袴田事件の極刑にこだわった検察 「メンツ保持」否定する幹部たち | みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

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毎日新聞   5/22(水) 14:18 Yahoo!ニュース


検察が選択した求刑は、56年前の確定審と同じ「死刑」だった。1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人を殺害したとして、強盗殺人などの罪で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判。無罪が言い渡される公算が大きい中で、検察側はなぜ有罪主張にこだわり、極刑を求めたのか。 


事件では2014年に静岡地裁が再審開始決定を出し、その後に東京高裁が決定を取り消したものの、最高裁が審理を差し戻し、東京高裁も23年3月に再審開始を認めるという異例の経緯をたどっている。


 検察側が有罪立証にこだわるのは「メンツのためだ」との批判があるが、ある検察幹部は「虚心坦懐(たんかい)に証拠を見た結果だ。メンツのためであるわけがない」と語った。


 検察側は再審公判で、袴田さんが事件を起こしたと主張する理由を次々に列挙した。


 袴田さんの実家から「5点の衣類」の一つであるズボンと生地が一致する布端が見つかった▽袴田さんの左手中指にあった傷は事件時に負ったと考えられる▽「5点の衣類」の一つであるシャツの右袖に付いた血痕は、袴田さんと同じ血液型だった――といった具合だ。


 別の検察幹部は「これだけの証拠があるということをしっかり提示した」と説明する。


 最大の争点である5点の衣類に付いた血痕の赤みに関する弁護側の主張に対する反論に終始せず、防戦一方にならないように腐心した様子が見て取れる。


 事件では4人が殺害されており、有罪主張を維持するのであれば死刑求刑は既定路線だった。


 袴田事件

事件の概要  


1966年6月30日午前2時、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生しました。焼け跡からは、専務(41)の他、妻(38)、次女(17)、長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた死体が発見されました。


警察は、当初から、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田巌氏を犯人であると決めつけて捜査を進めた上、8月18日に袴田氏を逮捕しました。


袴田氏は、当初否認をしていましたが、警察や検察からの連日連夜の厳しい取調べにより、勾留期間の満了する直前に自白しましたが、その後公判において否認しました。


事件の経緯


警察は、逮捕後連日連夜、猛暑の中で取調べを行い、便器を取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態にしておいて、袴田氏を自白に追い込みました。袴田氏は9月6日に自白し、9月9日に起訴されましたが、警察の取調べは起訴後にも続き、自白調書は45通にも及びました。なお、弁護人が袴田氏に会った時間はこの間合計で30分程度でした。


袴田氏の自白の内容は、日替わりで変わり、動機についても当初は専務の奥さんとの肉体関係があったための犯行などと述べていましたが、最終的には、金がほしかったための強盗目的の犯行であるということになっていました。


さらに、当初から犯行着衣とされていたパジャマについても、公判の中で、静岡県警の行った鑑定があてにならず、実際には血痕が付着していたこと自体が疑わしいことが明らかになってきたところ、事件から1年2か月も経過した後に新たな犯行着衣とされるものが工場の味噌樽の中から発見され、検察が自白とは全く異なる犯行着衣に主張を変更するという事態になりました。


第1審の静岡地裁は、自白調書のうち44通を無効としながら、1通の検察官調書のみを採用し、さらに、5点の衣類についても袴田氏の物であるとの判断をして、袴田氏に有罪を言い渡しました。


この判決は、1980年11月19日、最高裁が上告棄却し、袴田氏の死刑が確定しました。


えん罪の疑いが強いこと


袴田氏の45通にのぼる自白調書は、捜査機関のその時点においての捜査状況を反映した捜査機関の思い込みがそのまま作文にされているものです。その自白調書の内容をみるだけで、袴田氏が事件について何らの知識を有さず、無罪であることが如実に伝わってきます。これについては、「自白の心理学」で有名な浜田教授が細かく分析し指摘しているところです。


味噌樽から発見された5点の衣類は、ズボンには血痕の付着していない場所であるのにステテコには付着していたり、ステテコには血痕がついていないのにブリーフには付着していたり(同様のことがシャツと下着にも言えます。)など、犯行着衣と考えると非常に不自然な点が多数あります。また、1年2か月以上も8トンもの味噌につかっていたと考えるには、シャツは依然白く、血液は鮮血色であり、非常に不自然です。これについては、弁護団の実験で、1年2か月も味噌につけられていれば、衣類は焦げ茶色に変色し、血液は黒色に変色することが明らかになっています。さらに、ズボンに至っては、袴田氏には小さすぎて、着衣実験では、腿の辺りまでしか上がってきませんでした。


さらに、犯行着衣とされた5点の衣類に付着した血痕に関し、DNA鑑定により、袴田氏のものでも被害者のものでもないとされました。


袴田氏が通ったとされる裏木戸には鍵がかかっており、人が通れる隙間はありませんでした。これについて、捜査機関は、鍵をはずした上で通り抜け実験を行って裁判所に報告していました。すなわち、捜査機関は、袴田氏を有罪にするために虚偽の実験を行っていたのです。


現在の状況


1981年4月20日に申し立てた袴田氏の第1次再審請求は、2008年3月24日、最高裁が特別抗告を棄却して終了しました。

 

2008年4月25日、弁護団は、袴田氏の第2次再審請求を静岡地裁に申立てました。弁護団は、5点の衣類の味噌漬け実験の結果を新たな証拠の一つとして裁判所に提出し、定期的に三者協議を行ってきました。

 

検察は、2010年9月、本事件において初めて任意に証拠を開示し、弁護団は、その精査を行った上、新たな証拠開示請求及び主張をしました。

 

