ポクの県大会は 無事終わりました


あんなに全身全霊で 打ち込めるものがあり

仲間と 一喜一憂し 切磋琢磨する経験は

ほんとに 大切な宝となるでしょう


どんぐり畑



県大会で 先に進むことはできなかったけど

それぞれが得たものは 大きかったんじゃないかな


明日も 市内の大会があるから

楽しんで プレーしてね



どんぐり畑


午後 どんぐりはいい天気で

秋ならではの 心地いい空気で満ちていた


どんぐりの小松菜は 

秋 いつもこんな風に みずみずしく成長してくれる


ほれぼれするほど 好きなんだ

この色や 艶 

草たちとの 共存



どんぐり畑


どんぐりは

友達同士で 来る子も多いけど


なんとなく 一人で来る子も

半分くらい居る


誰と約束してなくても 

少なくとも 

とこちゃんは 必ず居るどんぐり



どんぐり畑


仲のいい友達と 待ち合わせしなくても

遊べるって いいよね


この写真の子たちは

この場で 初めて遊び始めたメンツです


みんな ものすごーく笑っている


即席で会った者どうしで

即席で考えた遊びが

笑いながら できること


これは 現代のカチンコチンな固定観念の間をぬって

心の隙間を 潤すことのできる

ひとつの機会なんじゃないかな



ポクの大会に同伴したり

どんぐりで

たくさんの子どもらを 観ていて しみじみ感じたことがある


人の幸せを決めるのは

多種多様な他者に対する

「許容範囲の広さ」 にあるのではないかと


大概の平均的な枠から 外れた人間を

どう捉えるか・・・


逸脱している変わり者 厄介者 ととらえるか

面白い発想をする 愉快な人 ととらえるか


何にでもそうだけど

まず 「否定」 から入る人間は

自分の世界が 狭くなる


「否定」するには

まず前提として

「肯定」とする 自らの「正義」や「秩序」が 存在するわけで

その枠内でしか 身動きが取れない


けどね

そんな狭い価値観の中では

ほんとに あらゆる森羅万象には 対応しきれないんだよ


人の世の 森羅万象

ユーモアを交えながら 

肯定から入る人間の世界は 広く 

醸し出す世界は 幸せな色をしている


身近な人に

よく腹を立ててしまう人


まず ユーモアをもって

肯定から入ってみましょう


そしたら きっと

吸う空気は すきとおり

びっくりするほど 生きる世界は 広くなる


私は 今回

ポクから それを学んだ


              ペタしてね

明日は また ポクの県大会があるので

なんとか どんぐりの神々しい植物で

ごはんを 作りましょう


今年の 初物 「ハヤトウリ」


どんぐり畑


ずっと 見守り続けた植物の 実りをいただいて 

それを 

大事な人の 大事な瞬間のために 料理することは

思いようによっては 

とても 深い意味のあることなんだ


今日は しばらく そのことを考えながら

どんぐりで作業していた


「あなたの心と体を 元気にするために

 この土地で 一生懸命育った この植物が

 あなたの体の中に 入っていきますよ」


単に どっかで買った 100円の野菜とは

違う重みだよね


それを 感じながら

料理し 食せることは 

この上なく 幸せな食事なんじゃないだろうか


もちろん ポクに そんな風には

いちいち言わないけどね 


言っても

「どんぐりの 初ハヤトウリだよー」

・・ くらいかな



どんぐり畑



ツルマメが 種化しつつあるから

この蔓を ほどいてみた


豆は 大豆のように使うために

サヤごと採取



どんぐり畑



畑少女juniorが ちまちまと豆を取り出してくれる

かたわら

私は ツルマメの蔓で かごを編んだ



どんぐり畑


彼女と 私の地道作業の 賜物がこれ

ツルマメの蔓カゴに入った ツルマメの豆


たわいもないことなのだけど

なんとなく この統一感が 嬉しかった 私と彼女



どんぐり畑


ぼたんさんちのちびちゃんは

大根葉を 間引いた後

自分の畑に ニラの種をまいた



どんぐり畑


来るたびに 自分で作った畑を

大事そうに 確認するちびちゃん


ここは あなたの聖域だね


大事なものがあることは

ほんとに 大事なことです


            ペタしてね

自分自身の思考の整理として 長いの書きます


文しか 書きませんので

興味ある方のみ 読んでくださいね



「どんぐりの その先へ・・・」


どんぐりの活動を

持続可能にするためには・・・

自分だけで 終わらせないこと?


