なぜ「味の素」は“体によくない”と批判されたのか… | みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

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5/15(水) 6:12 Yahoo!ニュース 

文春オンライン


1909年の発売以来、賛成派と反対派による論争が続いている、うま味調味料の「味の素」。いったいなぜ、うま味調味料にネガティブなイメージを持つ人が増えたのだろうか?

 ここでは、戦後日本の歴史を“味覚の変遷”から読み解いた、澁川祐子氏の著書『 味なニッポン戦後史 』(集英社インターナショナル)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)


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「中華料理店症候群」の後遺症


 引き金になったのは、1968年にイギリスの医学雑誌「The New England Journal of Medicine」に掲載された「チャイニーズ・レストラン・シンドローム(中華料理店症候群)」と題する報告だった。


 その内容は、中華料理を食べたあとに頭痛や発汗、しびれなどの症状が多数起きているというものだった。さらにその原因の1つとして、中華料理に多く含まれるグルタミン酸ナトリウムの可能性が示唆されていた。これが話題になったところに翌1969年、グルタミン酸ナトリウムをマウスに皮下注射した実験を通して、その害が指摘された。


 折しも人工甘味料のチクロに発がん性の疑いが指摘され、使用禁止になったばかりだった。1960年代後半は食品添加物や公害の問題が表面化し、化学物質の弊害が人々に広く共有されていった時代である。当時の「化学調味料」という呼び方もあだになった。


 なお、化学調味料という呼び方を初めて使ったのはNHKの料理番組『きょうの料理』とされる。それまではもっぱら商品名で通っていたが、公共放送で特定の商品名を登場させないという方針に従い、1960年代に“最先端の調味料”を思わせるネーミングが編み出されたという経緯があった。つまり、最初のうちはポジティブに語られていたのが、科学への不信感によってネガティブなイメージへと反転してしまったのだ。


 結局、この騒動はその後の実験を通じ、グルタミン酸ナトリウムと症状との関連は証明できないとの結論に達した。国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)によるFAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)は1970年代から数度にわたる審査を繰り返し、1987年には1日の摂取許容量を制限する必要がない安全な添加物であるとのお墨つきを与えている。


 ただし念のため断っておくと、醬油をガブ飲みしたら体によくないのと同様、調味料として常識の範囲で使う分には問題ない、ということだ。


 しかし、いったん広まった不信感が消えることはなかった。


 業界は1985年(昭和60)に名称を「化学調味料」から「うま味調味料」に変えたものの、時すでに遅しだった。200万部を超えるベストセラーになった『買ってはいけない』(『週刊金曜日』編、金曜日、1999年)でもやり玉に挙げられ、論争はくすぶり続けた。


 その影響はじわじわと市場に現れた。総務省「家計調査」(2人以上の非農林漁家世帯)を見ると、うま味調味料への年間の支出額は1968年(昭和43)の1345円をピークに減少の一途をたどっている。そして1999年(平成11)の261円を最後に、以降は「他の調味料」に吸収されてしまっている。


 ならば、人々はうま味のきいた料理を手放したのだろうか。そうではない。代わりとなるものを手に入れたのだ。


うま味調味料の代わりに需要を伸ばした調味料とは?


 うま味調味料の代わりに需要を伸ばしてきたのが、顆粒(かりゅう)だしやコンソメ、液体だし、めんつゆなどの調味料である。


 なかでもめんつゆは、昭和30年代に相次いで醬油メーカーが参入した。1960年(昭和35)には年間2000キロリットルの販売量だったのが、1975年(昭和50)には2万キロリットルを突破し、10倍も伸びた(日刊経済通信社調べ)。


 その後も市場は拡大を続け、1994年(平成6)に約11.4万キロリットルと10万リットルの大台に乗り、2007年には20万キロリットルを超える急成長を遂げてきた。ここ10年ほどは23万キロリットル前後で推移している。


 今やめんつゆは、単にめん料理だけでなく、煮物や和(あ)えものにも使える万能調味料として、料理番組やレシピ本でも頻繁に取りあげられている。だが、これらの商品の原材料表示をよくみると、「調味料(アミノ酸等)」と書かれていることが多いのに気づく。


 添加物としての調味料は、グルタミン酸などの物質名まで書かなくてもよいことになっている。表示する際には「調味料」のあとにカッコ書きで、アミノ酸や核酸などのグループ名を明記する決まりだ。「調味料(アミノ酸)」と記されているならば、アミノ酸系の調味料のみが使われていることを示している。「調味料(アミノ酸等)」ならば、アミノ酸系の調味料を主に、ほかに核酸系などの調味料も使われていることを意味する。


 アミノ酸系の調味料といえば、代表的なのはグルタミン酸ナトリウムである。つまり、粉末の形では目にしてはいないものの、知らず知らずのうちにグルタミン酸ナトリウムを日常的に使っている可能性が高いということだ。


