男前集団
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沖永良部Part4(コミュニティ)

今回は沖永良部での出来事Part4になりますが、サブタイトルとして「コミュニティ」を入れました。


というのも、武元先生からOB会をやってくれと言われたのが20年前で、その時は先生への恩返しの気持ちでやっていたのですが、40歳ごろに「このOB会は自分たちのためにあるな」と感じまして、なぜ武元先生がOB会を要望されてたのかを考えると、先生は僕たち教え子の人生において、つらい時とか苦しい時は絶対あるわけで、その時に仲間と会ったり食事したりできる場があればそれだけで救われるというか乗り越えられるかもしれないという想いを持ってくださってたのだと思ったのです。


今回、沖永良部へ行った時にそれが確信に変わるというか、やっぱり武元先生は僕たちのためにOB会を遺してくださったんだなという気持ちがどんどん湧き上がりました。


沖永良部での4日間はすべて武元先生の同期でいらっしゃる菅村先輩(日大ボクシング部OB)にお世話になりましたが、菅村先輩はじめ武元先生のお仲間の皆さんとてもあたたかく僕たちを迎えてくださいました。


初日に知名町の正名で歓迎会を開いてもらっていた中で、菅村先輩が大坪先生にお電話してくださり「太郎らが島に来てるのなら飲まなあかんやろ」ということでご自宅での酒席をご用意くださいました。

左から菅村先輩、福(南京OB17期生)、藤原(南京OB11期生)、大坪先生、種子島さん(沖永良部高校ボクシング部監督)。※福は沖永良部から南京へボクシング留学に来て今は島でリサイクルショップなどを経営しています。


写真の里の曙(黒糖焼酎)おいしかったなー。

天下一もおいしかった。。


最終日は特に何の予定も入れていませんでしたが、菅村先輩が朝からモーニングに誘ってくださり、空港まで送ってくださいまして、福も仕事の合間に見送りに来てくれて、なんかこういう場を武元先生が遺してくださったのだなと感じてありがたい気持ちでいっぱいでした。


ただ、島での飲みの席はそんな気分に浸ることはなく、むちゃくちゃおもしろくて楽しかったです。


大坪先生が話をされてるのに横から菅村先輩(大坪先生の2つ下)が話を遮ってしゃべりはじめて、しゃべり終わったら「コマーシャルでした」と言っておられたり、菅村先輩の日大節が聞けたり(↓は誰に所望されたわけでもないのに日大節を歌う菅村先輩)

近大節はよく知っているのですが、日大節は初めて聞くので「日大節なんてあったんや」と思っていたら思いっきり近大節のパクりを堂々と歌っておられました。


そんなことで、沖永良部へコミュニティを学びに行ったのですが、行かずとも20年以上前に恩師からコミュニティの真髄を習っていたことに感謝しかありません(島に行ったからコミュニティのことが分かったのですが)。


ってことで、最後はなかなか気に入ってる写真でお開きに。


豪気!

沖永良部Part3

9/7〜10まで沖永良部へ行ったことを書いていましたが、そろそろ写真がなくなってきたのでどうしたものかと思っていたところ、沖永良部高校ボクシング部で武元先生の2学年下にあたる伊集院さんから写真が送られてきましたので、その時のことから書くことにします。


Part2までは2日目のことを書きましたが、今回は3日目を飛ばして4日目のことを書きます。


いや、やっぱり3日目の大坪先生のお宅へ伺ったことだけは書きます。


というのも大坪先生という方はこれまた南京の先生だったのですが、そんな簡単な紹介では済ませられない、僕たち南京都高校ボクシング部(以下、南京)にとってはなくてはならない存在の先生なのですから。


そもそも僕たちが愛した、


いや愛してはないが、


僕たちが育った南京は1980年に高校ではなく専修学校として設立されて、それから4年後の1984年に高校になりました。※この辺りの歴史に興味のある人はいないと思いますが、もし興味があるという人は後藤創平著『遺されたもの〜南京都高校ボクシング部の物語〜』(ブレーンセンター)をお読みください。