自分だけで 終わる・・ ということは

最大限でも 自分の体が動く範囲内の時間しかない

自分が 生きている間 ということ


生きている間に つなげる 何か 誰かを

見つけていけば いいのか?


残って 然るべき行いならば

必ず 支える誰かが 出てくるはず


それとも 今のうちに

世に 訴えてみる?


これが 必要だって

すごーく 情操を育てるのに必要だって


子どもも大人も 心をクリアーにするために 必要だって


そこに在るものと 共に生きること

呼吸すること

わが身のことと 思うこと

共に喜び 共に痛むこと 

祈ること


集団に埋没することのない 個人でありながら

大きなその場の一部分であり 全体でもある


他にあるかな?

あんまりないよね


利益になるとかならないとか

そういうとこの話では ないんだよね


精神的に必要なんじゃないかな

人と人との関係だけで 行き詰った時

助けてくれるのは その部分なんじゃないかな


だって 一人で居ても 救ってもらえるのだから


どういう形で表現すれば うまく伝わるだろ?


いろんな切り口で伝えることは 可能

ただ 伝え方を間違うと 別の方向に行っちゃう

別の方向で 盛り上がるのは 避けたい

大元の 本物のところが 台無しになるから


私が同時期に観れるのは せいぜい 40人の子どもまで

それ以上は 場所的にも 精神的にも無理

それでも まあ 私には充分すぎるほどやってる


けどさ 必要なら

もっと 幸せな子が増えるなら

誰かが どこかで 開いてくれたら ほんといいよね


土があって 草が生えてて

いろんな生き物が居て・・・お日様があって 雨が降って

木があって 暑くて 寒くて・・・

その木は 友達のような存在で いつもそこに居てくれて

そこにある草が 体を癒してくれて

いつも仲間が 居てくれて


生きた空気を 吸い込める場所だよね

自分が吐いた 二酸化炭素を 吸ってくれる場も必要だよね

基本なんだよ

呼吸すら 使い捨てにならないための基本

「ありがとうー!!」 って 素直に叫べる 基本なんだよね

ストレートに 必要と し合えるんだもの


光合成した葉っぱが 秋に落ちて 分解者により 土に還る

その土は 次に酸素を作る小さな草たちを育む

うまく棲み分けながら 

自分の歩をわきまえて かかわり合う生き物たち

少しでもいいから その循環の中に

共に在りたいよね


大事なのは 

そのような共生の感覚を 押しつけでなく 当たり前に

なんとなーく日常の中に 置けるような環境を持つこと


それは今の世の中に なくなってしまった扉なんじゃないかな


その扉を 私はあえて

公衆の面前で 「ここに扉がありますよっ」 って

表現するべきだろうか?


それはおそらく ものすごくエネルギーを要する


今でさえ いっぱいいっぱいであるのに

その扉を 表現していくべきだろうか?

味方してくれる人間は どんだけ居る?


私は それに耐えうるほど 強い人間かな?

あまり強くはないんだよな

どっちかというと 弱い反動で ここまで来たんだよな


愛おしい盤の上の駒を 自然なルールの中で 

私の命がある限り 見守ることは きっとできるでしょう

やりたくて やったんだから

よっぽどのことがない限りは できる


けど その盤が どれだけ神々しく 貴重なものであったとしても

それが 伝説のようになるだけで

同じような盤が 残らないなら 

それは 持続しているとは言えない


持続させるのなら 盤は ここに限らず

緑の見える あらゆる場所に あるべきだ


なんとか 表現していくべきだろうか?