 だからといって、だしの素(もと)やめんつゆがよくないと糾弾したいのではない。私もめんつゆを常備する一方で、うま味調味料は買い置きしていない。結局のところ、多くの人がいかにも人工的な感じがする白い粉をなんとなくイメージで避けているにすぎないということだ。


終わらない「味の素」論争


 そんなタブーを破ったのが、リュウジなどの新タイプの料理研究家らだ。うま味調味料を公然と使う料理研究家が現れ、しかもその味を支持する大勢が可視化されたことは料理界においてちょっとした衝撃だったにちがいない。しかし、それは賛成派と同時に根強い反対派を炙り出してしまった。


 リュウジのX(旧・ツイッター)では、味の素反対派とのバトルがたびたび繰り広げられている。ついには『料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか』という本まで出版した。なぜ自分が味の素を使うようになったのかという経緯から味の素の歴史、活用法、安全性までをとうとうと述べた1冊だ。


 しかし、反対派がこの本を読んで納得した気配はない。この原稿を書いている間もまた、味の素がらみのネタで彼が炎上しているのを見てしまった。同書の帯には「『味の素』論争に終止符を打つ」とあったが、誕生時から何度となく繰り返されてきた論争はまだまだ終わりそうにない。


過熱する「味の素論争」の裏で「だし」がブームに…


賛成派と反対派による終わりなき論争が繰り広げられる、うま味調味料の「味の素」。一方その裏では、うま味調味料の原点である「だし」がブームになっているという。その知られざる背景とは?


 ここでは、戦後日本の歴史を“味覚の変遷”から読み解いた、澁川祐子氏の著書『味なニッポン戦後史』(集英社インターナショナル)より一部を抜粋して紹介する。


だしを取らない、だしブーム


 うま味調味料をめぐる賛否両論が渦巻く一方で、その原点であるだしは、ここのところ息の長いブームになっている。


 火つけ役は2006年(平成18)にだしパックを売り出した茅乃舎(かやのや)だとされる。種々のだしが試飲できる売り場を初めて見たとき、たしかにこれは画期的だと思った記憶がある。


 その後、だしをドリンクのように味わう「飲むおだし」で人気を博したのは、かつお節の老舗のにんべんが手がけるだし専門店「日本橋だし場」だ。2010年(平成22)にオープンして以来、2022年にはかつお節だしが累計100万杯を突破した。


しかしブームのわりに、だしを自分で取っている人はそれほど多くない。


 日本昆布協会が2016年(平成28)に行ったアンケートの結果では、「あなたは普段の料理で、主にどんなタイプのだしを使っていますか」という問いに対し、顆粒だしと答えた人は64.0%。だしパックや液体だしを使っている人を合わせると、80%を超える。一方、昆布やかつお節などの素材からだしを取っている人は18.4%にすぎない。


 多くの人がだしの取り方として、まっさきに思い浮かべるのは昆布とかつお節の合わせだしだろう。水から昆布を煮て、沸騰直前に取り出す。煮立ったら、かつお節をバサッと入れて、アクをすくいながら1分ほど煮て火を止める。かつお節が沈んだら漉(こ)して完成だ。


 言うは易(やす)く行うは難(かた)し。プロでも一家言(いっかげん)あるだしの取り方だ。どこまで煮たら昆布からうま味を十分に引き出せたと判断できるのか、あるいはかつお節をどれだけ煮すぎたら雑味(ざつみ)になるのか、自信をもって見極められるかというとなかなかむずかしい。少なくとも私は、いつまで経っても心許ない気分が拭えない。


面倒臭さもさることながら、私のような苦手意識がだしを取るハードルになっているのではないだろうか。ずっとそう感じていたところ、7年前、90代になるレジェンドな料理研究家に取材した際に「今の人は、だしといえば昆布とかつお節ってすぐ思うでしょ。でも昆布は高いから毎日使うのは大変じゃない。昔はそんなことなかったのよ」と言って、普段は煮干しを使うように勧めてきた。その言葉を聞き、「そうか、今は昆布とかつお節の“正しいだしの取り方”に縛られすぎているのかもしれない」と気づかされた。


 同じ頃、料理のプロからだしをもっと気軽に捉えようというメッセージが発せられるようになった。その筆頭が、文庫と合わせ33万部のベストセラーになった料理研究家の土井善晴(よしはる)による『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、2016年)だ。同書では繰り返し、具材のうま味があれば必ずしもだしは必要ないことが語られる。


 では、いつから合わせだしが“正しい”だしの取り方として広まったのだろうか。


戦後に普及した合わせだし


 伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)は、だしについて「昆布も鰹(かつお)節も、これほど使われるようになったのは、流通が発達したからです。ただし、昆布は圧倒的に京阪(けいはん)中心で、全国的に使われるようになったのは戦後になってからです」と述べている。


 もっとも、遅くとも室町時代には今と同じ意味でだしという言葉が使われるようになり、合わせだしも江戸時代には使われていたことが古い料理書から確認できる。ただ、江戸時代の料理書は料理人向けが多く、日常的な食事とは隔たりがあった。合わせだしを使うような高級料理はごく限られた人しか口にできなかったと考えられている。