設立当時の南京はいわゆる不良とか番長とかいた時代(1980年代〜90年代はじめ)で、その頃の先生方は本当に苦労されたと思います。


その中で大坪先生は南京にボクシング部を立ち上げ初代監督を務めてくださり、その後、沖永良部の後輩である武元先生を南京に招いた方です。


つまり、大坪先生がいらっしゃらなければ、僕たちは南京ボクサーとして生まれてなかったと言えるのです。


その大坪先生から3日目の夜ご自宅にお呼ばれして、奥様のおいしい手料理をたくさんちょうだいしながら貴重なお話をたくさん聴かせていただきました。


大坪先生はスポーツ万能で中高はバレーで活躍され、国士舘大学ではレスリングで五輪選手と互角だったと日大ボクシング部OBの菅村先輩から聞きました。


そんな大坪先生が南京でレスリング部ではなくなぜボクシング部にされたのか。


「全国大会に最も早く行ける競技と感じた」とのこと。


その後にレスリング部、相撲部が誕生し、

相撲部の村山先生

ボクシング部の武元先生

レスリング部の大坪先生

方が「誰が先に日本一を出せるか勝負」されていたそうです。


そんな大坪先生のご自宅でお写真を撮りましたが、おそらく大坪先生の携帯電話で撮影したので写真がありません。


とりあえず、なんもなしではいけませんから自分の卒業アルバムに写る大坪先生をアップしときます。

ってこれ32年前だから全然違いますね。


ってか、卒業アルバムを見てるとみんな若いので(当たり前だが)、ちょっと楽しくなってきました。


村山先生



武元先生


ってか今は個人情報がどうとか厳しい時代ですから、あまり無闇に写真を載せるのはやめときましょう。


そんなことで3日目はこの辺で、4日目のことを書くと、


4日目は仕事で来た中で自由時間となり、スタッフはケイビング(洞窟観光)をするということで、このケイビングについていろんな方から「絶対にやった方が良い」と言われましたが、そんなことに素直に従っているようでは南京の名が廃りますのでとりあえず無視して、1人どうしようかとホテルでゆっくりしてましたら菅村先輩が「モーニング食べよう」と言ってはると藤原から電話が入りましたので、結局4日目はまたまた菅村先輩に1日お世話になりました。


まずは武元先生のお姉さんのお宅へ連れて行ってもらいました。

中央が武元先生のお姉さん(見たらわかるか)。


その後、僕たちの時代のボクシング部の部長で100日合宿を提案された村山敏美先生にお会いする機会をいただきました。


この時、プハオ(村山敏美先生の愛称)は泣いて喜んでくださいました。


そんなことで、まだまだ書きたいことがたくさんありますが、ちょっくら仕事に戻ります。


なんでもないよーなことがー♪のロードなみに続きそうなブログですが、Part5ぐらいでやめようと思います。



豪気!

沖永良部Part2

タイトルをPart2にして書き進めていきます。


先の土曜日に沖永良部に降り立ちまして、その足で僕たちの恩師・武元先生の同期でいらっしゃる菅村先輩(沖永良部高校ボクシング部→日大ボクシング部)に武元先生のお墓へご案内いただいたり、恩師の母校の住吉小学校に連れて行ってもらったり


その後は武元先生の生まれ育った知名町の正名で歓迎会を開いてもらったことは先のブログじゃなくてタログで書きましたっけ。

こんな感じの↓




ってかちょっと追記しときたいんですが、僕たちの母校ナンキン(南京都高校)には沖永良部ご出身の先生が10名ほどいらっしゃって、武元先生はもちろん恩師なのですが、僕にとってもう1人の恩師が3年間担任を受け持ってくださった相撲部監督の村山先生、否、村山のおっさんも沖永良部ご出身なんですね。