そして、2014年3月27日、静岡地裁は、袴田氏の第2次再審請求事件について、再審を開始し、死刑及び拘置の執行を停止する旨決定をし、同日、袴田氏は釈放されました。


しかし、検察官が即時抗告し、2018年6月11日、東京高裁は、再審開始決定のみを取消し、弁護側が特別抗告しました。


2020年12月22日、最高裁は、高裁決定を取消して差戻しました。


2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしました。そして、検察官が特別抗告をしなかったため、再審開始決定が確定しました。


その後、静岡地裁での打ち合わせが続き、検察官は有罪立証をすることとし、裁判のやり直しを行う再審公判が2023年10月27日から始まりました。ただし、再審開始を認めた23年の高裁決定は、検察側が今回挙げている有罪主張の理由の多くを検討した上で、「袴田さんを犯人と推認させるものではない」と退けている。このため、再審公判での有罪は難しいとみる検察関係者は少なくない。【北村秀徳、岩本桜】

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日本弁護士連合会


抑も「袴田事件とは」


袴田事件

事件の概要  


1966年6月30日午前2時、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生しました。焼け跡からは、専務(41)の他、妻(38)、次女(17)、長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた死体が発見されました。


警察は、当初から、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田巌氏を犯人であると決めつけて捜査を進めた上、8月18日に袴田氏を逮捕しました。


袴田氏は、当初否認をしていましたが、警察や検察からの連日連夜の厳しい取調べにより、勾留期間の満了する直前に自白しましたが、その後公判において否認しました。


事件の経緯


警察は、逮捕後連日連夜、猛暑の中で取調べを行い、便器を取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態にしておいて、袴田氏を自白に追い込みました。袴田氏は9月6日に自白し、9月9日に起訴されましたが、警察の取調べは起訴後にも続き、自白調書は45通にも及びました。なお、弁護人が袴田氏に会った時間はこの間合計で30分程度でした。


袴田氏の自白の内容は、日替わりで変わり、動機についても当初は専務の奥さんとの肉体関係があったための犯行などと述べていましたが、最終的には、金がほしかったための強盗目的の犯行であるということになっていました。


さらに、当初から犯行着衣とされていたパジャマについても、公判の中で、静岡県警の行った鑑定があてにならず、実際には血痕が付着していたこと自体が疑わしいことが明らかになってきたところ、事件から1年2か月も経過した後に新たな犯行着衣とされるものが工場の味噌樽の中から発見され、検察が自白とは全く異なる犯行着衣に主張を変更するという事態になりました。


第1審の静岡地裁は、自白調書のうち44通を無効としながら、1通の検察官調書のみを採用し、さらに、5点の衣類についても袴田氏の物であるとの判断をして、袴田氏に有罪を言い渡しました。


この判決は、1980年11月19日、最高裁が上告棄却し、袴田氏の死刑が確定しました。


えん罪の疑いが強いこと


袴田氏の45通にのぼる自白調書は、捜査機関のその時点においての捜査状況を反映した捜査機関の思い込みがそのまま作文にされているものです。その自白調書の内容をみるだけで、袴田氏が事件について何らの知識を有さず、無罪であることが如実に伝わってきます。これについては、「自白の心理学」で有名な浜田教授が細かく分析し指摘しているところです。


味噌樽から発見された5点の衣類は、ズボンには血痕の付着していない場所であるのにステテコには付着していたり、ステテコには血痕がついていないのにブリーフには付着していたり(同様のことがシャツと下着にも言えます。)など、犯行着衣と考えると非常に不自然な点が多数あります。また、1年2か月以上も8トンもの味噌につかっていたと考えるには、シャツは依然白く、血液は鮮血色であり、非常に不自然です。これについては、弁護団の実験で、1年2か月も味噌につけられていれば、衣類は焦げ茶色に変色し、血液は黒色に変色することが明らかになっています。さらに、ズボンに至っては、袴田氏には小さすぎて、着衣実験では、腿の辺りまでしか上がってきませんでした。


さらに、犯行着衣とされた5点の衣類に付着した血痕に関し、DNA鑑定により、袴田氏のものでも被害者のものでもないとされました。


袴田氏が通ったとされる裏木戸には鍵がかかっており、人が通れる隙間はありませんでした。これについて、捜査機関は、鍵をはずした上で通り抜け実験を行って裁判所に報告していました。すなわち、捜査機関は、袴田氏を有罪にするために虚偽の実験を行っていたのです。


現在の状況


1981年4月20日に申し立てた袴田氏の第1次再審請求は、2008年3月24日、最高裁が特別抗告を棄却して終了しました。

 

2008年4月25日、弁護団は、袴田氏の第2次再審請求を静岡地裁に申立てました。弁護団は、5点の衣類の味噌漬け実験の結果を新たな証拠の一つとして裁判所に提出し、定期的に三者協議を行ってきました。

 

検察は、2010年9月、本事件において初めて任意に証拠を開示し、弁護団は、その精査を行った上、新たな証拠開示請求及び主張をしました。

 

そして、2014年3月27日、静岡地裁は、袴田氏の第2次再審請求事件について、再審を開始し、死刑及び拘置の執行を停止する旨決定をし、同日、袴田氏は釈放されました。


しかし、検察官が即時抗告し、2018年6月11日、東京高裁は、再審開始決定のみを取消し、弁護側が特別抗告しました。


2020年12月22日、最高裁は、高裁決定を取消して差戻しました。


2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしました。そして、検察官が特別抗告をしなかったため、再審開始決定が確定しました。


その後、静岡地裁での打ち合わせが続き、検察官は有罪立証をすることとし、裁判のやり直しを行う再審公判が2023年10月27日から始まりました。