 昆布だしが関西で広まったのは、昆布が北海道から北前船(きたまえぶね)で大量に運ばれ、入手しやすかったこと、水質が昆布からだしを取るのに適した軟水だったことが主な理由だ。一方、関東は流通に不利なだけでなく、水質も硬水のため昆布のだしを取るのには向かず、かつおだしが主流になったとされる。


ここで注目したいのは「煮出汁」という言葉だ。


 調べるなかで気づいたのだが、明治から昭和40年代初めまでの料理書の多くが「煮出汁」という表現を使っている。厳密に使い分けられてはいないが、単にうま味のある液体を指すときは「だし」、煮てつくる場合は「煮出汁」が用いられることが多い。その使い分けが消えていくのは、昭和40年代に入ってからだ。1968年(昭和43)刊『料理用語食品辞典』(河野友美編、真珠書院)では「ダシ(煮出汁)」と記されている。ちょうどこの頃が、言葉が切り替わる過渡期だったのだろう。


 言葉が変わりゆく背後で、どんな変化が起きていたのか。そこに合わせだしが一般化したヒントが何やらありそうな気がする。


辻は京都の懐石料理、土井は大阪の割烹料理と、2人の出自が合わせだしを基本とする関西の料理屋だったことは注目に値する。おまけに2人は、NHKの料理番組『きょうの料理』の花形講師であり、その影響力は絶大だった。


 同番組がスタートしたのは1957年(昭和32)のことだ。さらに昭和30年代半ばには民放各社でも次々と料理番組が登場し、料理学校も盛況を呈した。


 1961年(昭和36)2月17日の朝日新聞夕刊には「大ばやりの料理学校目立つ主婦の生徒さん」との見出し記事がある。「家庭電化などによる余暇を利用してのいじらしさか、食生活の“改善”を目ざす顔はいずれも真剣そのもの」と書かれ、魚菜(ぎょさい)学園と思しき東京・自由が丘の料理学校が、割烹着やエプロン姿の女性たちでにぎわう様子が写し取られている。


折しも時代は高度成長期。専業主婦率は、1975年(昭和50)のピークに向かって右肩上がりだった。生活に余裕が生まれ、メディアやリアルでプロから料理を学ぶことが広まり、そのなかで“正しい”だしの取り方、つまり合わせだしのレシピは浸透していったのだ。


 しかし毎日、違う料理で食卓を飾ろうとするのは誰であろうとも大変である。先の『味噌汁三百六十五日』には「来る日も来る日も、豆腐、わかめ、玉葱(たまねぎ)、千六本大根の繰返しでは、味噌汁は不味(まず)いものだと不評判になるのも無理からぬこと」とあり、みそ汁のレパートリーを増やすように諭される。


 それは、台所を切り盛りする当時の女性たちに、大きなプレッシャーを与えたにちがいない。だからこそ、逆の力学も働いた。手軽にみそ汁がつくれる粉末の「だしの素」のヒットである。


1964年(昭和39)にシマヤ商店(現・シマヤ)がかつお節ベースのだしの素を売り出すと、1969年には東洋水産、ヤマキが相次いで同様の商品を発売。さらに、うまみ調味料のパイオニアである味の素が1970年(昭和45)に「ほんだし」を引っ提げて参戦し、市場がにわかに活気づいた。


「天然素材かインスタントか」の構図


 1969年(昭和44)4月24日の朝日新聞朝刊には「売れ行き伸びるだしの素」という記事があり、「手軽で味もまずまず」と評価されている。かと思えば、3年しか経っていない1972年10月12日の同紙朝刊から「だし再考」という記事が8回にわたって連載されていた。


 連載の趣旨はインスタントの粉末だしを多用せず、本来のだしを見直そうというもの。初回には「天然のものが一番」という見出しが躍り、かつお節と昆布でだしを取るという2人の主婦が登場する。


そのうちの1人は「化学調味料はおまじないみたいに習慣でパッパッとやっていた」不精(ぶしょう)な自分を反省。「化学調味料の使いすぎがさわがれてから、そのビンをすっかり片づけ」、朝早めに起きて時間をかけてだしを取るようになったと語る。


 10月14日の3回目では先述の辻が登場し、だしの取り方を披露しながら、『味噌汁三百六十五日』より「全神経の傾倒というのが大切な眼目(がんもく)なのでありまして、投げやりな、惰性的な料理法からは、決しておいしいものは生れないのであります」という一節が引用されている。だしの素が一気に広まった反動も起きていたのだ。


 新しいテレビというメディアの力も借り、戦後のわずかな間に浸透した“正しい”だしの取り方。それがだしの素の登場によって、さらに絶対視されていく。だしをめぐる「天然素材かインスタントか」の構図はこうして生まれ、人々は今もその間で揺れ動き続けている。