↑右が村山先生(2013年に村田諒太が沖永良部へ行った際の写真)


で、その村山先生がご存命の確か2015年ぐらいだったと思うのですが、当時沖永良部に戻っておられた村山先生からいきなりお電話をいただいて「太郎、タログファンに代わるぞ」ということで、電話で話したのが今回むちゃくちゃお世話になった菅村先輩なんです。


その電話の後、こんな人やということで写真を送ってくださったのですが、その写真がこれ↓


で、お会いしたのが↓の右の方なんですが、

あまりにも見た目が違うのでびっくりしたのですが、そこはそんたく(忖度=人の心を大切にする)が得意なそんたろうは「ぜんぜん変わりませんねー」とうそをつきました。


ってことで、これから2日目、3日目のことを書こうと思ったのですが、写真がぜんぜんないことに気づきました。


ってか2日目から当方は仕事でしたから、2日目も3日目も21時ごろからの合流となりまして、2日目は沖永良部ボクシング関係の方々と酒席をご一緒しまして、3日目は初代南京都高校ボクシング部監督の大坪先生のお宅で飲ませてもらうという、超VIPな待遇を受けたのですが、いずれも写真がありません。


そんなことで、これから写真を集めていきますが、2日目に鹿児島県の天然記念物に指定されている昇竜洞の手前にある酔庵(酔庵塾)さん

から眺めた夕日をお届けして今回は筆を置きます(スマホだけど)。


じゃじゃーん


今回、沖永良部へ来させてもらった目的が武元先生も観たであろう風景や、味わったであろう島での喜怒哀楽や、感じたであろう沖永良部の自然を満喫することで、それによって武元先生の魂に触れたかったので、それは叶ったのではないかと思っています。


最新の科学では、すべては波(波動)と粒子で出来ていて、意識や感情も波動と粒子で「寿命」がないことが判ってるそうなんです。

つまり、武元先生の想いや経験した時の感情って、同じ場を共有することでつながることが証明されているんです。※時空を超越しているので、この説明は相応しくないかもしれません。ごめんなさい。。


って東大卒の村松さんから教えてもらった。

詳しくは↓を求めてご覧ください


東大か。


東の東大

西の京大

南の南京

西の西井先生


そんなことで、写真が手に入ったらいろいろ書こうと思います。

手に入らなかったらお蔵入りですけど。



剛気!

沖永良部へ

1年半ぶりにブログを更新します。


あっ、ブログじゃなくタログでした。


間違えました。


いいじゃないの。ナンキンだもの。。


さて、のっけから南京ジョークで失礼しましたが、タイトルのとおり9月7日(土)から3泊4日で沖永良部へ行ってきました。


帰ってきたのが一昨日ですが、まだ気持ちが日常に戻れていません。


だってほんとに楽しくて意義のある旅だったので仕方ないとは諦めてますが、それでも早くチャンネルを日常とか仕事とかに戻さないとダメだと感じてもいるのですが、それでも帰宅した翌日(昨日)は沖永良部を思い出して昼からビールを飲んでしまいました。


そんなことで、なぜ沖永良部へ行ったのか、から話を進めると、↓の本を7〜8年ぐらい前に読みまして


ありがたいことに、著者の石田先生と最近ご縁をいただきましたので、ぜひお話をお聞きしたいということで沖永良部まで行ってきました。


ただ、本当の目的は、、


いや、裏のメインは、、、


否、


って、どう書けばいいのでしょうか。


もしこのタログを石田先生がご覧になってしまったら(石田先生がお目汚しされることはありませんが)目的はワシじゃないんかと憤りを感じられてもいけませんので本音を書くことはできません(もう書いてるようなもんだけど)。


ってことで、2大目的の1つは僕たちの恩師である南京都高校ボクシング部監督だった武元先生の生まれ育った場(島)を感じることでした。


というのも、僕たちはほんとのバカから一人前の男として社会に出ても恥ずかしくない人間に育てていただきまして、いまも武元先生の教えやメッセージが心の深いところにありますので、なんとしても先生の魂に触れておきたいと思い行ってきたのです。


