現役引退から9年…フィギュアスケート界の貴公子と言われた小塚崇彦 | みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

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重機の免許を取る理由「重機の習得プロセスはジャンプに似ている」

矢内由美子
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フィギュアスケート男子シングルの選手として2010年バンクーバー五輪に出場し、11年世界選手権では銀メダルに輝いた小塚崇彦さん。

16年3月に27歳で現役を退き、現在はトヨタ自動車の社員として「パラリンピック」や知的障害者によるスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス」に関わる仕事に従事しながら、自ら主催するスケート教室でフィギュアスケートを指導する日々を送っている。しかし、アイスショーなど華やかな舞台に登場することは少なかった。

 そんな折、災害時の被災地支援を目的とする「⽇本財団 重機講習会」に小塚さんが参加すると聞き、開催地の長野県小布施町に向かった。会場にはヘルメット装着姿で重機を操り、生き生きとした笑顔を見せている小塚さんがいた。

 小塚さんはトヨタ自動車の社員として働く傍ら、アスリートの社会貢献活動を推進する「日本財団HEROs(ヒーローズ)」で「災害支援チーム」の一員としての活動も行っている。今回の講習参加は、小型ショベルカーなど3トン未満の車両系建設機械の運転資格を取得するのが目的だ。

 それにしても、氷上での華麗な滑りや力強いジャンプで観衆を魅了していた小塚さんがなぜ重機の免許を取ろうと思ったのか?

「きっかけはHEROsに誘われたというのがひとつです。でも、自分自身の経験から来る思いがやはり大きかったですね」

 小塚さんは自身の思いをこう説明した。

「僕はこれまでにも東日本大震災や熊本地震の時に現地へ行き、アスリートとしてできることは何であるかを考え、運動やストレッチ、マッサージを通じて被災者と触れ合ってきました。行った先ではフィギュアスケートで覚えて下さっている方が多く、喜んでいただけることも多かったのですが、一方でもっと別の方法で支援できるのではないかと考えることもありました。重機を動かせるようになれば、災害支援で新たなアプローチができるのではないか。そう思って今回の受講に至りました」

重機の操作習得プロセスはジャンプに似ている

 講習は2日間。重機に乗って実際に土砂や丸太を動かす訓練や座学を受けた。プロである指導スタッフから「ここにいる皆さんは講習を受けて免許を取った瞬間から『プロ』。その覚悟を持ってください」と言われ、場の空気がピリッと引き締まった。

 指導スタッフによると、トップアスリートの技能習得スピードは一般人の3倍以上というが、小塚さんは「プロの方の動かし方を見ると、人の手が動いているかのよう。僕たちはまだ使えない」と苦笑い。それでも、「重機の操作を習得していくプロセスはスポーツをやっていた時と似ている。色々なことが順序立ててできるようになっていく嬉しさは、ジャンプができるようになるとか、回転が多くなるとか、そういうことと凄く似ている」と語る様子は生き生きとしている。

各競技の日本代表経験者と語り合う時間も

 今回の講習には元プロ野球選手の鳥谷敬さん、元サッカー選手の田中隼磨さん、元ラグビー選手の畠山健介さん、元体操選手の寺本明日香さんら、各競技で日本代表経験のあるアスリートが参加した。1泊2日の“合宿免許”とあって夜には酒を酌み交わしてそれぞれの思いを語り合う濃い時間もあった。

 合宿中の6月3日早朝には能登地方で規模の大きな地震が起き、小塚さんたちが宿泊していた場所も「震度3くらいの揺れがあった」という。そこであらためて確認したのは災害支援への思いだ。

「僕は愛知に住んでいるので、東海大地震や南海トラフ地震がいつ起こるかわからないと言われていて不安な状態にあります。そういう中で、重機を動かせたりガレキの撤去をできたりすれば、いざというときに家族や人の役に立つスキルが一つ備わった状態になる。フィギュアスケートができても、震災が起きた時には跳ぶことも回ることもできないと思うんですよね。被災地に行って、みんなと触れ合って笑顔にするということはできるかもしれないですけど、重機の力を借りていろいろなことをできることは人の役に立てることだと思うんです」

 講習会には男性アスリートのほかに、寺本さんをはじめとする女性アスリートや、パラアスリートもいた。多彩な顔ぶれがそろう中で刺激を受けたという小塚さんは、意外な着眼点についても語った。

「重機はパワーがあるので、力のない女性でも、フィギュアスケートをやっていて上半身にそれほど力がない僕のような人も、脚が動かないというパラアスリートも、免許と技術を習得すれば同じように活躍ができるんです。これには、それぞれの障がいに応じた形で競い合えるパラリンピックに近いものを感じました」

現役時代から悩まされた股関節の病気

 このような発想に至ったのは、小塚さん自身が右の股関節に「大腿骨頭壊死症」という病気を抱えていることが大きいという。

「小さいころから股関節の亜脱臼を繰り返していた」という小塚さんが、現役時代から悩まされていたのは右股関節の『先天性臼蓋 (きゅうがい) 形成不全』という病気。

 引退から数年くらいはアイスショーで滑る機会も少なくなかったが、滑り続けるにつれて状態が悪化し、現在は「あまり良い状態ではない」という。

「(激しく)走ったり(長距離を)歩いたりはできないですし、かがもうとすると右の股関節が完全には折れ曲がらない状態になっています。アイスショーにもっと出れば? と言われるんですが、難しいんです」

ここ数年は再生医療も受けている。しかし、状態は芳しくない。「技術が進んで股関節を元の形に戻してもらい、またスケートを滑れるようになれば、僕の感覚や技術を実際に滑って見せてあげられるのですが、今はできないのがもどかしいですね」

 ただ、小塚さんは悲嘆に暮れているわけではない。

「股関節が柔らかいからこそ出来ていたこともあって、『イーグル』もそのひとつ。だから僕は、股関節が緩かったことに関して否定するのは嫌。フィギュアスケートをやってきた勲章だと思っています」

できないことを重機が助けてくれる

 こういった信念を持っているからこそ、社会貢献なり重機免許取得なりといった新たな道へ足を踏み出せるのだろう。

「自分自身、体が(自由に)動けていたらHEROsの社会貢献にここまで関わると考えなかったと思います。今は重機免許を取ることによって、できないことを重機が助けてくれるのではという思いがあります」

 そのうえで、フィギュアスケートに対する思い入れの強さをこのように表現する。

「自分のできることという意味では、大ちゃん(高橋大輔さん)や(浅田)真央がアイスショーをやっているように、それぞれができることをやっていると思っています。あの濃い世代の一人一人が個性を持ってやっていますよね。すごくいい時代に僕はスケートをできたなと思うんです。僕は、社会貢献することを恥ずかしがったりするのは違うと思っていますよ」