自分自身の思考の整理として 長いの書きます


文しか 書きませんので

興味ある方のみ 読んでくださいね



「どんぐりの その先へ・・・」


どんぐりの活動を

持続可能にするためには・・・

自分だけで 終わらせないこと?


自分だけで 終わる・・ ということは

最大限でも 自分の体が動く範囲内の時間しかない

自分が 生きている間 ということ


生きている間に つなげる 何か 誰かを

見つけていけば いいのか?


残って 然るべき行いならば

必ず 支える誰かが 出てくるはず


それとも 今のうちに

世に 訴えてみる?


これが 必要だって

すごーく 情操を育てるのに必要だって


子どもも大人も 心をクリアーにするために 必要だって


そこに在るものと 共に生きること

呼吸すること

わが身のことと 思うこと

共に喜び 共に痛むこと 

祈ること


集団に埋没することのない 個人でありながら

大きなその場の一部分であり 全体でもある


他にあるかな?

あんまりないよね


利益になるとかならないとか

そういうとこの話では ないんだよね


精神的に必要なんじゃないかな

人と人との関係だけで 行き詰った時

助けてくれるのは その部分なんじゃないかな


だって 一人で居ても 救ってもらえるのだから


どういう形で表現すれば うまく伝わるだろ?


いろんな切り口で伝えることは 可能

ただ 伝え方を間違うと 別の方向に行っちゃう

別の方向で 盛り上がるのは 避けたい

大元の 本物のところが 台無しになるから


私が同時期に観れるのは せいぜい 40人の子どもまで

それ以上は 場所的にも 精神的にも無理

それでも まあ 私には充分すぎるほどやってる


けどさ 必要なら

もっと 幸せな子が増えるなら

誰かが どこかで 開いてくれたら ほんといいよね


土があって 草が生えてて

いろんな生き物が居て・・・お日様があって 雨が降って

木があって 暑くて 寒くて・・・

その木は 友達のような存在で いつもそこに居てくれて

そこにある草が 体を癒してくれて

いつも仲間が 居てくれて


生きた空気を 吸い込める場所だよね

自分が吐いた 二酸化炭素を 吸ってくれる場も必要だよね

基本なんだよ

呼吸すら 使い捨てにならないための基本

「ありがとうー!!」 って 素直に叫べる 基本なんだよね

ストレートに 必要と し合えるんだもの


光合成した葉っぱが 秋に落ちて 分解者により 土に還る

その土は 次に酸素を作る小さな草たちを育む

うまく棲み分けながら 

自分の歩をわきまえて かかわり合う生き物たち

少しでもいいから その循環の中に

共に在りたいよね


大事なのは 

そのような共生の感覚を 押しつけでなく 当たり前に

なんとなーく日常の中に 置けるような環境を持つこと


それは今の世の中に なくなってしまった扉なんじゃないかな


その扉を 私はあえて

公衆の面前で 「ここに扉がありますよっ」 って

表現するべきだろうか?


それはおそらく ものすごくエネルギーを要する


今でさえ いっぱいいっぱいであるのに

その扉を 表現していくべきだろうか?

味方してくれる人間は どんだけ居る?


私は それに耐えうるほど 強い人間かな?

あまり強くはないんだよな

どっちかというと 弱い反動で ここまで来たんだよな


愛おしい盤の上の駒を 自然なルールの中で 

私の命がある限り 見守ることは きっとできるでしょう

やりたくて やったんだから

よっぽどのことがない限りは できる


けど その盤が どれだけ神々しく 貴重なものであったとしても

それが 伝説のようになるだけで

同じような盤が 残らないなら 

それは 持続しているとは言えない


持続させるのなら 盤は ここに限らず

緑の見える あらゆる場所に あるべきだ


なんとか 表現していくべきだろうか?


今 どんぐりに居る子どもや親自身でさえ

その素晴らしさに 気づいていない現状なのにも関わらず

私は わかっているんだもの


「今 わからずとも 彼らに残るものは かけがえなく 尊い」


ともかく今は

日々 精一杯やりながら

見つけていくしかないんだろうな


不自然でなく 大切なものを ぶれずに伝えていくすべを


それを見つけられた時は 

迷わず進もう


唯一 自分が 魂と手と時間をかけて

導き出した真理を 表現してみよう


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