で、先の土曜日に沖永良部空港に降り立ちまして、最初は「田舎やなー」とか「海と山しかないなー」とかしか感じてなかったのですが、いきなりというかふいにというか、急に込み上げてくるものがありまして、なにか分かりませんが感慨深い気持ちになりました。


ってことで、まず沖永良部の地図を見てもらいたいのですが、


写真の島の右端に空港があるのですが、そこから左端のホテルまで向かいました。


ってゆうか、空港が右端にあるのになんで左端にあるホテルに泊まるねんと今回の旅に同行した南京同期の藤原とジミーに文句を言ってやろうと思っていたのですが、島の右端から左端まで車で30分ぐらいであっという間に着きました。


ホテルに着いたら藤原とジミーがすでにチェックインを済ませていて、そこに少し怖そうな方がいらっしゃって、おそらくは武元先生の同期の菅村先輩(沖永良部高校ボクシング部→日本大学ボクシング部)だと直覚しましたのでごあいさつさせてもらうと、とても“丁寧”にお話ししてくださいました。


というのも、島の方々は皆さん武元先生のような滑舌の悪さと早口なのかなと思っていたところ「普通じゃん」と思ってしまい拍子抜けしてしまいました。

何度も聞き直すことを覚悟してきましたので。。


ってことで、初日は武元先生がお生まれになった集落・知名町の正名(まさな)で先生のご年齢と近いお仲間の皆さんが歓迎会を開いてくださいました。


こんな感じで↓






右から2人目が菅村先輩。


いや、その前に菅原先輩に武元先生のお墓に連れて行ってもらってました。



なぜか村田諒太後援会のはっぴを着ておられる菅村先輩。


そんなことで、初日の歓迎会のことや2日目以降のことは改めて書くことにします。


書きたいことがたくさんありますので。

めんどうですけど。。



豪気!

武元先生ご命日

本日2月9日は我らの恩師・武元先生のご命日にあたります。


ってことで、武元先生のお墓参りにでも行こうと思ったのですが「千の風になって」の歌を思い出し、そこに先生はいないなということで、心の中で感謝をしながら1日を過ごそうと思いました。


ちなみに、「千の風になって」の歌詞は下記の通りです。


私のお墓の前で〜♪

泣くんじゃないよ〜♪

そこに私はいません〜♪

死んでなんかいません〜♪

※2番だけど。歌詞をタケ風に寄せたけど。。


そうなんです。

武元先生はいないだけで、僕たちの心には生きているのです。


武元先生がボクシング指導の中で特に大切にされていたのが「人の痛みがわかる人間になれ」という教えでした。


長崎で原爆の被害に遭い、九死に一生を得た吉田勝ニさんという方がいらっしゃいます。

九死に一生を得たと書くとすごく軽くなってしまうので、ぜひ↓の記事をご覧いただきたいのですが

https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/000773.html


吉田勝ニさんは

「平和の原点はひとの痛みがわかる心を持つこと」

という言葉を遺されています。


武元先生の教え、吉田勝ニさんの言葉を肝に銘じて今日一日を大切に生かしてもらいます。


そうそう、先ほど村田諒太選手(南京OB22期生)とやり取りしていましたら、現在はロケでセネガルにいるということで↓の写真を送ってくれました。

武元先生みたいな人がいっぱいいるというコメントとともに。


そんなことで、半年以上ブログの更新が空きましたが、武元先生のご命日にブログを書かないわけにはいかないという訳のわからない使命感により執筆した次第です。



豪気!

中谷正義76秒KO勝ち!

中谷正義選手リングイン。


いよいよゴングです。



緊張が高まります。


ん?


あれ?


勝ち名乗り?


おー。



えっ?終わったの??


ってか、KOシーンとか試合中の写真は?


