日本保守党(代表:百田直樹)、みどりの党 | みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

時事問題から身近些事迄、出来るだけ自分の視点や立場から熟考して書いています。時々空気を読まずに暴走したり、独善的に決め付ける事も度々あり。常識や良識からの逸脱必至。真面な方なら顰蹙間違い無し。それでも読みたい方は大歓迎です。尚、書評、音楽評も行って居ます。

日本保守党



みどりの党はそれに反して平和、人権、脱原発、反戦を掲げる。

1981年、日本労働党から三橋派が分裂し緑の党を結党。「平和、脱原発、人権、連帯」を掲げる[3]。

1983年、河西善治が西ドイツ(当時)緑の党をモデルとした「東京緑派」(DIE GRUENEN) を結成し、参院選に東京都選挙区より出馬した。河西は人智学(ルドルフ・シュタイナーの思想)の研究家であり、西ドイツ緑の党がミヒャエル・エンデなど多くの人智学者によってできた経緯から、緑の党の思想を日本に広めることに注力していた。比例区ではMPD・平和と民主運動(後の市民の党)への投票を呼び掛けた。また、重松九州男の日本世直し党も「日本版緑の党」を名乗っていた。

1986年、元第四インターナショナル活動家太田竜らが「日本みどりの党」を結成。太田はその後「みどりの党」離党、「日本みどりの連合」結党を経て、「みどりといのちのネットワーク」への再統合を行った。「みどりといのちのネットワーク」は大石武一の推薦を受けた。同年、水の浄化を主な政策とする環境党が結成される。

1989年、山本コウタロー、北沢杏子、門野晴子、円より子、田嶋陽子らを中心に環境保護とフェミニズムを掲げる「ちきゅうクラブ」が、また、作家の今野敏や元三重大学教員の坂下栄、反原発運動・環境保護運動の活動家らを中心に「原発いらない人びと」が結成された。第四インターナショナル系や共産主義労働者党(後の自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ・蒼生)など一部の勢力は「原発いらない人びと」を支援した。この年の参議院選挙では、3派の統合を試みるも、名簿順序をめぐって折り合いがつかず、分裂選挙に。結果3派合わせて60万票を獲得するも議席の獲得はならなかった。

1992年の参院選では、「みどりといのちのネットワーク」「ちきゅうクラブ」「原発いらない人びと」を統合した環境政党「希望」(代表は藤本敏夫)が立候補した。

1995年、農業問題を中心とするみどりといのちの市民・農民連合と、平和・市民から路線対立で分裂した憲法みどり農の連帯が結成される。「希望」党員は農民連合と連帯に分裂。

その後、地方政治においては市民運動出身の無所属地方議員の連絡組織「虹と緑の500人リスト運動」、新潟県の地域政党「緑・にいがた」(旧「市民新党にいがた」)などが結成される。

1997年、荒岱介らの「戦旗・共産主義者同盟」が「BUND」と改称。共産主義路線を放棄し、環境保護路線への転換を表明する。2008年には「アクティオ・ネットワーク」と改称。

1998年頃より保守リベラル政党であった新党さきがけが環境政党として再出発を表明。後に代表となった中村敦夫は黒岩秩子と共に院内会派「さきがけ環境会議」結成。2002年、「みどりの会議」に改称。三木武夫・三木睦子夫妻の長女で無所属の参院議員だった高橋紀世子と中村が所属。2004年の解散後は「みどりのテーブル」に活動を引き継ぐ。

2007年、みどりのテーブルが中心となって参院東京選挙区に「無所属共同候補」として川田龍平を擁立し、当選する。また、司法書士の黒田恒一が環境社会主義党を結成して参院選に出馬することを表明したが、直前で出馬を辞退した。

2008年、川田龍平は、みどりのテーブルから離脱した(その後、2009年にみんなの党に入党)。みどりのテーブル・虹と緑が合流してみどりの未来を結成し、「みどり」系の地域政党・地域政治団体との連携を進めながら、地方政治および国政において「みどりの政治」の実現を目指すことを表明した。

2009年5月、元自民党員の長友清冨がNPO「森と海の恋人」を母体に「森海党」を結成。同年の衆院選で熊本県第5区から出馬するも落選。のち森海党は「日本森海党」に改名し、長友は2011年の人吉市長選や錦町議会議員選に出馬したが、いずれも落選している。

2012年2月には前述のみどりの未来が緑の党を結成することを発表する一方で、思想家中沢新一・宮台真司らが「グリーンアクティブ」を立ち上げた[4]。グリーンアクティブの政治部門は「日本独自のエコロジー政党」である「緑の日本」を名乗り、マエキタミヤコらが所属する。

2012年7月28日、みどりの未来を母体とした「緑の党GreensJapan」の結成総会が開かれた。2013年参議院選挙の比例区、次期衆議院選挙の比例東京ブロックに候補者を擁立する方針を発表した。

また同年7月18日に参院会派としてみどりの風が結成され、12月28日に政党化したが、この党は緑風会をモデルとしており、本稿の緑の党とは関係ない。ただし谷岡郁子代表は緑の党との連携も示唆していた。

2013年1月、渋谷誠が新たに「環境党」を結党。同年7月の参院選において、緑の党グリーンズジャパンとみどりの風は候補者を擁立したが、両党とも全員落選した。両党では選挙協力について話し合いが行われたが、緑の党の吸収合併を主張するみどりの風側と、両党の名称を残した上での統一名簿作成を主張する緑の党側で対立し、交渉は決裂した。緑の党が支援した東京都選挙区の山本太郎(無所属)は当選した。(日本語版Wikipediaより引用)


ーーーーーーーーーーーー

私は「日本保守党」は自民党右派や維新の会の不満分子の受け皿、「みどりの党」は成長途上の政党で個人的な評価をするには時期尚早だと思う。