小説「レイニーブルー」〜その1 | みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

時事問題から身近些事迄、出来るだけ自分の視点や立場から熟考して書いています。時々空気を読まずに暴走したり、独善的に決め付ける事も度々あり。常識や良識からの逸脱必至。真面な方なら顰蹙間違い無し。それでも読みたい方は大歓迎です。尚、書評、音楽評も行って居ます。




カフェイン中毒とは

カフェイン中毒とは、食品から医薬品まで幅広く利用されており、一度にカフェインを過剰に摂取すると急性中毒が起こり、摂取することをやめられなくなってしまうことです。


元々カフェインには中枢神経を覚醒させる事による「集中力の向上」「眠気、倦怠感の抑制」等の効果があります。


これは脳内で眠気を作り出す「アデノシン」という物質をカフェインがブロックしているからです。 これは疲労が回復していく訳ではなく、一時的に自分のパフォーマンスをあげている状態で、過剰に摂取して仕舞うとカフェイン中毒になってしまいます。 

症状

短期間に大量にカフェインを摂取すると発症するカフェイン中毒の症状としては、以下などがあります。

精神症状


軽度の場合 : 緊張・知覚過敏・多弁・不安・焦燥感 など

重度の場合 : 精神錯乱・妄想・幻覚・パニック発作・衝動性 など

身体症状


軽度の場合 : 胃痛・胸痛・吐気・心拍数増加・呼吸が早くなる など

重度の場合 : 痙攣・頭痛・過呼吸 など

また、日本中毒学会の調べでは、国内でカフェインを多量に含む眠気防止薬やエナジードリンクなどの急性中毒で、 2011年度から5年間に101人が救急搬送され、7人心停止、うち3人の死亡が報告されています。


1グラム程度の摂取で中毒症状が人によって出はじめ、2グラムの摂取で多くの人に中毒症状が出てきて、

5グラムの摂取で重篤な副作用が発生し、7グラムの摂取で致死量に至るとされています。


初期の中毒症状は、嘔吐や動悸、震え、筋肉痛で、重篤になると不整脈や痙攣(けいれん)による窒息で最悪の場合は死に至る可能性もあります。


カフェイン離脱とは?

普段のカフェイン摂取量にもよりますが、急にカフェイン摂取を止めるか、摂取量を減量するときに現れる離脱症状もあります。

症状としては、頭痛が一般的とされていますが診断基準としては以下のようになります。


普段のカフェイン摂取量によりますが(1日に何回摂取するかも含む)、通常離脱症状はカフェインを摂取した12~24時間後に出始め、2~9日間続くことが多いです。 カフェインを止める時は、突然ではなく徐々に減量するようにしましょう。

カフェイン離脱の診断基準


A. 長期にわたる毎日のカフェイン使用


B. カフェイン使用の突然の中断、または使用していたカフェインの減量後24時間以内に、以下の症状が3つ以上発現する。

(1) 頭痛

(2) 著しい疲労感または眠気

(3) 不快気分、抑うつ気分、怒りやすさ

(4) 集中困難

(5) 感冒様症状(吐き気、嘔吐、または筋肉の痛みや硬直)


C. Bの症状は臨床的な苦痛または社会的、職業的または他の領域の機能障害を引き起こしている


D. 以上は他の疾患や他の物質障害によるものではない

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 俺は心新たに農業経営学科の授業と御両親御推薦のバリスタの元での修行を始めた。

 俺の朝は早い。午前5時に起床してバリスタの経営する農場で食材採集の手伝いをする。鶏、鶉も放し飼いされて居て、広大な野鳥避けの網が張られた池では鯉と食用蛙が飼われて居た。他に駝鳥、豚、牛、水牛、山羊が飼われて居る。水牛、山羊だけは乳からチーズを摂る為に飼われて居た。チーズの熟成もバリスタは手掛けて居るのだ。


 俺は先ず、バリスタ特製の非常に濃い珈琲で目を覚まして、指示通りの農産物を採集し、駝鳥、牛、豚の屠殺の依頼と内蔵の分解と保存を依頼する。内臓は御得意様を招待しての内覧会で供される鍋物の為に使われるので、入念な処理が為される。その後は床を塵一つない様にモップ掛けする。それを午前6時半に終え、午前9時迄給仕を行う。最初は緊張の余り引き攣った睨む様な顔が笑顔だと思って居た。それを御得意様に嗤われ、必死で修正した。

 大学の授業は午後5時に終わる。喫茶店は幸い午後5時迄だから、時々ある学部のフィールドワークも耐えられる。帰宅すると入浴してバリスタと共に談笑して夕食を摂る。但し、月曜日は私が農場から食材を選択して食事に最も合う珈琲を添える。一週間で最も難しい課題だ。私は最初の月曜日で後少しとの秀逸な評価を戴いた。

 私は張り切り、珈琲の淹れ方を徹夜で学んだ。全ての珈琲を飲み干し、修養に励んだ。


 眠れなくなり、真夜中の電話ボックスに駆け込んだ事も度々有る。然し、碌な小遣いのない私に国際電話をかける金も度胸も無かった。私が泣くと濡れて居るのは電話ボックスなのか、私の眼なのか分からなくなった。まるで始終雨が降って電話ボックスを鳴らして居る様に錯覚する事も度々だった。

 

 次の月曜日を迎えた。非常な緊張に囚われて居た。料理は上手く出来た様だが、珈琲をどうすれば良いか分からなかった。

 ……と目の前が真っ暗になり、身体が鈍い音を立てて斃れる様子を感じた。カフェインの過剰摂取に身体が耐え切れなくなり、昏倒したのだ。

 ……気がつくと、私は病院のベッドに横たわって居た。後頭部には大きなガーゼが貼られて居た。私は3日昏睡して居たらしい。その間、当然乍らバリスタは喫茶店に付きっきりで、奥さんと息子さんが見舞いに来てくれて居た。暫くすると後頭部のガーゼも取れ、バリスタが駆けつけて呉れた。月曜日、全快に一週間も掛かって仕舞った。

 前週、私は棒が倒れる様に段差に後頭部を打ち付けて昏倒したそうだ。バリスタは自分の運転で掛かり付けの医師の元へ運んで呉れたそうだ。

 今夜はバリスタのお詫びのパーティらしい。気持が弾んだ。


 元々はこの喫茶店はバリスタの高祖父母(曾祖父母の両親)の代から営業して居るそうだ。珈琲豆伝来の頃から脈々と続く由緒ある喫茶店だった。店の中央は広い吹き抜けになっており、裸の地面から何も遮る物のない天空へ木々が伸びて居る。楠、芭蕉、アボガド3本、珈琲3本、お茶の木3本だと言う。木々には護謨引きの布が掛けてあり、寒暑風雨を避ける様になって居た。普通は珈琲は余る。そう言った木々にバリスタは残った珈琲を継ぎ足して育てて居たのだそうだ。私は自分の観察眼の鈍さに身が縮む思いだった。

 今迄の事を教訓にして明日から頑張れば良い。

バリスタの激励に私は満面の笑みを泛かべた。