と思われた方もいるでしょう。


いいじゃないか、南京だもの。


しかし強かったですね。


相手がこう来る前にこうやって倒してああやって仕留めるんですから。


そんなことで試合後は近くの居酒屋で打上げを行いました。

村田選手も来てくれました。


中谷選手を褒める村田選手。


そんなことで詳しくは次回。



豪気!

中谷正義の試合

本日、東京・後楽園ホールでライト級世界ランカー中谷正義の試合があります。


近く彼の後援会が発足され、今日は試合後に打上げも行いますから、自分も参戦することにしました。


ってことで、久々のブログです。


前回は中谷正義オンライン壮行会の告知でしたが、うっかりその報告をしていませんでしたから、今回は壮行会のレポートでもしようと思います。


1ヶ月前のことですからあまり覚えていませんが。


ってか、当日は場末のスナックからの参加でしたが。。


そんなことで、中谷正義後援会プロジェクトチームからもらった画像をもとに紹介していきます。


↓当日はこんな感じの壮行会でした。

司会の松本有樹さんと中谷選手。

この2人は近大ボクシング部の先輩後輩にあたります(有樹さんが2つ先輩※有樹さんはボクサーではなくマネージャーでした)。


↓後援会の発起人・大原氏。大原さん、どこでもおるな。。




当日の参加者は100名ぐらいで、最後にはこんな感じで皆さんが中谷選手にエールを贈ってました。


途中、元世界ミドル級チャンピオンの村田諒太選手(南京OB22期生)のあいさつや、

↑画像がなかったので間に合わせ。


↓元世界バンタム級チャンピオン山中慎介氏のあいさつ(写真左)。

↑これも画像がなかったので適当に。


あと、先日負けてしまいましたが、中谷選手と同門の世界S・フェザー級チャンピオン尾川選手や、近大の先輩で元世界S・フライ級チャンピオン名城信男氏のあいさつもありました。

↑画像がなかったので元日本バンタム級チャンピオンのジャッカル丸山さんの写真を貼り付けときます。


そんなことで、↓の中谷選手の表情を観たらよく伝わると思いますが、終始なごやかで心地よい雰囲気の壮行会でした。


おかげで場末のスナックでも美味しくお酒が飲めました。


中谷選手が話した内容はとても良かったので紹介したいと思いますが、今回は面倒なので次回以降にします。


まずは中谷正義の武運を祈ります。



豪気!

本日21時より~「中谷正義オンライン壮行会」開催します!~

来月6/13(月)東京・後楽園ホールにて試合に挑むプロボクサー中谷正義選手の【オンライン壮行会】を開催します。

 

中谷正義選手といえば、2019年に後の世界ライト級4団体統一王者になるテオフィモ・ロペス選手と大接戦を演じ、結果は判定負けでしたが、この試合で一躍世界の注目を集めました。

 

その後、一旦は引退をしますが2020年に復帰。その年末に世界ランカーで次期スーパースター候補の呼び声の高いフェリックス・ベルデホと対戦し、1ラウンドと4ラウンドにダウンを奪われ劣勢で終盤を迎えるも9ラウンドに逆転TKO勝ちを収めます。

 

この試合は会場がラスベガスということもあり、ボクシングの本場アメリカのファンも大興奮し、さらに中谷正義の名を世に知らしめました。

 

2021年には世界ライト級のスーパースターでMrパーフェクトの異名を持つワシル・ロマチェンコと試合を行い、9ラウンドTKOで敗れはしましたが、日本人ボクサーが世界の舞台でライト級のトップ選手と試合ができるという奇跡を起こし、日本人ボクサー並びにボクシングファンに感動を与えました。

 

ということで、そんな中谷選手は近大ボクシング部の後輩ということもあり、あの村田諒太選手(南京OB22期生)の弟分ということなので、みんなで応援しようということでオンライン壮行会を開催する運びとなりました。

 

