには海や雲ではなく、青々と繁った木々がありました。
下には犬を連れた老人が眠たそうに、杖をついて歩いています。
遠くではパトカーのサイレンが響き、隣の木ではセミがいつもみたいにジィジィ鳴いていました。
小さな雀は小さくあくびをすると、翼を動かすストレッチをしてから今いる木の天辺まで飛んで行き、そこから空を見上げました。
真っ白な雲が緩やかに流れて行きます。
夢でみた雲が本当なら、あの中はきっと冬の世界のはずです。
いつか必ず確かめに行こう。
そう心に決めると、小さな雀はとても楽しそうにしながら、どこかへと羽ばたいて行きました。