今 どんぐりに居る子どもや親自身でさえ

その素晴らしさに 気づいていない現状なのにも関わらず

私は わかっているんだもの


「今 わからずとも 彼らに残るものは かけがえなく 尊い」


ともかく今は

日々 精一杯やりながら

見つけていくしかないんだろうな


不自然でなく 大切なものを ぶれずに伝えていくすべを


それを見つけられた時は 

迷わず進もう


唯一 自分が 魂と手と時間をかけて

導き出した真理を 表現してみよう


                ペタしてね

冬支度をしなきゃ・・・ と思いつつ

手を出さずにいたもの 


それは 「わらの家」


どんぐり畑



これは 昨年の10月から11月に 

藁ぶきで作ったもの


新しく葺きかえるには 

まず 今ついている藁を 解体しなきゃぁならない


これね いやな人は いやな作業だよね・・・

何しろ 分解者が わんさと 

あちらこちらから 出てくる


土の上のみならず

付いているワラの どこにでも分解者は居り

仕事をしているんだね


分解者たちに 敬意を払いながら

藁を取り外し

とったワラは 果樹のまわりに置いていった



どんぐり畑



わらを取り外した後

床と 支柱を 補強し直し

安全を確認


一応 乗らないでもらうけどね

これは ポクが6年生の時に 作った土台だから

来年あたり 支柱自体も

新しい竹を 用意しないといけないかもな


どんな規模であれ

「家」 を作るのは 大変なことだなぁ

などと 一人で作業しながら 漠然と思った次第です



どんぐり畑


野郎たちが来て 

わらの家にも 明るさが 戻った


湿ったワラが 付いていた時には

あまり誰も 寄り付かなくなっていたからね


葺き替えが 完了するころには

すっかり寒くなり

この家が どんなに重宝するかは

よーく わかってるんだ



どんぐり畑


これは 去年の12月


今年は どんなわらの家に なるかな


子どもらが来るまで

私は この中で 

一休みするんだ


優雅でしょ?


現代人が普段見ているものには ありえないような

光景なんだよ

わらの家の中って



どんぐり畑



わらの家の 中から 観る

日の光は 優しくてね


異空間なんだ


ああ 

なんだか くたくたで

眠くなってきたよ・・・・


毎日 体力ギリギリまで使って 

眠れることは 幸せなことなんでしょうね


             ペタしてね


午前中は 保育室の 「畑の日」


週に一回 調理に行っているから

この子たちの 名前はちゃんとわかっている


2歳くらいの子がほとんどだけど

畑作業も 簡単なものはできるよ


どんぐり畑



敷地が狭いから もうあまりやることがなくて・・

とりあえず 隙間に にんにくをひとかけずつ植えた


この畑の日は 平成17年4月から始めたから

なんと9年目なんだー


えー 自分でビックリ


この畑から ぼたんさんちは

どんぐりに来たわけだし

私にとっても どんぐりにとっても 有意義な「畑の日」


ぼたんさんちの 長女が

来たのは さて何年のことだ?


今 調べたら

私が 畑の日をするたびに 発行している 「farm通信」 に

最初に 彼女の名前が出たのは

平成18年10月1日


3歳くらいだから そんなもんか


それから ぼたんさんちの3姉妹は 

順繰りに 畑の日に来て

それと重なるようにして どんぐりに みんなで来るようになった


長年 続けている

意義があると 思われることは

何かしらかで つながっていくんだね


多分 意義があることを

紡いでいくと 自然と そんな風になってくんだろ



どんぐり畑


どんぐりに行くと

サツマイモの蔓が たくさん放ってあったから

いただくことにした


蔓は リースに

葉の茎は 食材としていただき 芋茎煮にする

美味いんだよー

さっそく 夕飯に 芋茎煮いただきましたー


タイキが 「サツマイモの味がするー」 と言ってた

そうだね 確かに 風味が サツマイモだ



どんぐり畑


腐葉土を 重ねた山には

こぼれ種から生えた アブラナ科の菜っ葉たち


美しいねえ

拍手をして 称賛したくなるよね

こういう葉っぱたち


感謝



どんぐり畑


台風前に 池に 自然生えしていた米を 収穫した


これは おととし 職場の残り苗を植えて

それが 去年 自然にこぼれて

今年生えたもの


なんとなーく

繋がっていくものの 数々・・・・



どんぐり畑


大豆の原種の ツルマメ


今日 乾燥しているものを 採取してみた

これでさ 原種味噌でも 作ろうかな

チマッ と


ほんとにちょっとしか できないかもしれないけど

面白いかも・・



どんぐり畑


今日は 新しく入会する野郎が居たり

なんだか ばたばたしていたが


そんなばたばたも 結構楽しいどんぐり



どんぐり畑


わらの家用の わらも

ママに運んでもらい

いよいよ 冬支度 しなきゃーね


とりあえず 台風行ってから・・・ と


            ペタしてね