↓本日のイベントページです。
https://nakatani-online-sokokai.peatix.com/view

村田選手も参加してくれます。

ってことで、Zoomわからねぇーって方は下記をご覧ください。
https://docs.google.com/presentation/d/1dc-mQ51-87Z921KjNSmL2JAiZfvsUl7l3CJASJ_Zans/edit?usp=sharing

 

それでも解らない方はコメント欄にZoomアドレスを貼り付けますので、コメントください。

 

6/13はこんな雄姿が観られることを楽しみに本日の壮行会に参加します(18時から飲んでるから酔っぱらってるけど)。

 

皆さん、壮行会でお会いしましょう(酔っぱらってるから頭脳がまともではありませんが。いつものことだが。。)。

 

 

豪気!

太々しい

先ほどSNSを眺めてましたら、南京ボクシング部の1つ下の後輩(南京OB12期生)たちが写真におさまってました。


久しぶりに見た彼らは高校時代と変わらず、あの頃のままのように感じました。


もちろん、あれから30年経っていますので変わっていないことはないのですが、それでも彼らは全然変わってないように感じたのです。


人間は歳を重ねると、それまで生きてきたことが顔にあらわれると言われていますが、男はたいていふてぶてしくなるか偉そうになるように思います。


理由としては、いい歳になるといじめられることも嫌がらせされることも少なくなって、またお父さんになったり、社会での立場も偉くなることが多かったりなので知らないうちにふてぶてしくなるのだと思います。


それなのに、なぜ南京の1つ下の彼らは変わらないと感じたのかというと、彼らは高校時代からふてぶてしかったんですね。


で、いまもふてぶてしいまま。


そのSNSから写真を拝借して勝手にここに載せようかと思いましたが、あまりキレイなものではありませんので、ここは村田選手(南京OB22期生)の写真でも載せておきます。


誰に怒られることもありませんから。


逆に喜ばれますから。


村田も同じ南京なんですが。



インタビュー中。

この内容については、むちゃくちゃ素晴らしかったので、どこかで紹介できるようにします。

メディアに売ろうかな。。


↓ジュリー(OB11期生)から、ジュリーというあだ名の由来を聞いている村田選手。


↓ええ顔。



豪気!

婚礼

先日、高校の後輩にあたる田中風雅氏(南京OB31期生)の結婚式に参列してきました。


当方がOB11期生になりますので、20歳下の後輩ということになりますが、風ちゃんとは単なる先輩後輩という関係ではありませんから、こんなに歳が離れてても結婚式にお呼ばれしたのです。


しかし、この歳になると冠婚葬祭でいうと結婚式に出ることは少なくなり、逆に葬儀に参列することは増えました。


ホントじじいになったと実感することばかりです。


さて、その席(風ちゃんの結婚式)で前世界ミドル級チャンピオン村田諒太選手(OB22期生)からお祝いの動画メッセージが流れてました(さすが後輩を思いやる村田選手)。


メッセージには、「倒されても倒されても立ち上がる風ちゃんだから」という言葉があり、とても感じ入るものがありました。


というのも、風ちゃんは大学の関東リーグ戦でよく倒されていたそうですが、その都度、立ち上がって戦ってたとのこと。


それを聴いて、ボクシングでは何度か倒されたら負けになったり試合がストップされたりしますが、これが人生なら何度倒されてもその都度立てば良いわけで、いや、ボクシングでもその試合は負けかもしれませんが、それでも立ち上がる限り終わりではないわけで。


って何が言いたいのか分からなくなってきましたが、とにかくボクシングではいつも諦めなかった風ちゃんだから、「これからの人生も大丈夫」と村田選手は伝えたかったのかなと思ったのです。


そんなことで風ちゃん、結婚おめでとう!

素晴らしい伴侶に出会えて何よりです。

結婚の先輩としてアドバイスするならただ一つ。

我慢だよ。


少女漫画に出てきそうなビジュアルですね。



ハゲをバックに「おめでとう」と言っています。



豪気!

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